2-2 狐と、蛇と、鳥

「狐の妖怪ですか?」


 確認も兼ねてそう言うと、家洲さんは、「でもそれだけじゃなくて」、と首を振って、頭の上に配置していた手を、今度は身体の前でぺたりと合わせ、くねくねと動かした。


「うん? 蛇?」


 二匹いるのか?

 それとも、ぬえか? あいつ、尻尾が蛇だしな。


「そう、それから――」


 そう言って、次は口を尖らせて両手をバサバサと大きく振って見せた。


「鳥、ですか?」

「正解!」


 じゃあ鵺じゃないな。

 鵺には鳥のパーツなんてない。それを言ったら狐もないけど。だけど、漢字で書いたら『夜』に『鳥』なんだよなぁ。


 そんなことを考えている僕の目の前で、家洲さんが、ぱちん、と指を鳴らす。恐らくは『正解』の合図らしきそれに、獏の姿で僕を抱っこした状態の多々良が、虎の手足をバタバタと振って、熊の身体を大きく揺すった。待って。酔うからやめて。


「ボス、すごいです! ジェスチャークイズで世界取れますよ!」

「そうかなぁ」

「そうですよ! 何せあんな雑な身振り手振りで読み取ったんですから! これは間違いなくオリンピックです!」

「知らなかった、オリンピックにジェスチャーもあったんだ」

「にゃはは、これから競技になるのです! 二千八十年くらいに!」

「二千八十年かぁ。すぐだな。それじゃあ身体を作っておかないと」


 そんな話をしていると、向かいに座っている家洲さんが「ぅおっほん」とわざとらしい咳払いをした。ああ思い出した、そう、妖怪の話をしてるんだった。


「にしても。狐で、蛇で、鳥? そんな妖怪いたかな? 鵺……じゃないもんなぁ」

「鵺は違いますよ。鵺は猿の顔に、狸の胴体、虎の手足ですもん。尾は蛇ですけど」

「だよなぁ。でも、獏も鵺も色んな動物が混ざった妖怪だけど、それ以外にその手の妖怪っていたかなぁ。実際に見たんですか? そういう妖怪を。それとも三匹いたんですか? 狐と蛇と鳥の妖怪が」


 首を傾げながら問い掛けると、今度は隆之さんが「いえ、僕は鳴き声を聞いただけなんです」と割り込んで来た。

 

 さすがにプロデューサーさんが同席して目を光らせるとなると脱線せずに話せそうである。


「僕が聞いたのは、コンコン、っていう鳴き声だけなんです」

「じゃあ狐だけなんじゃ」

「それがですね、妻が見てるんです、蛇と鳥の方は」

「ということは、狐の方は鳴き声だけで、姿は見ていない、と」

「そう、ですね。確かに」


 は、と気付いたような顔をして、隆之さんは膝を打った。


「でも、鳴き声が聞こえたんですから、狐の妖怪はいますよね? 狐の妖怪ってことはあれですよね、あの、ほら、尻尾が九本あるっていう……」


 狐の妖怪、尻尾が九本、という言葉で居間がしんと静まり返る。テーブルを囲んでいる面々だけではなく、機材のチェックをしていたスタッフさんまでもが手を止め、神妙な顔つきでこちらをジィっと見つめてくる。


「きゅ、きゅきゅきゅ九尾の狐っていったら……や、ヤバいやつですよね。それこそ、その、大妖怪、っていうか……!」


 わなわなと震えつつ、家洲さんはうっすらと引き攣った笑みを浮かべている。それ、どんな感情の顔なんだろう。「すごいぞ、うまくいけば九尾がウチの番組に……!」などとぶつぶつ言いながらガッツポーズまで決めている。あっ、喜んでるのか、これ。


 だけれども。


「いや、それはないです」


 それをバッサリと否定する。


「んえぇ?!」


 前傾姿勢になっていた家洲さんは急に力が抜けたのか、そのままテーブルに頭から突っ込むような形になり、あわや衝突、というところで踏みとどまった。


「そ、それはない、ってどういうことです!?」

「どういうことって言われても、玉藻たまもはそんな暇じゃないっていうか」

「た、玉藻って」

「あれ、ご存知ないです? かなり有名だと思うんですけど。玉藻前たまものまえって。何か色々あって石になったとか言われてるやつですよ。漫画とか小説とかゲームなんかでもよく出て来ません?」

「いえ! わかります! わかりますよ! 超超超メジャー妖怪じゃないですか! 呼び捨てしちゃうくらいの仲なんですか!? 秋芳君、いや、秋芳さんとお呼びした方が?!」

「いや、顔を合わせたら挨拶するくらいですよ。一応、倍くらい歳上なので、『玉藻さん』って呼んでみたんですが、『わらわはお主にさん付けされるほどの妖怪ではないぞえ』とか言われちゃったんで、呼び捨てすることになって」

「きゅ、九尾の玉藻前からそんなことを……? あ、あああ秋芳様!?」

「それはまぁ置いといて」

「いや、置いとける話じゃないですよ! 秋芳様って何者なんですかぁっ!?」

「僕はほんと全然なんてことない妖怪です。だから、様とかやめてください。それでですね、とにかく玉藻に限らず、九尾は超超超メジャーな妖怪なんで、忙しいんですよ。言っちゃ悪いですけど、こんな一般家庭の金庫になんて頼まれても憑きませんって」


 しかし、鳴き声がですねぇ、と食い下がる家洲さんに、今度は多々良が彼の眼前にもふもふの手を突き出して「それです」と言った。虎の手なので指を差すことが出来ないようである。


「玉藻の姐御――というか、九尾はそもそもそんなベタに鳴きませんよ」


 ですよねぇ、ボスぅ〜? と甘えた声を出して頬擦りしてくるが、ちょっと毛が硬くてごわごわなのでやめてほしい。それより追加のきんつばを寄越せ。


「多々良の言う通りです。九尾は鳴きません。そんな媚びる妖怪じゃないです。そんなやたらめったら鳴くのは――」


 狐月きつつき、ですよ。


 そういうと、その場にいた人間達は「きつつきぃ?」と素頓狂な声を上げて首を傾げた。




 ***

 

 一方その頃。

 別室の『解錠班』である。


「おい、欽。まだか」

「す、すみません。まだちょっと……」


 そんなやりとりももう五回目である。

 同席しているベテランカメラマンの早瀬は、小さくため息をついた。


 俳優やらアイドルやらがいる『取材班』の方はその二人のスケジュールの関係で終了時間ケツが決まっているけれども、何せこっちは『解錠班』。開くまで終わらない。何なら開かない可能性もある。一応、聞いた話ではこの『伏木ふしき明水あけみ』なる女性(どう見ても男性だったが、どうやら男装している女性らしい)は日本でも指折りの鍵師らしく、彼女に開けられない鍵はないとのこと。ならばこの難攻不落と名高い『岡女金庫』とやらも難なく開いてしまうのだろう。それはそれでテレビ的には正直あまり美味しくはないのだが、そこはまぁ編集でどうにでもなる。撮影にしても、モザイク必須とはいえ、鍵師の手元を堂々と映すわけにはいかないため、基本的にはカメラだって固定だ。だから早瀬は、ちょっと気を抜いて、その、男装の麗人の横顔をぼぅっと見ていた。


 ある意味嬉しい誤算だったのは、伏木が弟子の男を連れて来たことである。聞けばどうやらこの仕事を受けたのも彼だったらしく、彼女自身は何度も打診を受けているにもかかわらず断り続けていたらしい。それを知らなかったのだろう、プロデューサーからの電話を取った彼がつい受けてしまったのだと。それで、その責任を取らされる形で、まず最初はその彼が挑戦するという流れになっているのだが、これが、まぁ開かない。彼も彼で、まぁまぁ見てくれは良いから、開いても開かなくてもそれなりの絵にはなる。


 多少苦戦して、駄目なら真打登場、ってとこだな。


 これなら編集もきっと楽だろう。

 そんなことを考え、こみ上げてきたあくびを噛み殺すこともなく、ふあ、と大口を開けると――、


「っかぁ――っ! 駄目だ駄目だ! こンの下っ手くそ! 何で開かないんだ! 何だ?! 私の教え方が悪いってのか? どうなんだ、オオン?!」

「ひぃっ。す、すみません社長ぉっ! ですけど、社長がちょいちょい横やりを入れるから――」

「っああん?! 私か?! 私のせいだっつぅのか、コラ。この私に意見するたぁ良い度胸じゃないか、おお?!」

「ひえええ! すみませんっ!」


 またか。

 

 中途半端なところであくびは止まり、その代わりに苦笑いを浮かべる。


 この、『杣澤』という弟子は、恐らくはいま流行りの若者だ。髪だってツーブロックでぴしりとセットされているし、服装こそ『鍵のフシキ堂』というロゴ入りの作業着姿(それが制服なのかと思いきや、伏木の方はスーツである)ではあるものの、ピアスもバチバチにあいていて、黙ってりゃ強面系のイケメンだ。そんな彼が、百九十はありそうな大きな身体を窮屈そうに縮めて、あの手この手で頑張っているのだが、その度に師匠から蹴られたり、どつかれたりしている。その姿を見れば、彼の言い分も一理どころか百理くらいあるように思えてくる。


 この伏木という男装の麗人は、とにかく態度もデカいし口も悪い。入って来るなり女性スタッフの視線を一斉に釘付けにするほどのイケメン(女性だが)なのだが、このまま放送して大丈夫なのかと心配になるレベルである。ただ、理解出来ないのは、それでも女性スタッフたちの評価が下がらない、という点である。


「俺様なところも素敵。あとで壁ドンしてもらいたい」

「当たりが強いのはお弟子さんに対してだけみたいだし。私は顎クイで」

「私なんて『お茶をどうぞ、お嬢さん』ってスマイルもらっちゃった」


 お嬢さんと呼ばれたのはもう四十も過ぎたベテランのヘアメイクだったが、普段はおばちゃんキャラで通している癖に、すっかり乙女の顔になっているのがまた解せない。


 まぁでも、これはこれでギャップ萌えとかそういうので結果オーライなのかもしれない。


 無理やりそう思い込むことにし、そこまで開かないんだったらそろそろ真打に交代してくれねぇかな、などと思っていた時のことである。


 コン

 コン


 ノックの音ではない。

 何なら、本当に『コン』だったのかも怪しい。

 けれど、言葉にするなら『コン』としか言いようのない音――声だったかもしれない――が聞こえて来たのだ。


 それが聞こえるや、伏木明水は、欽一の背中にぐりぐりと押し付けていた踵をぱっと放し、「ふん」と鼻を鳴らして、


「欽、私はこの場を離れる。良いか、私が戻るまで、絶対に作業を止めるな。だけど、絶対に開けるなよ」


 そんな言葉をかけて、部屋を出て行った。


「ちょ、社長……? 作業は止めないで、でも開けないで、ってどゆこと……?」


 その場に残された杣澤欽一は、自分よりも一回り小さな――けれど何よりも大きく見えるその背中を見送って、そう呟いた。



 ***

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