4-4 老獏、ビビりまくる
「ぬはは、よく来たの、秋芳殿。多々良も久しぶりじゃなぁ。どぉれ、少しは重くなったかの」
そう言うなり、千二百を優に超える老獏にひょいと抱え上げられた多々良は、せめて獏の姿なら重かろうと思ったのだろう、ぼわん、とその形を変えたものの、どう見ても親猫に抱えられた子猫である。どれだけ手足をばたつかせて暴れても岩のように動かぬ巨大な老獏を恨めしそうに睨みつけてみせたが、「まだまだ痩せっぽちじゃの」とため息混じりにトドメを刺され、多々良は観念したように脱力した。
「しかし、珍しいな、お前が顔を出すなんて」
暖々が多々良を目の高さに持ち上げて、こて、と首を傾げる。
「観世重を使いに出すようにしてから、とんと顔を見せなくなったじゃろ」
「へっ、そりゃそうです。話のクソ長い老いぼれ爺になんて付き合ってらんないですよ。それにここ、雄の獣臭いんですよぉ!」
「心外じゃなぁ。ワシ、ちゃんと毎日風呂に入っとるんじゃが」
象の鼻をスンスンと鳴らして身体のあちこちを嗅ぎ、隣にいる観世重に「ワシ臭う?」と尋ねる。すると彼もまた鼻をひくつかせてから「臭いっす」と正直に答えた。
「えぇっ!? そこはお前、気を遣って『そんなことはないです』とか言うトコじゃないの!?」
「爺さんには悪いっすけど、おれ、姐さんの前で嘘はつけないっす。爺さん、さっきニンニクマシマシの一郎ラーメン食ったじゃないっすか。すごい臭いするっす」
「それはラーメンの臭いじゃろ!? ワシが言うとるのはそういう臭いじゃないから!」
「そうなんすか? でもそれを差し引いても臭いっす。なんとも言えない獣臭がするっす!」
「差し引いても――!?」
「差し引いてもっす。たぶんこれが噂に聞く加齢しゅ」
「ええい、皆まで言うでないわ、馬鹿者! 気にしとるんじゃ! 毎日ちゃんと耳の裏まで洗っとるんじゃぞ!」
「いやもう、表面だけ洗ったって仕方ないっすよ。食生活を改善するとか、適度な運動とか。ていうか、身体云々もそうっすけど、着物も毎日変えなきゃ駄目っすよ。いい加減汚いっす」
「くっ……ど正論をぶちかましよってからに……!」
観世重にボコボコにされた暖々は、しょぼん、と肩を落として多々良を床に置いた。
「まぁ良いわ。元気そうで何よりじゃ。ゆっくりしていけ。秋芳殿はもうどんどん食うてくれ。空腹でウチのモン食われちゃあ敵わん。なーんてな。ぬっふっふ」
「暖々は必ずそれ言うよね。僕は生きてるものはなるべく食べないっていつも言ってるのに」
「ぬはは。冗談じゃて、冗談。ワシだってそれくらいちゃんとわかっとるよ。でもなんて言うんじゃろ。悪食にはこれ言っとけ、みたいな? 何かそういうのがあるんじゃって」
「そういうものなんだ。とりあえず遠慮なくいただきます」
「おうおう、食え食え。こないだ地獄の方に行ってきてのう、ほら、年を取るとそう頻繁には行けんじゃろ? じゃから色々買いだめしてきたんじゃ」
むしろ年を取ったら行けるのでは、とも思ったが、もちろん暖々が言っているのは『観光で』という意味である。寿命で死んで行くのとでは当然話は違ってくるのだ。
のそのそと鼻を伸ばし、ちなみにワシはこの『
「そうそう、ボク、今日はその話を聞きに来たですよ」
「ふぉ? 素麺の?」
「素麺じゃないです、地獄です」
「何じゃ多々良、お前、地獄に興味あるのか? 秋芳殿との結婚を諦めて地獄で婚活するのか――ごふぅっ!?」
びっくりした。
多々良がミサイルのように飛んだのだ。
めぎょ、と暖々の腹にめり込んでいる。大丈夫か? 首の骨、折れてない?
「寝言は寝てから言うですよ。ボクがボスを諦めるなんて天地がひっくり返ってもありえないです!」
「うぐぐ……冗談じゃて。お前、頭小さいから思った以上にめり込むんじゃよ。何でこんなに獰猛なんじゃお前は。秋芳殿、お主の育て方にちと問題があったのでは」
「ぬあぁ?! ボクのボスの子育てにケチつけるですか?! オオン?!」
ずぼ、と暖々の腹から頭を抜いて、そのまま後方にくるりと宙返りをし、すた、と着地を決めた多々良が、ガチガチと牙を鳴らす。体格差はやっぱり親猫と子猫なのに、彼女に向かい合う暖々の方が押されている。
「ひいぃ! ワシ、ここいらの獏の親分じゃぞ?! 何でそんな殺意剥き出しに出来るんじゃお前!」
「がるるぅ、ぐるるぅ。関係ないです。誰だろうとボクのボスを悪く言うやつは
「多々良」
「そのたるんだ喉笛を食いちぎってやるですぅ」
「多々良」
「ついでにこのぶっよぶよの腹の肉も減らしてやるですか?! おお?!」
「ひぃぃ! あ、秋芳殿ぉぉ!」
多々良に腹の肉を、むぎゅ、とつねり上げられ、しわしわの犀の目からだばだばと涙を流して助けを求める老獏がさすがに可哀相になって来た。
「多々良やめなさい。ほら、こっち戻れ」
ちょいちょいと手招きをしつつ、少し離れたところの菓子を指差す。
「僕、あれが食べたい。届かない。取って」
離れてるとはいえ、僕だって立って歩くための足はあるんだし、そこまでしなくてもちょっと手を伸ばせば届くようなものだ。だけれども、わざと届かないふりをして、適当に伸ばした手をぱたぱたと振ってみせる。案の定多々良は、嬉しそうに、ぴゃ、と飛び跳ねて、暖々の腹肉から手を離した。
「んもうボスったら、やっぱりボクがいないと駄目ですねぇ。えふふ。さぁさ、ボクがあーんしてあげるですよ」
いそいそと手当たり次第に散らばってる菓子をかき集めてこんもりと積み、よいせ、と僕を膝の上に乗せてせっせと包み紙を剥がす。おお、今日はちゃんと剥がしてくれるのか。
「お、おぉ……さすがは秋芳殿。親というより、なんていうか……猛獣使いじゃな。いや、世話されてるから逆なのか、これ……?」
暖々は少々混乱しているようである。一応ポジションとしては僕の方が親なんだけど。
「ワシが見て来た悪食はなんていうかもっとこう……自立してたんじゃが……」
可愛いですねぇ、バブちゃんですねぇ、などと声をかけられながら、菓子を口に運ばれる僕を見て、暖々がそんなことを呟いた。
「やっぱり暖々くらい長く生きてると僕以外の悪食に会ったりもするんだね。もしかして悪食の寿命ってものすごく短かったりする? 僕、自分以外の悪食に会ったことないんだよ」
だとしたら、僕はとんでもない御長寿悪食になるわけだけど。
すると、暖々はふるふると首を振り、驚くべきことを言ったのである。
「悪食の寿命なんてあってないようなもんじゃよ。だって悪食はそもそも地獄の妖怪なんじゃから」
と。
「え、そうなの? 地獄の妖怪なの? じゃあ僕って悪食じゃないの?」
衝撃である。
五百年悪食として生きて色んなものを食べて来たのに、ここへ来て、まさかの悪食じゃないかも疑惑勃発である。
あまりの衝撃に、差し出された『獄卒長のこん棒』という硬めの麩菓子にかじりつくことも忘れてぽかんと呆けていると、またも多々良が「おのれ
「おわ、食べ始めた。ぎゅふふ、可愛いですねぇ、ほっぺ膨らませてもぐもぐしてるボスってば、幼気で可愛いです。どれ、もっと食べるですよ」
僕が食べてさえいれば、とりあえず多々良は機嫌が良い。
再び訪れた己のピンチが回避されたことにホッと胸を撫で下ろした様子の暖々が、おっほん、と無理やり感のある咳払いをし、いやいや、と首を振った。
「秋芳殿は悪食じゃよ。稀におるんじゃて、こっちの方で生まれる悪食も」
「そうなの?」
「何事も、イレギュラーはあるんじゃよ。ただ本当に、数は少ないがの」
だって、たくさんおればなぁ、とその先をモゴモゴ濁していると、バゴン、と凄まじい音がしてドアが吹っ飛んだ。そこにいたのは、大鍋を持った観世重である。どうやら両手が塞がっているから蹴り破ったらしい。
「つ、次から次へとなんじゃあ!?」
蹴り飛ばされて床を滑る扉を間一髪避けて、情けない声を上げる暖々に、恐らく悪気0の観世重は「素麺十人前茹でてきたっす! これ、どこに置けば良いっすか?」と晴れやかに言った。
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