3-4 金庫の中身
結論から言うと、金庫は開いていた。さすがは伏木さんである。どうやら杣澤君からバトンタッチして、ものの五分で開いたらしい。
「いやぁ。あの時の欽の顔ったらなかった」
と伏木さんが腹を抱えて笑い、そのそばで正座をしている杣澤君が見たことないくらい小さくなってしょげていたのがいたたまれなくて、もうやめてやんなよ可哀相に、と、仏心を出したのが運の尽き。「あなたの優しさに溺れてしまいそうです!」と抱き着かれて、多々良のパンチがクリーンヒットし、現在彼は部屋の隅で伸びている。獏の方の多々良だったら即死だった。
それで、だ。
金庫の中身だが、まぁ往々にして、こういう開かずの古い金庫にはろくなものは入っていない。とんでもないお宝が入っているなら、所有者だってむざむざ手放すはずがないからだ。例え、鍵なりダイヤル番号なり、開ける手段を失ったとしても、どんな手を使ってでも開けるだろう。それなのに、そういうこともせず何年、何十年も放置するということは、そうまでして開けなくてはならないものが入っていない、ということなのである。
だから例に漏れずこの金庫も――と言いたいところだが、入っていた。僕が食べても良いものは入っていなくてがっかりだったけど。
入っていたといっても、まぁ正直、お宝ではない。大金とか、金の延べ棒とか、あとは何だろ、とにかく金銭的な価値というか、歴史的な価値というか、とにかく世間一般の尺度で『価値がある』というものは入っていなかったその代わりに――、
「随分古い写真ですねぇ」
かなりぼろぼろの、それでもまだ保管状態が良かったのだろう、きちんとそこに写っている人物が判別出来る状態の写真である。当時としてはそれが当たり前だったのか、きちんとした台紙に挟められたやつだ。いまのようなカラーのものではなく、白黒の。白黒というか、セピアがかっている。写真という文化が日本に渡ってきた直後くらいのやつだろう。
「これさ、なんていうか、家族写真、だよね? 人間と――」
写っているのは、一人ではない。そこに写っているのは、そっくりな顔をした母子らしき人間が二人と、それから、
「
威針が二匹。
そう言って、伏木さんを見る。
彼女は、ちょっと困ったような顔をしてから「そうだな」と、頷いた。
テレビ局の人達は撮るものを撮ったら即撤収ということで、取材で使用した方の部屋から機材を引き下げている。だからいま、この部屋にいるのは、金庫の持ち主である斐川隆之さんと、フシキ堂の二人、それと僕らだ。二匹の妖怪は窓の外で正座させられている。誰にって、もちろん伏木さんにだ。番組的には、金庫が開いたところも撮ったし、中に入っているものも――もちろん写真だし、写ってるものも写ってるものなのでモザイク処理することをぎっちりと約束した上で――撮ったので、あとは編集で、ということらしい。隆之さんへのインタビューは僕達が部屋を出た後で撮ったのだとか。
もちろん家洲さんは食い下がった。せっかく鳥と蛇の妖怪が二匹もいるのだ。しかも、よくわからないが、僕らには頭が上がらないときている。つまりは、こちらに危害を加えてくることもないということだ。ならばそれを撮らない手はない、と。けれどそれを伏木さんが許すわけもなく、彼女の命で獏化した多々良に死ぬほど脅されて引き下がった形である。
ただ、僕の方にはちゃっかり名刺を握らせて、
「多々良ちゃんなら絶対にスターになれますよ! ね? 秋芳さんもそう思うでしょう!? いつでも連絡してください! あっ、もちろん秋芳さんとのセットでも全然構いませんからぁ!」
とは言って来たけど。
このしつこさというか、熱心さが評価されていまの地位にいるのかもしれない。そこは単純にすごいと思うけど、僕は多々良をこういう世界に入れる気はないし、僕だって嫌だ。だから、お断りします、ときっぱり告げた上でもらった名刺を食べた。
「え?! た、食べた?! もしかして、秋芳さんって、山羊の妖怪……? 道理で白いわけだ」
「山羊じゃないです。白いのは関係ないです」
「だっていま紙を……」
もう一枚食べます? と恐る恐るもう一枚差し出された名刺を断って、その代わりにと、彼の胸ポケットに差してあるボールペンを抜き取る。一応、高価なやつじゃないかを確認してから、それを咥えてぱきりと折った。
「え」
ぱきぱきぺきぺきとチョコがけプレッツェル菓子のように、ゆっくりそれを食べる。
「僕、山羊の妖怪じゃないです。何でも食べるっていうだけの妖怪です」
「な、何でも?」
「はい」
「腐ってても? その、カビが生えてるとかも?」
「問題ないです」
「めちゃくちゃ硬いとか苦いとか……」
「硬かろうが苦かろうが熱かろうが冷たかろうが毒だろうが僕より大きかろうが形がなかろうが何だろうが。生きてるやつでも食べられますよ。可哀相なのでなるべく生きたままは食べないつもりですけど。でも、どうしてもって言うなら、食べても良いです」
んがぁ、と大口を開けて見せる。見た目は特に人間のものと変わらない。歯が特別多いとか鋭いとか、特殊な唾液が分泌されているとかではない。粘膜とか胃液くらいは多少特殊かもしれないけど、見た目的には普通の人間だ。だけれども、僕の歯はどんなものでも食い破り、僕の胃はどんなものでも消化してしまう。それでいて、排泄はしない。食べたものはすべて吸収してしまうというのに、栄養になっているのかどうかはわからない。だって僕は、どれだけ食べても縦にも横にも大きくならないのだ。
僕のこの行動は、まぁ、いわゆる威嚇というやつである。
僕は何でも食べられます。あなたのことも食べられます。だから逃げた方が良いですよ。そういう意味だ。僕には、鋭い爪も牙もないし、獣型の妖怪のような恐ろしい咆哮も上げられない。だけれども、
案の定――、
「ひゃああああ!」
家洲さんにも正しく機能したらしい。よし、これで諦めてもらえるな、と思ったのだが。
「と、ということは、大食い企画でイケそうですね! よ、よし、イケるイケる。ゴールデンタイム二時間の枠を押さえて特番か。いや、まずは深夜枠で様子を見てゴールデンに進出という手も……? いやいや待て待て」
さっきの悲鳴は何だったのか、彼は青い顔のままぶつぶつとそんなことを言い、よし! と勢いよく膝を叩いて僕の手を取った。
「わっかりましたぁあ! 天使のような顔してゲテモノでも何でも食べちゃう大食いスター爆誕ですよ! 秋芳さんの冠番組を作りましょう! こうなったら深夜枠で様子見なんてケチ臭いことは言いません! やってくれますよね!?」
額の汗と瞳をキラキラさせてそんなことを言ってきたが、僕の答えはもちろんNOだ。再びやって来た獏状態の多々良に、彼は死ぬほど脅されて今度こそすごすごと退散したのである。
話を戻そう。
金庫から出て来た写真である。
どこからどう見ても家族写真なのである。それも、かなり畏まったやつ。その時用意出来る最も高価な着物に袖を通し、歯を見せて笑ったりもせず、かといって微笑むでもなく。ほんの少し緊張した、真面目くさった顔で。前列で座っているのは母親とその娘のようだ。どちらもよく似ている。その後ろにいるのは、大きな大きな猛禽型の妖怪だ。これが人間の家族写真なら、後列の者は立っているはずなのに、彼らもまた椅子に座っている。じゃないと収まらなかったのだろう。
「伏木さんだよね、この子」
若い母親の隣にいる、女の子を指差す。多分かなり値の張る着物を着ているはずだ。色はもちろんわからないけど。
「そうだな」
「きれいだね」
多少はお世辞のつもりでそう言うと、伏木さんは目を丸くして息を呑んだ。
「なんでそんな顔するの」
「君に人間の美醜がわかるとはな、って。単純に驚いたのさ」
失礼な、とちょっとムッとする。けれども、確かに僕は人間の美醜に関してはちょっと疎いかもしれない。妖怪の方ならちょっとはわかるんだけど。そういや、あの憂火とかいう威針はかなりの美妖怪だったな、などと窓の外を見る。そこで気付く。
「ていうかさ、こっちは彼だよね」
「まぁ……そうだな」
「てことは、やっぱり家族なの? 伏木さんと、あの憂火って威針」
「そうだ」
「やけにあっさり白状したね」
「うん……まぁ」
「隠してたんじゃないの? 半妖だってことも」
「隠してたよ。隠してたけどさ。でもどう考えてもこの状況で隠しきれないだろ」
「だろうね」
いつかは明かす気だったのかもしれない。
それかもしくは、頃合いを見計らって僕の前から姿を消すはずだったのだろう。さすがの僕だって、彼女が何年も老いなかったら不思議に思うだろうし。
「テレビに出たくないのもそのためだ。顔が知れてしまったら、色々やりにくいしな」
「だろうね」
「なのに、あの馬鹿が受けたりするから」
まだ伸びている杣澤君を見て、苦笑する。
「ただ、秋芳君と多々良には伝えられて良かったよ。君達にはいつか言おう言おうと思ってたからさ」
そう言って伏木さんは疲れたようにへらりと笑い、
「百五十もサバを読むのって、結構疲れるんだよね」
と言った。
だろうね。
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