4-3 菰田さんとお仕置きの部屋
「ちょっともうしばらくはゼリーとか煮凝りとかぷるぷる系のものは食べられそうにないです……」
出す物を出し切って幾分か顔色を取り戻した杣澤君の言葉である。
結局伏木さんは、実に渋々ではあったけれど、エコバッグ代わりにと常に携帯しているらしいコンビニのレジ袋を「この三円は貸しだぞ」と出してくれたのだ。数回使用している袋らしいのだが、穴があいていなくて良かった。
「にゃはは、だらしないですねぇ、
「まぁまぁ多々良、そういうこと言わない。仕方ないだろ、杣澤君は普通の人なんだから。むしろ普通はこうなんだよ」
「おかしいなぁ、私も普通のはずなんだがな」
ふむ、と伏木さんが小首を傾げつつ顎を擦るが、あなたは間違いなく普通ではない。色々と。
無事に開かずの部屋の中にいた『塊』を食べつくし、僕達は居間でお茶をご馳走になっている。お茶請けに水羊羹(色、質感共にいまの杣澤君にはかなりの地雷)を出されてしまったが、彼の分は僕がいただいたので問題はない。多々良はここぞとばかりに、スプーンに掬った水羊羹を杣澤君の目の前でぷるぷるさせながら食べている。よしなさいよ。
「それで、結局あの中には何が入っていたの?」
あの部屋――部屋というか、恐らくは単なる収納スペースだったのだと思うが――の中はほとんど空だった。あのやたらと柔らかい塊しか入っていなかったのである。
杣澤君のバタバタのせいで何だかんだ中を見そびれた菰田さんの問いに、僕は「何も」と答えた。
「特に何もなかったです。まぁ、何も、っていうのは語弊があるんですけど。壊れた脚立とか、ボロボロの工具箱とかそんな感じでしたね」
金目のもの、というか、そこまでじゃなくとも、人間が大事にする『思い出』に関連づきそうなもの、と考えても、それらしきものはなかった。最も、その壊れた脚立やボロボロの工具箱に何かしらの思い出がある可能性も否めないわけだが。
すると菰田さんはころころと笑って、
「あぁ、やっぱりそうよねぇ」
と言うのである。
「知ってたんですか、中身?」
「知ってたわけじゃないんだけど。少なくとも、大切なものは入ってないだろうとは思ってたわね。だってあそこが開かなくても二十五年不自由しなかったんだもの」
「確かに」
じゃあなぜ開けさせたのだろう。
恐らく、そう疑問に思ったのは杣澤君だけだろう。
だって僕も多々良も正直なところ、その辺には興味がない。伏木さんも、ここの鍵が日清戦争時代よりも前に作られたものじゃないか、という杣澤君の言葉で『岡女嘉寺』という鍵職人の鍵ではと早合点したものの、それが違うとわかってからは嘘のように大人しい。
「じゃあなぜ今回開けてみようと思ったんですか? 何か思い入れがあったのではないですか?」
案の定、杣澤君が動いた。
彼はこれまでも興味本位で僕らが関わった『開かずの○○』の中身について所有者に直接確認したり、無断で調べたりしているのである。だから恐らくこないだの齋藤氏の金庫の中身についても何かわかり次第報告しに来るだろう。別にそんなことしてくれなくて良いんだけど。
「あそこはね、その、なんていうかね、『お仕置き部屋』だったのよね」
なかなかに物騒なワードが飛び出した。
けれど、それを話す菰田さんの顔は明るい。
「私が菰田の家に嫁いだのは二十三の時だったんだけど、姑はそれはそれは厳しい人でね。当時四十八……だったかしら。お舅さん――旦那さんとは死別でね、子どもは夫だけだったから、私に取られたみたいで気に入らなかったみたいで」
「嫁いびりみたいな……」
「まぁ、一通りのことはされたでしょうね」
作った料理は捨てられたし、明るい色の服を着れば「そんなのはあばずれが着るものだ」と罵倒されたし、祖母の形見を売り飛ばされそうにもなったし、風呂に入っている時に電気を消されるのも毎日のことだった、と何とも楽しそうに話すものだから、多々良は「すごいですねぇ」と瞳を輝かせて聞いている。多々良、こういう時は「大変でしたね」って言うもんなんだよ。
「息子が産まれたのは私が二十七の時だったから、当時にしてみれば、結婚して四年も子どもが出来ないなんて欠陥品扱いだったのよ。いや、その前にも出来たんだけど、流れちゃってねぇ」
「それは……」
何と返したものかと杣澤君が俯く斜向かいで、多々良がぼそりと「もしや
「だからね、息子を授かる前も、しょっちゅうあの部屋に入れられてね。菰田の血を絶やす気かとか、
「何日も……飯を……。なんという恐ろしいことを」
僕なら耐えられない。
まずはその扉をガリガリと齧るだろう。いや、その前に中に入ってた脚立と工具箱か。若い頃は仙人の真似をして霞だけを食べて過ごしてみたこともあったけど、あれは正直一日が限界だったし。
「秋芳君、そんな青い顔をしなさんな」
「ほんとだ! ボス、お顔が変な色ですよ! 大丈夫ですか? お腹空いちゃったんですか?」
「え、嘘。そんなに? だって何日も飯抜きなんて想像しただけでもう震えが。僕、絶対無理だよ」
「全く君は、食べることに関してだけは繊細だな」
「食べ方はワイルドですけどね」
「またその話? 今回もちゃんと一口サイズに千切って食べたじゃないか」
「ひ、一口サイズ……千切っ……うぐぅ……」
「あっ、木偶助、思い出しましたねぇ、にゃははは」
うんと悪い顔をして、尚も「ぷるぷる」だの「ぐちゃぐちゃ」だのと囁くと、杣澤君は限界を迎えたらしく、席を立ってトイレへとダッシュして行った。
「にゃっははぁ、勝ったぁ! これに懲りて二度とボクのボスに色目を使わないことです!」
「杣澤君、僕に色目なんて使ってたの?」
「あらあらお兄さん大丈夫かしら」
「彼についてはご心配なく。あれで結構タフですから」
伏木さんが営業十割の笑顔でそう言えば、菰田さんも「社長さんがそう言うなら」とほほ笑む。何とも平和な空気である。こっちまで聞こえるくらいの爆音で吐いている杣澤君を除いては。ドアを閉める余裕もなかったんだろう。それなら仕方ない。
「つまり、あの部屋は奥様の辛い思い出が詰まっていた、とそういうわけですね」
伏木さんが締めに入った。
たぶん杣澤君が一番言いたかった台詞だと思うんだけど良いんだろうか。
「そうねぇ。閉じ込められる度、『いつか絶対に仕返ししてやる』『老いて弱って来た時にやり返してやるんだ』ってそればかり考えてたから。だからね、もう意地でも離婚しなかったの。姑の方を庇った時なんて、腸が煮えくり返る思いだったけど、それこそ献身的に尽くしてね。だって何事もなければ先に
「ほうほう。それで、仕返しはしたんですか?」
多々良が身を乗り出す。
「しなかったのよ、結局。姑が亡くなったのは七十二で、いまの私と同じ年なんだけど、途中で気付いたんでしょうね、こりゃまずいって。だって自分はどんどん老いて弱くなっていくのに、私はまだまだバリバリに現役だし、可愛かったはずの孫だってやっぱり祖母より母親でしょう? 頼りの息子だっていつの間にやら憎い嫁の尻に敷かれてるんだもの。だからね、年々丸くなっていってね、いま思えば七十二なんてそんなに年でもないのに、実年齢よりずっとずっとおばあちゃんになっちゃって」
ずず、とお茶を啜って、ふふっ、と笑う。その当時を思い出したのか、そのまま、くくく、と肩を震わせる。
「最後はね、さっきの部屋に自分から入って、それで、籠って出て来なくなっちゃったのよ。ごめんなさいごめんなさいって私に詫びながら。仕返しされると思ったんでしょうね。その頃にはもう私だってどうでも良くなってたのに」
「……その時、鍵は?」
そう尋ねたのは、トイレから戻って来た杣澤君である。まだ少し顔が青い。吐き足りなそうにも見えるのだが、さすがに胃の中は空っぽなんだろうな。
「内側からはかけられないからね、もちろんこちらだって閉じ込めたりなんかしないわよ。老人虐待になるでしょう?」
「でもその前に嫁虐待があったじゃないですかぁ」
足をばたつかせながら多々良が言う。かけちゃえば良かったのに、と続けると、冗談と捉えたのだろう、菰田さんも「そうね、やっちゃえば良かったわね」と笑っている。いや、菰田さん、多々良は本気で言ってます。
「だけど、全然出て来なくて。一応ね、警察とか救急車も呼んだりしたのよ。そこまでする必要はなかったんだけど、なんていうの、こちらの身の潔白を示すみたいな? それにまぁ年も年だし、もしものことがあったらって思って」
「成る程」
「だけどね、警察とか、救急の人が呼びかけても出て来ないの。『私はここで死ぬ、いままでのことを詫びて死ぬ』って」
「最後に改心したってわけか」
「どうかしらね。旦那や息子はそんなことも言ってたけど、私から言わせれば、そんなのはただのアピールよ」
「アピール?」
「そう、こんなに反省してますよ。だから、私のこと許してね、って」
それで、許したんですか、と杣澤君が聞いた。
菰田さんは、やっぱりにっこりと柔和な笑みを浮かべて、
「許すわけないでしょう」
と言った。
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