2-3 『狐月』『蛇寧』『威針』
「キツツキ、っていうのは、その、鳥のことですか?」
「でも、妻が見たのは、
その大きさを説明しようとしてくれているのだろう、隆之さんは、両手をめいっぱい広げている。
「いや、違います。鳥じゃなくて、狐の妖怪です。『狐』に『月』……、あの空に浮かんでる方ですね、その『月』と書いて、『
狐月、というのは、そこそこ厄介な妖怪だ。
まぁ、妖怪そのものが人間にとっては厄介なものばかりなんだけれども。
例えば、最近何だか妙にツイてるな、と思うことはないだろうか。特にこれといって何もしていないのに、急に運が向いて来た、というような。そういう時、ただただ「ラッキー」と思うだけの人間もいるだろうが、「いまツイている分、あとで何か悪いことが起こるのではないか」と考える人間が一定数いる。そして、往々にして、それはその通りになる。というか、些細な失敗や、普通に生きていれば当たり前に被る程度のちょっとした災難の類を過剰に受け取り、すべてその『悪いこと』にカウントしてしまうからだ。
それで確信を持ってしまう、何の努力もなしにやって来たツキというのは、後に災いをも運んでくるのだ、と。
そんな人間の考えが年月を経て妖怪になったのが『狐月』だ。なぜ狐の姿なのかはわからないけど。
とにもかくにも、この妖怪は、標的と定めた人間に対し、ありとあらゆるツキを運んでくる。もちろん彼らの出来る範囲のツキだから、いきなり自宅の庭から石油が噴き出すとか、異世界に転生してチート&ハーレムでウッハウハ、なんてことは起こらない。
「まぁせいぜい、宝くじで十万円当てるとか、好きな子の裏アカ特定くらいなもんじゃないですかね。そんで、さんざん良い思いさせておいて、最後の最後にきっつい厄をドーン、ですよ」
僕の説明に補足する形で多々良が例を挙げる。ふんす、と象の鼻から生暖かい鼻息を吹いて、ですよねぇ、ボス? と問いかけながら、きんつばのフィルムを剥がしつつ、前後左右にゆらゆらと揺れ出した。やめて、酔うっていうか、寝そう。あと、ウラアカって何?
「う、裏アカ!? そ、そそそそれって、アイドルとか声優とかでもイケますか?!」
さっきまでちょっと不安そうな顔で話を聞いていた隆之さんが身を乗り出してきた。アイドル、という単語で自分のことではと思ったのだろう、千石さんが、多々良の毛皮をぎゅっと引っ張って、「マジキモい」と身を固くしている。
「最近の妖怪ですから、ネット関係にも強いんですよ、あいつら。セキュリティが甘けりゃ声優だろうがなんだろうが、出来るですよ」
「すごい! えぇ、なんだ、そういうことなら全然……!」
上気した頬をつやつやさせ、狐月さん、来てくれないかなぁ、などととんでもないことを口走り始めた隆之さんである。
「でもさ多々良、それってあれだろ。相手にバレて裁判沙汰になった上、奥さんと別れて親権も取られ、最終的には自己破産まで追い込まれてホームレスになって凍死した人間の話。隆之さん、ちなみにそれが狐月の『厄』のレベルなんですけど」
それでも良いなら僕は構いませんが、と付け加えると、隆之さんは、さっきまでの勢いを萎ませて、「え、遠慮しときます……」と背中を丸めた。
「それで? どうなんです? そこの人間」
「多々良、隆之さんだよ」
「隆之さんとやら、どうなんです? 何かツキまくってるんですか?」
もし身に覚えのないツキがあるのだとしたら、かなりの確率で狐月が関わっているものと思われる。鳴き声まで聞いているわけだし。ただ、それだと蛇と鳥は何なんだ、という話になるのだが。
「いえ、それが特に」
「じゃあ何でそこまで妖怪妖怪言うですか? 別に何も起こってないならコンコン聞こえたって無視してりゃ良いですよ」
「いや、多々良、そうもいかないだろ。だって鳴き声の他に蛇と鳥の妖怪は目撃してるんだから。ああそうだ、そっちの方はこれといって特徴はないんですか? 猛禽っぽくてデカい、としか聞いてないですけど。蛇の方とか」
「鳥は、さっきもお話した通りで、とにかくデカかったです。ええと、獏さんよりももう少し大きかったかなぁ」
「多々良よりも大きい鳥の妖怪かぁ。見た目は猛禽……だとすると、『
「ああ、威針かもですねぇ。隆之さん、そいつは鳴いてなかったです? 威針は鳴き声さえ聞けば一発なんですけど」
「いえ、何も。妻の姿を見たら、その蛇の妖怪と一緒にさっと逃げてしまったみたいで」
逃げた。
鳴かずに。
威針が。
そんなことが、と思いながら顔を上げると、恐らく同じことを考えたのだろう、多々良が背中を丸めて僕を覗き込み、無言できんつばを口の中に突っ込んで来た。ねぇ、そろそろお茶も欲しいんだけど。
「威針が鳴かずに逃げるってちょっと信じられないですねぇ」
「それは僕もそう思う。あとは蛇の方だけど……。隆之さん、その蛇は、大蛇でしたか? それとも、頭部が蛇の蛇人間みたいなやつでした?」
「え、ええと、その辺は家内に詳しく聞いてみないとですが……。でも、妖怪、って言ってましたし、蛇人間だったんじゃないかと。だってほら、大蛇だったら、デカい蛇って言いますよ、きっと」
「成る程、確かに。とすると――」
『
「あの、こっちには全然わからないんですけど、その、イバリだのジャネーだのって。そっちもちゃんと説明してくれません?」
その言葉に、美冬君と千石さんもこくこくと首を振る。
「威針はそこそこ古い妖怪ですが、蛇寧は狐月と同じく新しめの妖怪ですね。それで、威針と蛇寧はこの辺じゃなくて、山陰地方の妖怪なんです。妖怪って基本的にその土地につくものだから、この辺の方はあんまり知らないと思いますけど――」
***
その昔、山に入った若い男が、どこからか「どうだ、どうだ」というような声を聞いたのだそうだ。
頭の中で鳴り響くようなその声がどんどん大きくなるに従って、自分の意思とは裏腹に、膝をつき、頭を垂れ、目に見えぬその声の主に向かって伏すような体勢になってしまう。「どうだ、どうだ」という威張り散らしたその声は脳をぐわんぐわんと揺すり、逃げ出したくとも身体は伏した状態から動けず、わけのわからぬ恐怖と戦っていると、背中にチリっとした痛みが走ったらしい。それを機に身体の緊張が解け、
もしかしたらそれは、うまく鳴くことが出来ない鳥の雛の声か何かだったのかもしれないし、それを聞き間違えて勝手に恐怖を覚え蹲っていたところに偶然風に飛ばされてきた木の枝にでも引っ掻かれたのかもしれないが、驚くべきことに、同様の事件は立て続けに三件ほどあったらしい。こうも続くのならと、人間は、それを怪異として認めた。威張り散らすような声で鳴き、鋭い
人間の『畏怖の念』は、年月を経て形になった。輪郭と、質量を持ったのだ。
そして、その、生まれつきうまく鳴けないという理由で親から捨てられた哀れな雛は、もやもやと形を成し始めた人間の『畏怖の念』を取り込んで妖怪となった。
人間は想像した。
背に受けた傷から考えるに、そいつは、鋭い爪を持っているだろう。
風に乗って一瞬のうちに切り裂いたということは、恐らくは鳥のような姿をしているだろう。
そしてそいつは、鼓膜を震わせる声で「どうだ、どうだ」と威張り散らすように鳴くのだ。
そうして出来上がったのは、細く鋭い鉤針状の爪を持つ、巨大な鳥の妖怪である。
***
「それが威針という妖怪です。さすがに最近はいたずらに人を傷つけたりしないみたいですけど、つまりは、めちゃくちゃ威張り腐ってるんです。人間なんて鳴き声一つで平伏させられるんですから、妖怪が相手ならまだしも、余程のことがない限り、鳴かずに逃げるなんてことはないはずなんですよ」
きんつばを咀嚼しつつ説明する。多々良に「そこのお茶取って」というと、あいあい、と機嫌よく返事をして、テーブルの上に用意されたウーロン茶に手を伸ばした。
「そんな恐ろしい妖怪だったとは……。でも、家内は確かに逃げた、と言ってました。あの通り、まぁ怒ると怖いんですけど、腕力はないもので、恐らく威嚇して追い返すとか、そういうことは出来ないと思うんですけど」
「妖怪相手に下手なことをすれば危ないですから、無理に追い返そうとしない方が良いですよ」
妖怪と認めるや否や、棒を振り回したり、火を近付けたり、何なら殺虫剤を吹きかけたりする強者がいるのだ。確かにそれは、隙を作るくらいのことは出来るかもしれない。けれど、ほんの一瞬である。大抵の妖怪は棒きれで打たれたところで痛くも痒くもないし、火を恐れたりしないし、殺虫剤だって、ちょっとベタベタするし苦いな、くらいのものである。それよりも、それらの行為によって「敵意を向けられた」「攻撃された」と受け取るため、やられたらやり返すの精神で攻撃してくるのだ。こうなれば、どんな低級妖怪でも、人間単体ではまず勝てる相手ではない。
「ええと、そのイバリ? とかいう鳥の方はわかりました。それじゃ、蛇の方は? ジャネー、でしたっけ」
恐る恐る問い掛けて来たのは美冬君である。
「蛇寧はですね、声真似しか出来ない妖怪ですね。舌がこう……何十本もあるんですよ。それを使い分けで色んな声を出すんです。例えばですね、会合なんかでワイワイ談笑してる時に、誰かが暴言を吐いたとするじゃないですか。で、声の主は誰だ、って話になる。それで、似ている声のやつを捕まえて、お前だろ、って問い詰めるわけですね。だけど彼にはその覚えがないから『俺じゃねぇよ!』って叫ぶわけです。蛇寧、というのはそこから名がついたんです」
つまりは、その場にいる人の声を真似て、諍いを起こす、という妖怪である。僕が言うのも何だが、かなり程度の低い妖怪だ。ただ、人間社会ではかなり迷惑な存在である。
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