2-4 畳の回収と多々良の提案
さて、腹ごしらえも済んだところで、昨日お邪魔した齋藤家である。
「昨日はありがとうございました」
出迎えてくれたのは、橋本さんである。意外とタフだな、というのが正直な感想だ。毎回ではないものの、今回のように再訪問するパターンは割とある。そういう場合、僕の姿を見るなりパニックを起こしたり、山盛りの塩を投げつけられたり(節分の豆まきみたいな生易しいやつではない)、依頼人の代わりに何か怪しげな霊能者が出て来て聞いたこともないオリジナル念仏みたいなのを唱えられたこともある。幽霊じゃあるまいし、そんなの効かないんだけど。
昨日は、親戚に蟹坊主でもいるのかなってくらいに景気良くぶくぶくと泡を吹いていたのに、どうしてこんなにしゃっきり出迎えられるんだろう。これがアレか、プロ根性というやつなのだろうか。恐るべし、資産家に仕える使用人。
ただ、その資産家の方――齋藤さんの方は駄目だった。彼は『金庫』、『鍵』、果ては『食べる』という単語にまで過剰に反応し、額から汗をだらだら流してガタガタ震えるらしい。もちろん夢の方も最悪だったとのこと。そこについては多々良の知り合いの獏を紹介することで話はついた。
「汚れた畳の回収ということでしたね」
「そうです。それと――金庫もどうします? そちらの方で粗大ごみに出すなり何なりしても構いませんし、もしよろしければこちらで引き取らせていただきますが」
伏木さんが、にっこりと営業スマイルを橋本さんに向け、その顔のまま「秋芳君、食べるだろう?」と僕に尋ねる。
「食べて良いなら食べちゃうけど」
「だよね。どうします? そこはお任せします」
「では、そちらもお願い出来ますでしょうか。旦那様が怯えてしまってどうしようもなくて」
「でしょうね」
諸々話がついたらさっさとお暇である。
汚した畳と金庫を台車に乗せ、ガラガラと不快な音を立てながら歩く。多々良に背負わせても良かったのだが、この中で一番小さいやつに背負わせるのは絵的にどうなのか、という話になるのだ。
以前、やっぱり汚してしまった絨毯を回収したことがあって、この中で一番力持ち(何せ身体は熊)なのだから問題ないだろう、という判断のもと、ぐるぐると巻いた絨毯を多々良に背負わせたことがあったのだが、それはもう周囲の視線が痛かったのである。ちなみに痛かったのは僕じゃなくて、伏木さんだ。なぜって、そういう時、僕はか弱い女の子の振りをしておけば良いということになっている。提案したのは多々良だ。
「ボスはボクよりもちょこぉーっと背がおっきいってだけですからね。内股でもじもじ歩いていればバレません。だいじょぶです! あぁ、ちょぼちょぼ歩くボス! ベリーキュートです! きゃわたん!」
そういうことらしい。ねぇ、お前がよく言うその『キャワタン』って何?
だから僕は、ちょっと内股になって、しずしず歩けば良い。そうなると分が悪いのは伏木さんだ。彼女は女性だけれども、この中で最も背が高く、また、恰好も完全に男性であるため、絵的には「少女に重いものを背負わせて、手伝いもしないクソ男」に見えるらしい。で、結局、周囲の視線に耐え切れなくなって、彼女がそれを担ぐはめになったのだった。
というわけで、今回はそのようなことにならないよう、台車を持参したのである。車を出しても良かったのだが、伏木さんのアルコールがまだ抜けていなかったのだ。僕は車の運転なんか出来ないし、多々良も同様だ。出来ないというか、僕らは妖怪なので免許が取れないのである。かといって朧車はチャーターしたくない。あいつら妖怪相手でもめちゃくちゃぼったくるからな。ガソリン代? お前達ガソリンなんかいらないだろ、知ってるんだぞこっちは。
「ボス、これ食べたらお昼から何します?」
小石に車輪を取られつつガラガラと台車を押しながら、多々良は上機嫌だ。橋本さんに観世重を紹介することになったので、「
「今日は菰田さんから手紙も来てないし。珍しく助川のおじいちゃんからも頼まれてないからなぁ」
あぁでもこないだ小泉さんが「庭木が伸びてきたから、手が空いてる時に来てもらいたい」って言ってたっけ。
そう言うと、多々良は「ぐぬぬ、常連さんの頼みならば仕方ないです。じゃ、明日、明日は?」
ぴょこぴょこと跳ねながら期待に満ちた目で見つめられれば「今日来なかった分、菰田さんが来るかも」などとは言えず、「まぁ、明日は何もないんじゃないか?」とだけ返す。
「じゃあ、ボクとデートしましょう! 人間のデートです!」
「人間のデート? 何だそれ」
「にゃはは。ちゃぁんと調べておきましたからね。びしーっとエスコートしますから、ボスはボクにおんぶにだっこされてりゃ良いです!」
「おんぶにだっこ……。まぁ良いけどさ」
多々良は少々過保護のきらいがある。おんぶやらだっこやらされなくとも、僕はちゃんと歩けるというのに。五百歳のおじいちゃんといっても人間とは違うのだ。
「いやはや、相変わらずの仲の良さだ。こりゃ種族の垣根を越える日も近いね。じゃ、私はこの辺で。報酬は後で
ひらひらと手を振って、伏木さんは行ってしまった。僕らとは違って、彼女は忙しいのである。今回のような出張サービスだけではなく、持ち込みもあるし、合鍵を作ったりもしなくてはならないのだ。
とはいえ、『鍵のフシキ堂』には、住み込みで働いているなかなかに優秀なお弟子君が一人いるので、三日くらいなら店を任せても大丈夫らしい。それでも、さすがに曰く付きの開かずの何かを開けられるほどの腕はないから、そういう場合は待ってもらうことになるけど。さっきちらりと名前の出て来た『欽』というのがその彼で、本名は
るんるん、とより一層機嫌の良くなった多々良が、「お弁当! お弁当持って行くですよ!」と弾んだ声を上げる。
「お弁当? 現地調達で良いんじゃないのか? 僕はその辺の土でも草でも――」
「現地調達もしますけど、土とか草とかは駄目です! 人間のデートですから! それとお弁当はお弁当で必要なんです! 雰囲気!」
「そういうものなのか」
「そういうものなのです!」
ふんす、と多々良は大威張りである。いつも何かと良く働いてくれているし、たまには好きにさせてやろう。
「さぁ、そうと決まったら早く帰りましょう! ぱっぱとボスの腹ごしらえをして今日の仕事を終わらせたら、明日のデートの準備をするですよ! あっ、その前にボクは観世重に会って、こないだの分の
さぁ、忙しくなるですよ、と言いながら、えいえいと拳を振り上げて、のっしのっしと歩く小さな多々良の後に続く。ふと空を見上げると、雲一つない青空だ。どこかで見たようなその青さに、なぜか、ぶるりと身体が震えた。
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