第3章 キャンペーンで Go To 地獄

1 秋芳君、興味を持つ

1-1 再びやって来た妖怪カップル

 目の前に食べ物があると、僕は僕でどうしてもそっちに目が行ってしまうし、多々良もまた僕の給餌に気が入ってしまうため、大抵の話は有耶無耶になる。僕にとっては食べることこそが最優先事項なのだ。


 とはいえ、どうやら僕はやっぱり悪食で、本来は地獄で生まれるはずの妖怪だったらしい。ということがわかっただけで十分である。僕は一人じゃなかった。地獄にはちゃんと仲間がいるのだ。かといって会いたいわけではないけど。今後の僕の生活も、一切変わることはない。毎日よく食べ、よく眠り、夢は良いものも悪いものも全て多々良に食べられる。


 と、思っていたのだが。


「ボス、地獄に行ってみたいですか?」


 老獏の暖々だんだんに顔を見せたその翌々日、てくてくと徒歩でフシキ堂に向かう道すがら、多々良がそう尋ねてくる。


「何いきなり」

「ほら、こないだ暖爺だんじいのところでそんな話してたじゃないですか。悪食が地獄の妖怪だって。だから、仲間に会いたいかなって」

「そういやそうだね」

観世重みよしげも言ってたんですよ、地獄で悪食をいっぱい見てきたって」

「なんだ、観世重も地獄行ってたんだ。やけにお土産に詳しいと思って不思議だったんだよね」

「不思議と思ったのに眼前にあるお菓子に気を取られて深く突っ込まないボス、最高にバブちゃんで可愛いです!」

「それ褒めてないよね? ていうかね、別に行きたいわけじゃないよ。行く機会があったら行くかもだけど」


 今日は、フシキ堂に伏木さんの兄である憂火ゆうひ君とその(自称)彼女の嗄音あいねが来る日である。僕はそこまで気にならないのだが、多々良はどうしても彼らの言動が気になるらしい。


 つまりは――、


 なぜそこまで悪食を恐れるのか、という。


 僕は、記憶にある限り、生きているものを本人の了承なしに食べたことはない。もちろん、生きたままぜひとも食べてください、なんて僕に言ってくるような者は人間も妖怪もいないけど。自衛のための脅し文句として「食べちゃうぞ」と言ったことはあるけど、実行に移したことなんてないのだ。


 交流のある妖怪達も、初対面の時こそ「悪食って何でも食べるんだろ。俺らのことも食べるのかよ」なんて警戒心を剥き出しにしたりするものの、五分も話せばそれを解く。自分達の脅威ではないと気付くのだ。だって、僕だもん。


 だけど噂なんて根も葉もないものだし、威嚇のつもりの行動が、そのまま面白半分に誇張されて伝わっていったのかもしれない。


 だから僕としては全然気にならないんだけど、多々良はそうではないらしい。



 せっかく兄と未来の義姉が来たというのに、伏木さんはというと、店の方で合鍵を作製中である。いつもなら杣澤そまざわ君に任せるのだが、彼は彼で鍵の修理でご近所に出張中なのだ。


 なので、どういうわけか客人であるはずの僕達が彼らの相手をする、という構図になっている。

 

「ふむ、これがあの有名な『砂丘しぐれ』ですか」


 一応、僕のために、ということになっているはずの手土産を「まずは毒見です」と言って、最初に食べたのは多々良である。僕ほど毒見の必要のない妖怪はいないというのに。


「ふむふむ。それでこれが『出雲焼』に、『きびトッツォ』、『ぶちやおい餅』、『ふぐ煎餅』、と……」


 お前達、なかなか良いチョイスですよ、と偉そうに言ってから、多々良は僕の方をくるりと見、目尻を下げた。二匹はかなり気を遣ってくれたようで、彼らの故郷である山陰地方の名物を手当たり次第に買って来てくれたらしい。


「さ、ボス、お口あーんですよ。どれもこれも美味しいですよ」

「僕そのふぐ煎餅が食べたい。いや、それよりもさ」


 彼らと話がしたかったのは多々良だろ、と水を向けると、僕の方に手土産の箱をすべて移動させてから「そうでしたそうでした」と両手を叩いた。


「もうかれこれボスとは二百年以上のお付き合いになりますけれども、ボクも正直、悪食という妖怪は謎なんです。本来は地獄にいる妖怪だっていうのを知ったのも最近ですし」


 そう前置きした上で多々良は二匹に向かい合った。


「確かにウチのボスはこの世のすべてのものを食べることが出来る妖怪ですが、ボクが見ている限りでは、無闇やたらに生き物に襲い掛かったりはしませんし、生きている状態のものを齧ったことなんて一度もないです」


 ですよね? と念を押されたので、ふぐ煎餅をばりばりと齧りながら頷く。


「だから、ボスになんてこの辺りの妖怪知り合いは絶対に言わないです。『何でも食べる』って言葉に勝手にビビった人間ならまだしも。なのに、どうしてお前達、ボスをあんなに怖がったですか?」


 多々良が睨みを利かせて、ずずい、と顔を近付けると、ぴゃ、と飛び上がったのは憂火君の方だった。彼は今日、化け狸から借りた変化の葉っぱで人間の姿になっている。妖怪としての力を持たない彼は、能力的には人間というよりも鳥に近い生き物だ。人間の言葉を話し、同等の知能を持つ鳥、しかも超大型の。その大きさではさすがに部屋の中に入れないので、伏木さんが予め用意しておいてくれたのだ。なのでいまの彼は、頭に葉を乗せた、百七十センチくらいの青年である。


「おいちびっ子、憂火をビビらせんなよな」

「ハッ、お前だって十分ちびです。ボクは元の姿に戻ればお前よりも断然大きいんですから!」


 向かい合ってバチバチと火花を散らす多々良と嗄音を、それぞれの保護者が引き剥がす。


「嗄音止めなよ。おれ達今日は喧嘩しに来たわけじゃないんだから」

「多々良も落ち着け。どうしてお前は『ちび』にそこまで過剰に反応するんだ」


 ええい止めるな憂火、オレはこのちびっ子にガツンと言ってやらんと気が済まねぇんだ! と暴れる嗄音を、憂火君が羽交い絞めして止める。


 ボス! ボスの可愛いボクが馬鹿にされたですよ! むしろボスがあの失礼な蛇にガツンと言ってやるべきです! と多々良が地団太を踏みながら嗄音を指差す。ウチの多々良はよく躾されているので、羽交い絞めをしなくともとりあえずは止まってくれるのだ。ただ、悪態はつく。


「あの、ごめんなさい。悪食様の奥方様に失礼なことを、その」


 どうしたものかと成り行きを見守っていると、嗄音を抱えた状態の憂火君が一歩前に出て、僕達に向かって頭を下げた。待って、多々良は僕の奥方じゃない。否定の隙も与えてくれずに嗄音が騒ぎ出す。


「あっ、何で憂火が謝るんだよぉ! あいつなんかに頭下げんなよ! それでも威針かお前ぇ!」

「いまのはどう考えても嗄音が吹っ掛けただろ。お前が謝らないならおれが頭を下げるしかないんだから」

「吹っ掛けたのはオレじゃねぇ! あいつが憂火をビビらせたのが悪い!」

「おれはビビってなんかない! ちょっとびっくりしただけだってば」

「それをビビってるって言うんだよ!」


 痴話喧嘩勃発である。


「……多々良、どうするんだ。喧嘩が始まっちゃったぞ」

「始まっちゃいましたね」

「僕はね、争いごとって嫌いなんだよ。平和なのが良い。これって僕も謝れば良いのかな」

「どうしてボスが謝るですか!」

「だって、向こうはそうしたよ? 彼女の代わりに憂火君が謝ったじゃないか」


 だったら僕も――、と前に出ようとすると、「待ってください」と、多々良がそれを制した。


「ごめんなさいボス。ボクが謝りますから、ボスはそんなことしないで良いです」

「ほんと? お前謝るとか出来るの?!」

「出来ますよ! 失礼な! 現にいま謝ったじゃないですか!」

「いや、僕以外にさ」

「出来ますとも! おい、そこの蛇!」


 多々良、謝るつもりなら『そこの蛇』はどうかな。事実、彼女は蛇の妖怪だけれども。


「んああぁ?! 何だ小娘ぇ!」

「さっきのはボクがちょぉーっとばかし悪かったですよ。ボクは大人ですからね、ごめんなさいしてやるです」


 そう言って、軽く頭を下げる。

 おお、何だか言い方にかなりとげがあるけど、まさか多々良が謝罪するなんて。


「ぐっ……何かむかつくな」

「ほら、嗄音。嗄音もだろ? むかついてる場合じゃないって」


 ほらほら、と身体を揺すられ、嗄音もまた「悪かったな」とぽつりと言った。


 そんなやりとりをしているところへ伏木さんがやって来た。


「何してるんだお前達。兄貴、こんなところで盛ってどうした」

「さっ、盛ってなんかない!」

「盛ってんだろ、蛇女抱きかかえてるじゃないか。どこに運ぶ気だ。ベッドなら貸さんぞ」

「借りないって! ていうか、前々から気になってたんだけど、明水は言葉遣いが乱暴すぎるよ! もっとお淑やかに!」


 はぁ? 何をいまさら、と呆れたような声を上げる伏木さんである。まぁ僕もその辺は常日頃から気にはなっていたけど。でも、最近の人間社会は「女だからお淑やかに」とか「男は男らしく」みたいなのはあんまり好ましくない、ってことになってるからなぁ。伏木さんはもうすっかり人間社会に溶け込んでいるし、そういう考えなのかもしれない。


「まぁまぁ伏木さんも落ち着こうよ。お店は? 大丈夫なの?」

「うん? あぁ、きんが戻ってきたから問題ない」


 それで、話は済んだのか? と言いながら、その場にどっかと胡座をかく。一つもらうぞ、と彼女もふぐ煎餅を手に取る。一口サイズに割ったりなどせず、ばり、と噛み、「あーくそ、これで一杯飲みたい」と言って、ちらりと時計を見た。駄目だよ、まだ全然閉店時間じゃないからね。

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