4-2 伏木さん、ブチ切れる

「あら、まぁまぁまぁまぁ!」


 それから十分後、社用車を飛ばしてやって来た伏木さんを見るなり、菰田さんは、両手を合わせてふるふると震えた。


「素敵な方ねぇ。ほら、あの人、若い頃の東郷とうごう影彦かげひこみたい!」


 東郷影彦というのは、大御所の時代劇俳優である。若い頃はすらりと線の細い美男子だったらしい。その人に似ていると菰田さんは興奮気味だったが、僕としてはそんなに似ていないと思う。


「初めまして。『鍵のフシキ堂』社長の伏木明水あけみと申します。今回のような鍵のトラブルはもちろん、合鍵作成、時計の電池交換なども承っておりますので、今後ともどうぞよろしく」


 背の低い菰田さんに合わせてほんの少し腰を落とし、優しく手を取って名刺を握らせる。菰田さんはもうすっかり目の前の麗人の虜だ。一応補足説明はした。彼女は女性ですよ、と。


 そのはずなんだけど、「じゃあ、宝咲たからざき歌劇団みたいなものね」と今度はスマホでその歌劇団を検索し始めた。そして「あっ、この人が近いんじゃないかしら!?」などと言いながら、『天ノ川あまのがわ祐李ゆうり』という男役のトップスターを見せて来た。まぁ、さっきの東郷影彦よりは似てるんじゃないかな、性別的に。男装もしてるし。


 さて、そんなのは置いといて、だ。


「欽、どうだ? どんな感じだ?」


 のっしのっしと軋む廊下を歩いて、いまだ動けないでいる杣澤そまざわ君に声をかける。


「駄目っす。もう全然、ぴくりとも」


 助けてください社長ぉ、と情けない声を上げるお弟子君を「だっらしないなぁ」と一蹴する。杣澤君は小さな鍵穴に刺さったままの工具に半ばしがみついているような恰好だ。


「邪魔だ。手を離せ、欽」

「俺だって離したいんすけど、離れないんすよぉ」

「強く握りすぎなんだよ馬鹿。筋肉が硬直してるだけだ。ほら、一本ずつ剥がすぞ」


 そう言って、いぃーち、にぃーい、などと言いながら、杣澤君の指を小指から一本ずつ摘まみ上げていく。それが親指と人差し指の二本だけになったところで、やっと彼自身の力で離せるようになったらしい。ふはぁ、と大きく息を吐いて、杣澤君はその場にごろりと転がった。


「さっさと避けろ」


 そんな言葉を吐いて、百九十もある大男をげしげしと足蹴にする。酷いっすよと言いながら、杣澤君はそのままころころと転がって僕の方へと来た。むくり、と起き上がって、僕の手をぎゅっと握る。


あき様、見ました? 酷くないです? これ訴えたら勝てますよね?」

「どうだろ。勝ち負けとかあるの? 僕そういう人間の勝ち負けのことはわかんない」

 

 まぁ彼の扱いが酷いのは僕にもわかるけど。


「はい、そこの木偶助でくすけ。ボクのボスから離れなさい」


 言うなり、杣澤君を引き剥がし、僕の手に消毒用のアルコールスプレーをシュッシュと吹きかけて、彼の方にはどこかから取り出した殺虫剤を、すちゃ、と構える。こらこら、さすがに駄目でしょ。彼人間だよ? 害虫じゃないよ? 目を狙うんじゃない。


「まったく油断も隙もありゃしないです」

「出たな白黒ちび助」

「ふふーんだ、お前みたいに無駄にでかいよりも良いんですぅ。省エネです、省エネ!」

「何に対する省エネなんだ」

「すべてに対してです! あと低燃費です!」

「お前それらしい言葉並べてるだけだろ! だいたいお前、絶対低燃費じゃないからな! いっつも何か食ってる癖に!」

「いっつもは食べてません!」

「社長が持ってってる菓子折りの中身ほとんどお前と社長が食ってんの知ってんだよこっちは! せっかく俺が秋様のために選んでるのに!」

「お前が選んでたんですか! だったらなおさらボスの口に入れるわけにはいかないですね! ボクが食べ尽くしてやりますよ! きんつば以外!」

「外野うるさい!」

「きんつば以外も食べさせろ!」


 ヒートアップする二人の言い合いに、いよいよ保護者サイドの雷が落ちた。僕だって怒る。誰が選んだやつでも良い。きんつば以外も食べさせろ。まだ僕の怒りはさておくとしてもだ。伏木さんは仕事中なのである。


「欽、貴様。仕事もろくに出来ない癖に、私の仕事も邪魔するのか? どうなんだ? おおん?」

「め、めめめ滅相もない!」

「だいたいな、お前。これただただ古いだけだろ。まーだこんなのも開けられないのかお前は」

「だ、だって……」

「だってもくそもあるか。確かに見たところ明治初期の鍵だけど、古いってだけだ。こんなのあの時代にはごろごろ転がってる、ただの市販品じゃないか。特注のやつじゃない。私はな、明治時代にその名を轟かせた天才鍵職人『岡女おかめ嘉寺よしでら』の特注鍵オーダーメイドだと期待して駆け付けたんだぞ。私の鍵じゃない!」

「そんな! 勝手に期待されても困ります! ていうか、古い特注鍵のことを『私の鍵』って言うの何なんですか!」

「うるさい、私の好きに呼ばせろ! だいたいな、お前が日清戦争とか言うから期待したんだろ! 岡女の鍵は日清戦争の時、日本軍の弾薬庫にだって使われていたんだぞ!」

「知りませんよ!」

「一人前の鍵師を志すなら知っとけぇ!」

「は、はいぃ!」


 まさかのガチ説教である。

 これにはさすがの多々良も割って入れず、菰田さんも何事だとおろおろしている。そして話の流れで、どうやらこの開かずのドアの鍵が期待外れだったらしいことがわかると、「何だか申し訳ないことしたかしら」としょんぼりしてしまった。

 

 復唱ぉっ! 岡女の鍵は難攻不落! 鍵師の憧れぇっ! と、ブラック企業の朝礼のような謎の儀式が始まったところで、多々良に命じて菰田さんを居間に連れて行く。どうせあのドアは開くのだ。こんな馬鹿げたことをしていても、伏木さんはちゃんとプロなのだ。


 それに、開くとなれば、次は僕の出番なのである。伏木さんのお客さんならまだしも、ウチの常連さんに僕の食事はあまり見せたくない。


 そして、プロである証拠に――というのか、この場から菰田さんがいなくなると、ふぅっ、と大きく息を吐いて「秋芳君、腹は減っているな?」と尋ねてきた。


「僕はいつだって空腹だよ」


 そう返す。

 僕はいつだって空腹だ。空腹なのがデフォルトなのだ。我を忘れるほどの空腹は滅多にないというだけで、いつもほんのり空いている。満腹になるのは食べている時だけだ。僕の腹はどれだけ食べても満たされないのである。


「ああは言ったが、一応はこのデカブツが動けなくなるほどの大物だ。一般家庭だからって舐めてた。今後はこっちの市場も馬鹿に出来ないかもしれん」


 そう言って、鍵穴に刺さりっぱなしの工具に触れる。ぎゅっと握りしめていた杣澤君とは違い、まるで細い絵筆でも持つかのような柔らかさである。


 さすがっす社長! 勉強になります! と正座でそれを見守る一番弟子をやはり「黙れうるさい」と足蹴にしつつ、カショカショと手を動かす。そうして、何かしらのスプレーを吹き付けたり、また別の工具を差し込んだりするうち――、


「はっ、こんなのお前の工具でも開けられるわ。秋芳君、そろそろだ。そろそろ開く」

「楽しみだなぁ。何が入ってるんだろ。ていうか、杣澤君は大丈夫なの? 見るの? 僕が食べるとこ」

「そういや欽は秋芳君の仕事食事を見たことがなかったな。どうする?」

「見ます! ぜひ! 見させてください!」


 正座の姿勢のまま、瞳をくわっと見開いて、ふすふす、と鼻息も荒い。


「見るのは良いけど。え、大丈夫なんだよね、伏木さん?」

「知らん。本人が見たいって言ってるんだから良いんじゃないか?」

「まぁ、自己責任だしね」


 駄目だとしても、若いんだし何とかなるか、と腰を上げる。


 ピン、と何が弾けたような音が聞こえた。


「開いたぞ。さぁ、召し上がれ、悪食アクジキ!」


 その言葉と共に、勢いよく扉を開ける。

 ギィィ、と嫌な音を立てて。

 僕にしか嗅ぎ取れない饐えた臭いが鼻腔を擽って、ぐぅぅ、と空っぽの腹が鳴った。


 ぱちん、と両手を合わせ、べろり、と舌舐めずりをして、一言。


「いただきます」


 にゅう、と倒れ込むようにして中から出てきた『塊』を鷲掴みし、びちびちびち、と引き千切る。千切れた部分から流れてくる体液を啜り、ごくごくと喉を鳴らして飲んだ。


「ぷはぁ。伏木さんの言う通り、なかなかの大物だ。食べごたえがある。ただあれだな、全体的にものすごく柔らかい」


 くちゃりくちゃりと千切ったものを噛む。こないだの齋藤某氏と比べて、軟骨や腱のようなコリコリとした部分がないのである。食感としては、ふわふわのパンに近い。成る程、これがあれか、高級肉の食レポで言うところの「歯がいらない」ってやつなんだな。


 ただ、味については齋藤某氏とあまり変わらない。ベースが『人間に関連する何か』なんだろうから、当たり前だ。豚肉は豚肉の味、牛肉は牛肉の味がするのと同じである。


 ただ――、


「これさ、人間が関わってるのは間違いないんだけど、実態がないやつだ」

「実態がない?」

「そう、こないだの齋藤さんトコのやつみたいなさ、人の身体をベースにして出来たやつじゃないってこと。純然たる念の塊っていうのかな。だから軟骨みたいなコリコリ部分がない」

「そのコリコリ部分って何、美味しいの?」

「味は大して。アレは食感を楽しむものだから。ただ、こういうのはさぁ、核が小さいんだよねぇ。一番美味しいところなのに。僕としてはそれが残念」


 てっぺんがきれいになくなった本体に、ずぶり、と手を差し込む。ぐちゃぐちゃとかき回すようにして核を探すが、かなり小さいらしくなかなか見つからない。こりゃあ飴玉サイズかもな。食べているうちに出てくるだろうと諦めて、周りの脂肪部分を千切って食べた。やはりかなり柔らかく、口の中で溶けるようである。これならあっという間に食べてしまいそうだ。


 ずるずるべちゃべちゃもっちゃもっちゃと食べていると、ついつい、とシャツの背中を引かれた。誰だ、僕の食事を邪魔するやつは、と振り向くと、笑いを堪えている伏木さんである。


「何。僕の食事の邪魔しないでほしいんだけど」

「いやごめんて。だけどさ、いやもうおっかしくて。あれ見たまえよ」


 そう言いつつ、親指で自身の背後を指差す。

 何だ何だと軽く背伸びをして肩越しに覗き込むと――、


 顔面蒼白の杣澤君が、蹲って吐くのを堪えていた。


「いや、どうにかしてやんなよ社長。ビニール袋渡すとか、別室に連れて行くとかさ」

「いやいや、甘ったれんなって話でしょ。それにほら、これで幻滅して諦めてくれるかもよ? ?」

「成る程、確かに。だけどもし仮にここで吐いちゃったら、誰が処理するんだよ。まさか、僕? それはそれで杣澤君も複雑だと思うなぁ。一応僕だって彼には情くらいあるからね? ビニール袋くらい用意してあげても良いんじゃない?」


 そう言うと、伏木さんは何だかものすごく意外そうな顔をした。


「びっくりした。私てっきり秋芳君はそういうのも見境なく何でも食べると思ってたよ」


 失礼だな。

 僕にも人の心はあるよ。

 人じゃないけど。


 あと単純に、僕だって、食べられるからといって、さすがに進んで食べたいわけじゃないからね、そういうのは。

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