2 妖怪憑きの金庫
2-1 隆之さんが良くしゃべる
僕と多々良が数百歳だとわかるや、斐川さんの奥さん――弓子さんは、顔中の血液がどこかに行ってしまったんじゃないかと心配になるくらいに青ざめて、その場に倒れてしまった。元々貧血気味らしい。さすがにその状態で彼女を同席させるわけにいかず、とりあえず寝室で休ませることにし、旦那さんの隆之さんと俳優さん達二名、そして僕と多々良で打ち合わせ続行である。念のため、奥さんには女性のスタッフが付き添うこととなった。
「先ほどは家内が大変失礼をいたしまして」
隆之さんは額の汗を拭いながら、こちらが見てて気の毒になるくらいぺこぺこと頭を下げている。
「いやほんと、全然良いんですよ。見た目が若いのはよく言われることですし。僕の場合は特にこの姿から変えられないものですから」
「やっとボスのすごさがわかりましたか、人間よ! にゃっはっは!」
「多々良は黙ろうか。お前はとにかく然るべきタイミングで僕にお菓子を渡してくれ。大役だぞ」
出来るな? と釘を刺せば、「あいあい! ボスの御命令とあらば、かしこまりですよ!」と良いお返事である。よし、これでしばらくは大人しい、はずだ。
「それで、ええと、その金庫ですけど」
ここでやいやいやってても話が進まないので、『金庫』というワードを出す。すると隆之さんは、そうなんです、と言って肩を落とし、話し始めた。
「あの金庫、実は、ネットオークションで買ったものなんです」
「ネットオークションっていうと……」
「
「ああ、はい。わかります」
隆之さんの言葉に美冬君と千石さんが反応する。僕は、きんつばを握り締めてスタンバイしている多々良の肩をそっと叩いて耳打ちした。
「多々良、この人達いま何しゃべってるの? ねたく、って何?」
「ボス、知らないんですね? えふふ、何も知らないボスってばバブちゃんで可愛いですねぇ。ネタクじゃなくて、ネタークです。ネット上のオークションサイトですよ。オークションはわかります? 競売ですよ、競売。いまはインターネットで競売が出来る時代なんですよ」
「成る程、そういうのがあるんだ」
三人の話の邪魔にならないよう、精一杯のひそひそ声で会話をしていたつもりだったのだが、こんな至近距離では丸聞こえだったらしい、何だか小さな子どもを見つめる母親のような慈愛に満ちた目で見つめられていて恥ずかしい。
「とはいっても、別にあの金庫を競り落とすつもりはなかったんです。僕は、その他の商品――ちょっとまぁお恥ずかしいんですけど、フィギュア集めが趣味でして、ほら、ああいうところってレアなフィギュアが結構出品されてたりするじゃないですか」
だから、そっちの方を、と言って、ポケットからスマホを取り出した。
表示させたのは、恐らく隆之さんの自室だろう、棚にずらりと小さな人形が並べられている。
「うっわ……これ全部……?」
口元を押さえてそんな声を漏らしたのは千石さんだ。カメラが回っていないからだろうか、明らかにドン引きした表情である。うんと微かな声で「キモっ」と言うのも聞こえた。
「あっ、これ、あれですね、こないだアニメ化したラノベ作品。僕も見てました!」
それに比べて美冬君はというと、前傾姿勢でノリノリである。元々好きなのかもしれない。
「見てた?! 見てたの?! えー、ウソ、嬉しいなぁ。ほらアレ、原作は売れたけど、アニメの方はいまいちだったじゃん? なんていうかさ、僕から言わせてもらうと、ワンクールに詰め込み過ぎたんだよな。あれじゃほぼほぼダイジェストみたいなものだよ。声優さんもさ、話題性だけでアイドル声優みたいなの選んじゃったでしょ? 確かに声は可愛かったんだけど、演技の方がいま一つっていうか」
語り出した。
なんかいきなり語り出したぞ。金庫の話じゃなかったのか。
しかも急に早口だ。何だか目が回りそうになる。こんなの誰もついていけないでしょ。
「あー、わかります。僕も出来ればもう少しどうにかならなかったかな? ってもどかしかったですもん。そもそもあれをワンクールに収めるのが無理なんですよ」
と思ったら美冬君が食いついた。
「おお、美冬君はさすがですねぇ」
感心していると、多々良が僕の口にきんつばをねじ込みながら目を細めた。
「知ってるのか、多々良」
「美冬君――美冬
「詳しいな」
「いやぁ、そのニチアサのレッドがですね、どことなくボスに似てたものですから、その流れでチェックするようになったんですよ。なかなか良い演技をする若造です」
「僕は赤くないだろ」
「その辺はどうでも良いんですよ」
とにかく、どうやら美冬君は隆之さんとかなり話が合うようで、ドン引きする千石さんを置いてけぼりにして今期のアニメがどうとかという話で盛り上がっている。いや、それはさ、あとでやってもらえないかな。
「ああそう、それでですよ。とにかく僕は出品者――『
何だ何だ。まーた早口になったぞこの人。
「あっ、やっぱりミカたんですよね! ミカたん良いですよね! ていうか、僕ずっと気になってたんですけど、そこの妖怪さんどことなくミカたん寄りじゃないです……?」
「あ、気付いちゃった、美冬君!? 僕はね、最初から思ってたんだよ。何なら僕の趣味をわかってて、俳優さんがミカたんのコスプレ(私服ver)をしてきてくれたのかな、って思ったくらいだから。テレビ局のリサーチ力ってすごいなって感心してたんだから!」
「僕だって、あぁやっぱりお父さんがそういうご趣味だと息子さんも似て来るのかな、って思ってましたから!」
お互いに、僕のことをゲスト枠の俳優、あるいはここの家の子どもだと思っていた二人は、何が何やらよくわからないことを言い合って固く握手した。そして、そのまま、二人そろって勢いよく僕の方を見る。
「妖怪さん!」
「え、何」
「妖怪さん、ウチにミカたんのメイド服あるから着てみませんか?」
「それ良いですね斐川さん! それでぜひとも『本当にどうしようもない
「え、ちょ、何この人達。助けて多々良」
ずいずいと近付いてくる二人に僕が怯むと、多々良が庇うように身を乗り出した。
「おい人間共。ウチのボスが怯えてるじゃないですか。命が惜しくばいますぐ離れなさい。これは警告ではない。繰り返す。ボクのボスから離れなさい」
言うや否や立ち上がり、夢を食べる方の獏に姿を変え、虎の腕で僕を抱き寄せて、もふ、と熊の身体で包む。象の鼻を持ち上げて、ふぉんふぉんと振り回すと、隆之さんと美冬君は、びくりと身体を震わせて僕から離れた。
「こ、これが獏……!?」
「でかぁっ……!」
多々良は成体とはいってもかなり小柄だ。それでも体長は二メートルくらいはある。虎や熊、象に犀となかなかに身体の大きい獣のパーツから構成されている割には小さいのだが、それでも人間からすればかなり大きいし、この統一感のない姿がかえって恐怖を煽るらしい。
が。
「きゃーっ! もふもふー! かっわい~いっ!」
ビビりまくる男性陣をよそに、黄色い声を上げて多々良に抱き着いたのは千石さんだ。
「おわぁ、何です。この雌」
「もふもふ! もふもふー! おっきいぬいぐるみみたーいっ! 可愛いーっ!」
「ぐふ、そうですか。可愛いですか。うん、お前はなかなか見る目があるようですね。聞きました、ボス? ボクのこと可愛いって」
「あぁ、うん。聞いてた。珍しいね、この姿を可愛いって言うの。妖怪でもそうそういないもんな」
「そうですねぇ。可愛いって言ってくれるのボスだけですもんねぇ。ま、ボクとしてはボスからの愛があれば後はどうでも」
「僕そんなこと言ったっけ? 人間の方じゃなくて?」
「言いました! 絶対言いました! 百年くらい前ですけど!」
「うーん、百年前のことは覚えてないなぁ。一昨日食べたものだって覚えてないくらいだし」
「ボスはそういうところおじいちゃんなんですよねぇ。ぐふ、全く仕方ないボスです。一昨日は『焼肉やまんば』で牛一頭食べたじゃないですかぁ。ボクがあーんしたの覚えてないです?」
「そうだったそうだった。思い出した」
多々良と食事をすると、必ずといっていいほど「ボス、お口をあーんですよ」と言われるのである。その通りに口をぽかっと開けると、食べ物を入れてくれるのだ。僕はこれを『親鳥の給餌システム』と呼んでいる。多々良も親鳥体験が出来て楽しそうだし、僕は食べ物の方からやって来てくれるので、楽だしありがたい。
そんな会話をしていると、見かねたスタッフさんらしき人が「あの、話が進まないので」と割り込んで来た。隆之さんと同年代のように見える中年男性である。
「ええと、
いきなり現れて何やら偉そうだなと思ったが、そういえばこの人、ちょっと遅れてきたにもかかわらず、到着と共にあれこれ色んな人に指示を出してたっけ。たぶんこの番組の責任者か何かなんだろう。
「それで、えっと、妖怪さん、君、なんて名前でしたっけ」
「秋芳です」
「秋芳君ね、挨拶が遅れちゃってごめんなさい。番組プロデューサーの
「はぁ。どうも」
「今回フシキ堂さんに無理行って来てもらったんですけど、お知り合いに妖怪さんがいるって聞いたものですから、こりゃちょうど良いぞ、って」
「まぁその辺りは聞きましたけど。ただ、何で妖怪の力が必要なのか、っていうのはまるっきり聞いてないんですよ」
何なんですか、一応妖怪憑きの金庫だってことは聞きましたけど、と言うと、家洲さんは、両手を頭の上に配置して、「これですよ。これ」と言った。動物の耳にでも見立てているのかな? あの形なら猫か、それとも――、
「狐の妖怪ですよ、たぶん」
狐?
そりゃあ相手によっては厄介かもしれない。
と、思ったのだが――。
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