4-2 一件落着、とはならない

「だけどここまで手の内を明かしちまったからな。計画通りじゃねぇけど仕方ねぇ」


 そう言って嗄音あいねは、ずぼ、と憂火君のもふもふの羽毛の中に手を突っ込んだ。そして、すぽ、と取り出したのは、やや厚めの封筒である。


「どうだ、これで足りるな、人間」

「――っひぇ?! な、何ですか!?」 


 その封筒を窓から、ぽい、と投げる。それはうまい具合に隆之さんの目の前にどさりと落ちる。彼は爆弾でも投げ込まれたかのように、ずささ、と飛び退いたが、四つん這いになり、再びシャカシャカとそこへ戻って封筒を手にした。


狐月キツツキを騙った以上、何らかのツキはくれてやらんといけねぇからな。それ、やるよ。そんで、代償としてそこの金庫を中身ごともらってく」

「え、ええと、こちらとしましては、こんな金庫なんてそもそもいらなかったわけですし、別にこんなものをいただかなくとも……ですがまぁ、いただけるというなら、ねぇ……?」


 へへ、と笑ってそう言いつつ、封筒の中身を、すすす、と取り出す。まぁ、普通に考えたら札束だろう。厚さを考えたらとんでもない大金だ。


 が。


 中から出て来たのは、一目でこの国の紙幣ではない、とわかるドギツイ桃色の色紙である。この国の紙幣ではないし、こんな目がチカチカする色の紙幣を採用している国があるとも思えない。あ、でもお財布の中で目立って良いのかも。


「え、何これ」

「お前の嫁がよく行くスーパーで配ってんだろ、ほら、千円以上で一枚もらえるやつ。三枚集めたら福引が出来る、っていう」

「え、あ、まぁ、そう、ですね。はい」

「大変だったんだぞ? それだけ集めるの。感謝しろよな。三十回は出来る。それだけやりゃあ特賞間違いなしだ!」

「特賞ったって、そのスーパーの商品券三千円分とかですよね?!」

「おああ? 何か文句あんのか人間?!」

「ひぃっ!? あ、あああありませんっ!」

「そんじゃ、商談成立ってことで」


 おい、話はつけてやったぞ、運ぶのはお前な、と後ろで小さく(なってないけど)なっている憂火君に指示を出す。彼らの結婚生活が見えたな。それで良いのか憂火君。




 それで無理やり話を畳んで、一件落着――とはならなかった。

 いや、金庫は無事本来の持ち主のところに戻ることにはなったし(家の外に運んだのは多々良だけど)、諸々細かいところに目を瞑れば一件落着ではあるのだ。畳もうと思えば畳める。


 ただ、目を瞑れない部分があるだけで。


 トキテレビのスタッフさんも全員撤収し、それじゃそろそろ僕達も、とフシキ堂の社用車であるミニバンに乗ろうとした時だった。


「おい、そこの雌蛇」


 多々良が動いた。

 

「何だよちびっ子」

「お前とだったら大して変わらないですよ。威針の威を借る蛇寧風情が偉そうに」

「はっ、あいつのどこに借りられるほどの『威』があるっつぅんだよ」

「それは確かに」

「止めなよ二人共。憂火君がズタズタだ。憂火君もさ、あの二人の言うことにいちいちショック受けてたら身が持たないって。聞き流しな?」


 どうやら腕力というか、筋力の部分は妖怪であるらしい彼は数十キロはあるであろうその金庫を軽々と持ち上げてみせ、その点について、妹である伏木さんに褒められていた。けれどそれで少々取り戻しかけていた自信は、多々良と嗄音のその会話で再びべしゃりと潰れてしまったようである。斐川家の庭に金庫を置いて蹲り、しくしくと羽を震わせている。


「まさか悪食様に慰められる日が来るとは。ううう、もう良いです。いっそ悪食様に召し上がっていただいた方が良いんだ、おれなんて、おれなんて」

「ちょっと待って。どうしてそういう話になるのさ。食べないってば」

 

 蹲ってもほぼ目線が同じくらいの憂火君が、どうぞ、とでも言わんばかりに、猛禽の目をくわっと見開いて見つめて来る。待て待て待て待て、とそこに嗄音が割って入り、「こいつは駄目だ。こいつを食うならオレを食え!」とガタガタ震えている。口の端からチロチロと見える舌も真っ青だ。えっ、そこが青くなるの?


「だから。食べないってば。食べない食べない。何なの君達。君達の中で僕って、そういう存在になってるの?」

「ボクも気になっているのはそこです! お前達、ボスの――悪食の何を知ってるですか!」


 小走りで距離を詰めてきた多々良が、どういうわけだか、ぎゅう、と僕にしがみついて、がるる、と吠える。


「白状せよ、白状せよ。洗いざらい白状せよ。さもなくば、ボスではなく、ボクがお前達に噛みつくことになるですよ」


 がうがうと人間の姿で威嚇するが、その小さな身体では何の迫力もないはずである。はずなのだが、どうやら憂火君に至っては既に多々良は十分に恐怖の対象になっているらしく、すぐ近くにいた嗄音を抱き寄せてガクガクしている。てっきりそのまま彼女を差し出して自分だけ助かろうとでもするのかと思いきや、翼の中にすっぽりと隠れてしまうほどに小さな蛇妖怪をぎゅうと強く抱いて多々良に背を向けている姿から察するに、彼の意図としてはどうやらその逆らしい。


「何を知ってるって」

「悪食のことです。なぜ『様』なんかつけるんですか! もちろんボクのボスがあまりにもキュートなバブちゃんだということは否定しませんし」

「多々良、そこは否定してくれ」

「ついつい『様』でもつけて崇め奉りたくなる気持ちもわからないでもないですが」

「多々良、僕は『ついつい』で崇め奉られたくないんだけど」

「他の悪食はどうか知りませんが、ボクのボスは、生きているものを見境なく食らうような節操のない妖怪ではないです!」

「多々良、そこだけはばっちりだ」


 ぎゃいぎゃいと多々良が騒ぎ、さすがにこれはご近所から苦情が来るのではと焦ったらしい伏木さんが「君達、まずはちょっと落ち着きたまえよ」入って来る。


「兄貴、その金庫を家に置いたらいつでも良いからウチに来い。その蛇女は来ても来なくても良いが。その時は、秋芳君と多々良も呼ぶから、気になることがあるならその時にゆっくり聞けば良いだろ。人様の敷地内で騒ぐな」


 これでどうだ? と譲歩するようなトーンではあるが、目の圧がすごい。これでどうだ、ではなく、それで良いよな? の目だ。


「帰るぞ、秋芳君。多々良も」


 誰からの返答をも待たずに、さっさと助手席に乗り込む。ベルトを締め、窓を全開にして電子タバコを咥える。


「ほら、置いてくぞ。せっかく来たんだし、鬼怒川温泉にでも行こうじゃないか。秋芳君もさすがにそろそろきんつばに飽きただろう? 何か美味いものでも食べようじゃないか。安心したまえ、私の奢りだ」


 タバコを咥えたまま器用にそう言い、くいくいと手招きする。僕としてはもう全然異論はない。伏木さんの言う通り、そろそろきんつばの味にも正直飽きてきている。といっても、明日になればまた食べたくなるんだけど。だけど、いまはちょっとしょっぱいものが食べたいかな。


「多々良、行こう」


 そうは言っても気になるのだろう、多々良は少々渋り気味でムームーと唸っている。仕方ない、出来るだけこの手は使いたくなかったが、やむを得ない。そう思って、彼女の手を取り、くい、と優しく引く。


「僕、もう帰りたい。お腹空いたし、温泉にも入りたいなぁ。顔も髪もなんか塗られてべたべただし。多々良、洗ってくれるだろ?」


 そう言いながら、自分よりほんの少しだけ低い位置にある肩に額を擦りつける。


「ぎょへぇ! ボス可愛い! ボスが可愛い! 甘えてるボス可愛いです! 温泉はもちろん妖怪専用風呂があるところですよね!? どうなんですか明水さぁん?!」


 頬を真っ赤に染め、ふっすふっすと鼻息荒く伏木さんに問い掛けると、彼女は左手の親指を立て「もちろんだ」と返してくる。


 多少名の知れた温泉宿であれば、大抵の場合、妖怪専用風呂というものが設けられている。妖怪の中には全身が毛むくじゃらだったり、鱗肌だったりする者がいるため、その抜け毛やら何やらが不快だという人間側からの苦情が多いのだそうだ。そして、雌雄が曖昧な種族もいるため、妖怪専用風呂は基本的に混浴である。まぁぶっちゃけ僕みたいなのは別に人間の方に入っても問題はないんだけど。


 運転席の杣澤君が「畜生……っ! 俺も妖怪だったら秋様と一緒に入れたのに……っ!」とぶるぶる震えている。杣澤君はまだ僕のことを雌の妖怪だと思っているから、彼の前では男湯に入れないのである。いや、いっそ裸の付き合いでもすれば僕が雄の妖怪だということをさすがに理解してくれるんだろうけど、何となく身の危険を感じるので、保護者伏木さん防犯システム多々良の目の届かないところで二人きりになりたくないのだ。


「うっひっひ。羨ましいですか、木偶助でくすけぇ! うふふ、ボス、お背中流して差し上げますねぇ! もちろんお背中に限らずそこ以外も流して差し上げますけどっ! あーんなところも、こーんなところも! ぎゅふ!」

「多々良、よだれよだれ」

「おっと、ボスとのめくるめく入浴回を想像していたら、お口がゆるゆるですよ」

「何をどう想像したら口がゆるゆるになるんだ」


 どうなってるんだ、獏の唾液腺。


「さて、こうしちゃいられないです。そうと決まればさっさと出発ですよ」


 ぐいぐい、とよだれを乱暴に拭いて、僕の身体をひょいと持ち上げ、にゃっはにゃっはと機嫌よくフシキ堂の社用車へと向かう。二匹の妖怪はすっかり置いてけぼり状態になっているものの、伏木さんと多々良の剣幕に呑まれてしまっているのか、その場を去ることも出来ないようである。


 そんな二匹の妖怪の方をちらりと見、


「お前達、必ず来るですよ。ボスはお前達を取って食ったりはしませんけど、必ず手土産を持参すること! 良いですか!? 食べるものですよ!? 良いですね?!」


 びしり、とそう言って、多々良もやはり彼らの返事を待たずに、僕を社用車に押し込めると、テキパキとベルトを締め、自身も乗り込んでドアを閉めた。どうして僕の周りの女性陣はこうも一方的なのだろう。


 どういう感情によるものかわからない涙をだばだばと流している杣澤君の運転で車は走り出した。この車がこのまま地獄に向かいませんように、と祈るしかない僕である。

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