2-3 カワイイ、カワイイ

***


 ぱちり、と目を明け、むくりと起き上がる。

 隣でむにゃむにゃと目を擦っているのは、白黒おかっぱの多々良だ。白と黒のベタな囚人服のようなパジャマ姿で、寝転がったまま、おはようございますボスぅ、と言いながら手足を伸ばしている。毎朝の光景だ。


「伏木さんは――」


 帰ったのかな、と続けようとした時、廊下を挟んで向こう側にある居間から、恐らく彼女のものと思われる豪快ないびきが聞こえてきた。


「……いるね」

「……泊まってったみたいですねぇ」


 ごわぁぁぁ、ぐわぁぁぁ、と何とも野太いいびきである。僕はたまに彼女の性別を忘れそうになる。ただでさえ紛らわしい恰好をしているのだ。酔った時に出る女性らしい言葉も仕草もすべて、『オネエ』とやらに見えなくもない。ただ、僕としては、伏木さんが男だろうが女がどっちでも良いのだ。どっちにしろ、僕達は異種族なんだし、単なる仕事仲間である。


「多々良、伏木さんの朝ご飯用意してあげて」

「あいあい、かしこまりですよボス!」


 びし、と敬礼をして、ひょいとベッドから降り、「菰田こもだのおばあちゃんからおナスをいっぱいいただきましたんでね、今朝はおナスにするですよ」と言いながら、多々良はぺたぺたと洗面所へと向かう。その背中を見つめながら、さっき真っ白な夢の中で彼女から聞いた夢の内容を思い出そうとしたが、無理だった。確か、刃物を持った殺人鬼に追い回される夢だったと言っていたっけ。悪夢の内容としては随分とベタなやつである。そんなのが本当に獏界で噂になるほどの味なんだろうか。


 そんなことを考えて、再び枕に頭を沈める。

 二度寝したら、その続きを見られるだろうか、と瞼を閉じたが、どんなに待っても睡魔は襲ってこなかった。やがて、僕が寝室から出て来ないことに痺れを切らした多々良が、中華鍋とお玉をガンガンと打ち鳴らしながらやって来たので、「近所迷惑になるからやめろ」ときつく叱り、僕は渋々ベッドから降りた。



「多々良は良いお嫁さんになるね」


 ナスの味噌汁を啜った伏木さんがしみじみと言う。


「ですって、ボス」

「どうして僕に振るの」

「えー? だってボク、ボスのお嫁さんになる予定ですから」

「何を言ってるんだ。僕は悪食アクジキ、お前は獏だろ。種族が違う」


 昨日テイクアウトした齋藤某氏の一部と昨夜食べ残した空き缶だけでは当然足りず、僕もナスを食べている。とはいえ、僕のは何の調理もされていないやつだ。多々良の作ったナス料理を食べても良いのだが、それはほら、お客さん伏木さん用だから。というわけで、菰田さんという常連のおばあちゃんからもらった箱一杯の傷有りナスを、洗いもせずにそのまましゃくしゃくと食べている。これなら箸を使わなくて済むからとか、そんな理由じゃない。


「良いじゃないか、種族が違ったってさ。ざっくり分類すれば『妖怪』って同じ括りなんだし」

「そうですよ。ボク達、同じ妖怪仲間じゃないですかぁ」

「いくらなんでもざっくり分類しすぎだよ。お前、本来の姿は四足歩行の獣だろ」

「あれは夢を食べる時だけですもん。それに二足歩行ですし。ていうかレディに向かって獣なんて言っちゃ駄目です。ボスはボクのことお嫌いなんですかぁ」


 うわぁん、とべそをかきつつ、焼きナスにぐさりと箸を刺す。泣きながらでも食べるのが多々良だ。いや、獏なんだから、食事はもう僕の悪夢で済んでいるはずなんだけど。


「うっわ、秋芳君ってばなかなか罪な男だね。悪い雄だ。毎晩一緒に寝てるんだから、そこは腹を括りたまえよ、君」

「腹を括りたまえよ、って言われても」

「わぁぁん。うわぁぁん。もぐもぐ。明水あけみさんそこのお醤油取ってくださいぃ」

「はいよ」


 テーブルの端に置いてある醤油を取ってもらい、それを、だばぁ、と焼きナスにかける。ひたひたになったそれを再び箸でぐさりと刺して口に運んだ。絶対しょっぱいぞ、それ。


「多々良、自棄やけを起こすな。ええと、夢喰い獏でも塩分って気をつけた方が良いのかな? ちょっとよくわからないけど。とにかく、何か見てて痛々しいからやめなさい。嫌いなんて一言も言ってないだろ」

「うええ。うええん。ボスが『多々良、今日も可愛いね』って言うまでやめませんんん」

「そんな話だったっけ?」

「秋芳君、それくらい言ってやんなよ。多々良が可愛いのは事実じゃないか」

「そうですよぉ! こんなに白黒で可愛いボクですよ?!」

「白黒イコール可愛いがよくわからないけど」


 白黒は可愛いぃ、動物園のバクは可愛いぃ、だからボクも可愛いぃ、と言いながら、醤油差しの中身をすべて空ける勢いでだばだばとかけている。わかった、わかったから、とそれを回収すると、途端に「わかれば良いんです! じゃ、いっちょお願いします! 語尾にハートマークも付けて、ちょっと首を傾げる感じで!」と晴れやかな顔になった。


「タタラ、キョウモ、カワイイネ。ほら、言ったぞ。これで良いな?」

「そりゃないだろ秋芳君。首も傾げてないし、語尾のハートマークも何も完全に棒読みじゃないか。さすがに多々良だってそんなの嬉しくな――」

「いやん、照れますねぇ。そんなに可愛いですかぁ。もうボスったら~うふふふ」


 あっれ、喜ぶんだ?! と伏木さんは目を丸くしている。甘いな伏木さん。ウチの多々良を舐めちゃいけない。僕の口から出た言葉なら、棒読みでも何でも良いのだ。


「ウンウン、カワイイ、カワイイ。多々良、ナスがもうない。他に何か食べるものは?」

「はわ! もう食べちゃいましたか! 全く、ウチのボスバブちゃんは万年食べ盛りですねぇ。成長が楽しみです」

「そんなこと言われても、僕はこれ以上縦にも横にも成長しないよ」

「何だ、秋芳君はもう大きくならないのか」

「ならないよ。僕はこの姿で生まれて、五百年間このまんまなんだから」


 そういう妖怪もいる。

 赤子の状態で生まれて成長をするものもいるが、そいつらにしてもある程度の大きさになれば、それ以上は育たない。そのまま枯れて死ぬか、あるいは死なないか、だ。そして、僕みたいに成体の状態で生まれ、大きさも変えずに生き続けるものもいる。ちなみに出会った頃の多々良は幼体の獏だった。僕がここまで大きく育てたのだ。彼女は、まだ幼く見えるかもしれないが、これでも立派な成体だったりする。


「ええと、そうですねぇ。食べるもの、なくはないですけど。でもほら、今日は昨日のお宅に行って、汚しちゃった畳を回収するんですよね? あれ食べません?」

「あ、そうか。あれがあるんだった。それじゃ良いや。今朝は軽めにしておこう」

「いま箱いっぱいのナス食べたよね? それで軽いの? こわっ」


 空っぽになった段ボールを指差し、大げさに震えて見せる伏木さんである。彼女は体型維持のためだとか言って、あまり食べないのだ。


「そんなこと言われても、僕は悪食で、食べることしか能のない妖怪だからなぁ」

「能がないなんて、そんなことないですよボス」

「だって事実だろ。何でも食べる、何を食べても死なない、それだけだよ」

「違います。ボスは可愛いです。透けるようなふわふわ銀髪に白いお肌。服は上から下まで真っ黒。白と黒です! 可愛い! 存在が可愛いです! まるっ!」

「なんだそりゃ」


 頭の上で大きな丸を作り、尚も「まるっ!」と叫ぶ。にっこにこと笑いながら両手で大きく丸を作る多々良は、まぁ確かに可愛い。


「確かに秋芳君は可愛いよねぇ。天使とか、フランス人形とかそういうジャンルだもんね。それなのに、あんなでろでろどろどろぐちゃぐちゃのをむしゃむしゃ食べるんだから。いやほんと、ギャップよ」

「またワイルドとかそういう話? だいたいさ、伏木さんはどうして僕のこと気味悪がらないの? 僕、妖怪だよ? 別に取って食おうなんて思ってないけどさ。君達って、僕が何でも食べる妖怪です、って自己紹介しただけで勝手に怯えるじゃん」

「私、その辺に理解がある方だから」

「理解ありすぎでしょ」


 ふふん、と胸を張って、伏木さんは得意気だ。

 

 伏木さんと出会ったのはほんの数年前だけど、ここ数年は本当に住みやすくなった。昔はこの容姿のせいで「南蛮人」などと呼ばれ、妖怪云々の部分ではなく、ただ単純に「日本人らしい見た目ではない」という点での迫害が多かった。けれど最近は、最早どこの国の人間かもわからないような色に髪を染めている若者も多くいるため、僕のふわふわ銀髪なんて珍しくもなんともない。それに、この手の「男だか女だかわからない容姿」もかなり市民権を得ているようで、『中性的』だの『ジェンダーレス』だのと、案外ウケが良いのだ。


 ただ、ウケが良いのと、受け入れられるのは別だ。

 この見た目で寄って来る人は多くいるが、僕の食事を見れば、あっという間に逃げていく。化け物、妖怪。そんな言葉を投げつけて。知ってるしわかってるし大正解だ。だって僕は化け物――妖怪だ。


 それでも唯一逃げなかったのが、この伏木明水という女性なのである。


「おお、良い食べっぷりじゃないか君。――え? 何でも食べる妖怪? それは丁度良い。もし良かったら私の仕事を手伝ってくれたまえ」

 

 その時もやっぱり、彼女は男の恰好をしていて、それで、手には、御札のべったり貼られた手提げ金庫を持っていた。


 それで、その中に詰まっていた『元・人間』――もとい『塊』が思いのほか美味しかったものだから、僕は彼女の仕事を手伝うことになったのである。

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