4 悪食という妖怪

4-1 押しかけ蛇寧の嗄音

 さて、金庫の中身がわかったところで、である。


 わかったところで、はい終わり、とはならない。もちろん。

 逆に中身がわかってしまったせいでさらに謎は深まる結果となった。


 まず、なぜこの金庫の中に伏木ふしきさんの家族写真が入っていたのか。

 それから、なぜ妖怪――蛇寧ジャネイ威針イバリがあの金庫を狙っていたのか。


 ただ、あの憂火ゆうひ――一応伏木さんの家族だし、『君』は付けた方が良いかな――という威針はどうやら伏木さんの家族らしいので、金庫の中の写真については彼の私物である可能性もある――というか、たぶんそうだろう――ため、何らかの手違いで手放してしまった金庫を奪い返しに来た、とかその辺りだと思うけど。盗まれたならともかく、過失なら奪い返す、はないか。


 と、伏木さんに尋ねると、彼女は「そんなところだろうな」と言った。


「ただ私は一切関わってないぞ。私はもう家を出ているし、まさかこれが入ってるなんて思わなかった」


 そう言って、写真を指差す。


「金庫自体はな、まぁ見覚えがあったんだ。実家にあったやつと似てるな、って。だからいつもより簡単に開いた。さすがに私だって初見の岡女金庫ヤツだったら三時間はかかる」

「それでも三時間なんですね……」


 いつの間にやら目を覚ました杣澤そまざわ君がちゃっかり会話に混ざって肩を落とす。彼はたぶんまだ伏木さんが半妖であることや窓の外の妖怪が彼女の家族であることを知らない。その辺の話は彼が伸びている間に終わってしまったからだ。説明してあげた方が親切だろうか、ともよぎったが、まぁそういうのは雇い主の伏木さんが然るべきタイミングで、適切な言葉で行うべきだろう。デリケートな話だし。ていうか、そうなると彼はあの金庫が伏木さんの『実家にあったやつと似てる』という件をどんな感情で聞いていたんだろう。聞き流したのかな。


「それで、開けてみたらこれだ。――おい、馬鹿兄貴。どういうことだ、おお?」


 すっくと立ち上がった伏木さんが窓をがらりと開けて、憂火君に向かって怒鳴りつける。成る程、お兄さんなのか。杣澤君は「は? お兄さん? 鳥が?!」と驚いている。こんな流れ弾みたいなカミングアウトで大丈夫なのか、伏木さん。


 そして、窓の外で正座待機していた憂火君は、彼女の怒声にびくりと肩を震わせた。豊かな羽毛が、ぶわぁ、と膨らみ、数枚の羽根が抜け、風に乗って飛んでいく。どう見たって成体の威針の姿ではない。これはお父上が見たら泣くぞ。


「ち、違う。おれじゃないんだよ」

「はぁ? じゃあ誰なんだよ、ああ?!」 

「だ、だから、おれじゃなくて」

「だーから、兄貴じゃなかったら誰がやったんだ、って聞いてんだよ」

「と、父さんが……」

「はああぁ? そんなわけないだろ、あの親父だぞ!? あの親父が母さんの形見の金庫を手放すはずがないだろ!」

「それはそうなんだけど」


 形見が金庫って、それはそれですごいな。ていうか、ここまで言われる伏木さんのお父上は一体何者なんだ。そんな僕の疑問に答える形で、にゅ、と現れたのは多々良だ。


「基本的に威針の雄は一途ですからねぇ。一夫一妻ですし」


 その声と共に、きんつばの詰まった行李が僕の眼前にカットインする。彼女は別室に置きっぱなしになっていたこれを取りに行ってくれていたのである。ありがたい。だけど欲を言えばそろそろ何か別のものも食べたい。伏木さんもね、いくら僕の好物がきんつばだからって、こればっかりってどうなの。


「ボス、お待たせしました。ほーら、お腹空きましたねぇ。お口あーんするですよ」

「んあぁ」

「ふはは。ちゃんと大きくお口開けるボスってば雛鳥みたいで可愛いですねぇ。えふふ、どんどん食べて大きくなるですよ」

「だから、僕はどれだけ食べても大きくならないんだってば」

「わかってますよぅ。わかってますけど。なんて言うんですかねぇ、母性? そういうのに目覚めそうになるんですよねぇ。にゃはは」


 母性でも何でも目覚めてもらって構わないけどさ。


「いやしかし、威針が人間を娶るなんて珍しいですよ。何せ生涯に一匹としか番わないんですから。人間なんて寿命の短い生き物を娶ってしまったら、残りの人生どうするんですかねぇ」


 ボクは明水あけみさんが威針と人間の半妖とわかって、真っ先に心配したのがそこですよ、と多々良は、ふんす、と腕を組む。


 しかしどう見ても兄の方が押されている。威針の生態から考えれば、伏木さんと憂火君は同じ母親から生まれたのだろうし、ということは、彼もまた半妖だ。ただし、彼の場合は威針の要素はすべてその外見にのみ出てしまったようで、恐らく能力的にはほぼ人間なのだ。そしてその反対に伏木さんの方は中身が妖怪だった、と。妖怪と人間との間に生まれた子どもはこういうパターンがほとんどなのである。


 羽があるから空くらいは飛べる。けれども、叫鳴が出来ないから、人間を平伏させることも出来ない、見た目が妖怪の憂火君。

 人間の身体だから空も飛べないし、恐らく発声器官の問題で、せっかくの叫鳴もそこまでの威力を持たない、見た目が人間の伏木さん。


 妖怪として生きるにも、人間として生きるにもどっちつかずである。それでもまだ伏木さんの方が生きやすいかもしれない。彼女の性格もありそうだけど。


「おい、憂火を責めるなよ。こいつはな、親父さんの尻拭いをしてやってんだから」


 見かねた蛇寧が首を突っ込んで来た。自称・憂火君の彼女である。こっちでも拭う尻があるのか。


「何だと」

「オレみたいな蛇寧の言うことなんか信じらんねぇって思うかもしれねぇけど、ガチな話だぜ? あの金庫をうっかり手放しちまったのは水鉤みかぎさんだ。人間のリサイクル業者が不用品と間違えて持って行っちまったんだよ」

「はぁ? 何てことすんだ、業者め」

「業者は責めらんねぇよ。何せ同じ部屋に置いてあったからな。本当は除外の札を貼っておくべきだったのに、水鉤さん、それを忘れてたんだろ。それか、貼りが甘くて剥がれちまったか、だ。とにかく、そんなくだらねぇ理由だよ」


 あの親父さん、最近ちょっと抜けてんだよなぁ、と細い舌をちろちろさせながら、蛇寧の嗄音が言う。全然伏木さんに負けてない。


「……それで親父は何やってんだ。てめぇのケツくらいてめぇで拭けんだろ」

「それが、余程ショックだったらしくて、ずっと臥せってる。たまに起きて、金庫がないって暴れ回るんだ。で、探し出せ、っておれに怒鳴り散らすんだよぉ」


 もじもじと、長い鉤爪を擦り合わせつつ、もそもそと言う。せっかく見た目は立派な威針なのにもったいない。でもまぁ中身が人間なら仕方ないか。


「明水に相談しようかとも思ったけど、絶対怒られると思ったし、それにいまどこに住んでるのかもわからなかったから、おれが何とかしなくちゃって思ったんだけど、どこの業者かもわからなくて」

「何かその業者もな、親父さんが頼んだわけじゃなくて、突然訪ねて来たんだってよ。でっけぇトラックで回って来てさ。あんだけ持ってって、置いてったのトイレットペーパー一個だぜ? ありゃあ騙されたんだって、絶対。せめてオレがいる時だったら追い返したんだけどさぁ」


 憂火君の補足をする嗄音は得意気だ。この感じからしてどうやらちょいちょい家に出入りしているのだろう。どうやら蛇寧の雌は押しかけ女房タイプらしい。


「最初、憂火が一人で頑張ってたんだけどな。まぁ、明水だってわかるだろうけど、絶対無理じゃん」

「それは確かに」

「だろ?」

「そんな! 酷いよ明水も嗄音も! おれだってやる時は――」

「やれねぇじゃん」

「私は事実しか言ってない」

「うう……」


 妹と自称彼女にぴしゃりと言われ、大きな大きな威針の憂火君はしょぼんと肩を落とす。それでもまだ全然大きいけど。


「業者を突き止めるのにも何ヶ月かかったやら。見つかったら見つかったで、真正面から乗り込んでそこの用心棒に追い返されたりしてさ。そうこうしてるうちにナントカ倉庫が買い取っちまった後よ。気づけばその『NetAucネターク』とかいうやつに出品されちまってな。でもオレらには競り落とせねぇし、まさか忍び込んで奪い返すわけにもいかねぇだろ? いや、この馬鹿はそれも考えてたんだけどな? どう考えたって失敗する未来しか見えねぇし、手伝うしかねぇだろ。人間を相手にして失敗とかマジ笑えねぇからな。下手したら一族みんな目ェつけられるし」

「一理あるな」

「そこからは地道な作業だよなぁ。そこの社長の声真似をして、従業員に出品ページのタグをちょいちょいいじらせたりしてよぉ。ただまぁ、本当は、競り落とされてから動くつもりだったんだよな。だってそうだろ? 誰が競り落とすかなんてわかんねぇんだもん。だからさ、マジで全くの偶然だったんだよ。たまには息抜きしようぜってことで温泉入りにこの辺プラプラしてたら、ここの夫婦がネタークのヘビーユーザーだって噂が耳に入って来たんだ。そんじゃ、こいつらに買わせよう、って思って、夜な夜な金庫金庫って囁き続けたわけよ。一瞬でも目に入った時に気になっちまうようにな。目に留まりさえすりゃこっちのもんだから」


 ふふん、と嗄音が偉そうにふんぞり返っているその後ろで、もう既に尻に敷かれまくっている様子の憂火君が「……とまぁ、そういう具合で」と締めた。


 もうほぼほぼ彼女の働きである。

 そしてとんでもなく回りくどい。

 恐らく、この場にいた全員がそう思ったはずだ。もっと他にもやり方はあったんじゃないかとか。普通に事情を話して返してもらうんじゃ駄目だったのかとか。


 それが通じたのか、嗄音は少し気まずそうな顔をして、仕方ねぇだろ、と舌を出す。


「オレらみたいなのが真正面からお願いにいったって、人間は話なんか聞いちゃくれねぇよ。オレも憂火も異形こんなんだしな。異形でもせめて河童とか唐傘小僧とかメジャーなやつならまだ何とかなるかもだけど、見ろよオレ達をよ。蛇頭に巨大な猛禽だぜ? 無理だろ? だからどうにか穏便に穏便に――って考えた結果がこれ、ってわけだ」

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