1-4 ごちそうさまでした

「ほぉ。お前が我が子孫か。丸々肥えていてちょうど良いな」

「な、何がだ」

「その腹ならワシが入っても目立たんな、っちゅうことだ。何、余計な肉など抉れば良いしな」

「何を言ってる」

「やり残したことが山ほどあるのだ。土地も不動産もお前なぞよりワシがやった方が、絶対にうまくいく」

「は、はぁ?」

「感謝せい。たんまり稼いでやろう」


 ぺたりと尻をつけ、だらしなく開脚している齋藤さんの股座へころころと転がり、そのまま、べちゃり、と右腿の上に乗る。


「ひいぃ! お、降りろ!」

「降りるものか。このままお前の腹に入る」

「や、止めろ! おい、鍵師! 話が違うぞ! 書類にはちゃんとチェックを入れた! サインもした! こいつをどうにかしろ! 金はいくらでも払う! 処理はそっちに任せたはずだ!」


 入るための穴をあけようとしているのか、核は、ぐりぐりとメタボ腹に身体全体を押し付けている。あんなものでは当然人体に穴があくことはない。だけど、ならば入れそうな穴から入ってしまえ、となったら厄介だ。口はもちろんのこと、鼻もそうだし耳もある。ズボンを剥げば尻にも穴はあいている。さすがに毛穴は無理だが、耳や鼻の穴くらいならどうにかねじ込んで体内に侵入しようとするはずである。


 相当痛いだろうな。


 そんなのんきなことを考えている場合ではない。


「はいはい。確かに書類にはチェックもサインもいただいてますんで。ご安心ください。彼、基本的にお残しはしませんから。――そうだよね、秋芳君?」

「もちろん。本当はこっちをきれいに食べてから、最後のお楽しみにしようと思ってたんだけどなぁ。あれかな。上から食べるんじゃなくて、核が飛び出さないように周りからじわじわ食べれば良かったのかな」


 多々良、どう思う? と尋ねると「ボクにはわからないです」とバッサリ切り捨てられてしまった。こいつ、何でも良いからもう帰りたいんだな。


「というわけで秋芳君、ぱっぱと食べちゃってくれないかな? 別にね? テレビのために言ってるわけじゃないんだよ? 多々良のポップコーンとかね? 仕事終わりの一杯とかね? 別にそういう話じゃなくて。依頼者様がさぁ、こう言ってるからさぁ」

「絶対そういう話じゃん」

「それもあるけど! あるけど、それは九パーセントくらいっていうか――あっ、九パーセントで思い出したけど、こないだ買ったストロング系のチューハイでめっちゃ美味しいのがあってさ」

「もう絶対そういう話になってるじゃん」


 わかったよ、と最後の抵抗とばかりにあともうたらい一杯分くらいになった齋藤某氏の脂肪部分をまた一口分千切り取って口に運び、多々良に「これ、お持ち帰りして夕飯にするから、詰めといて」と指示を出す。これでもう帰れるとわかって多々良は上機嫌だ。あいあい、テイクアウト、かしこまりですよ、と満面の笑みで敬礼までし、いそいそと鞄の中から特大のファスナー付きビニール袋を取り出している。使い捨てのビニール手袋を装着し、うきうきと詰め始めた。


 もちゃもちゃと嚙みながら齋藤さんのところへ行くと、核はころころと転がりながら彼の首元の方まで来ていた。「仕方ないから口から入るか」などと言いながら。核が重力に逆らえるとかそういうことではない。齋藤さんの腹がメタボすぎて身体が傾斜になっているのだ。核の方からしてみれば、かなりきつめの上り坂、といったところだろう。


「っひ、ひぃぃぃぃ!」

「おいもっと大きく口を開けろ。入らんではないか」


 いや、どんなに開けても無理だよ。そう思いつつ、「こら」と言って、片手で核をむんずと掴む。これは豆知識だが、核というのは弾力があって柔らかい。大きさにもよるが、重さはこれくらいのものならだいたい八キロくらいだろうか。か弱い女性でも何とか持てる重さである。ただ、動くし、ヌルつくので、ゴム手袋か滑り止め付きの軍手でもなければ、なるべく両手で持つようにした方が良い。まぁ、持つ機会もないと思うけど。


「む。何だ」

「何だじゃないよ。伏木さんの依頼人を困らせるんじゃない」

「困らせてなどおらぬわ。何、入る時は多少苦しいかもしれんが、そんなものは一瞬だ」


 共に稼ごうな、いまよりもっと贅沢な暮らしをさせてやろう、お前、金が好きだろう?


 そう言って、核はケタケタと笑った。目も鼻も口もない、ついでに言えば痛覚なんかもない、ただのヌルついた球体である。けれども、しっかりと発声器官をもっているかのように、明瞭な声でそう言った。あと、勘違いされがちだが、こいつは生きているわけではない。単なる念の塊だ。


「齋藤さん、一応聞きますけど、お金、好きですか」

「……へ、へぇっ!?」

「もしどうしてもこれと一緒になっていまより稼ぎたいって言うんなら、僕は断腸の思いで諦めますけど。どうします?」

「ど、どうするも何も」

「いや、案外よくあるケースなんですよ。処分するつもりだったけど、やっぱり返してください、っておっしゃる方もいて。だから、どうします? お金、たくさん稼げるって言ってますけど。お金、好きなんですよね?」

「そ、そりゃあ……好きだが……」

「それじゃ仕方ないですね。ちょっと苦しいけど、口から行きますか」

「は?」

「え? 鼻からにします? チャレンジャーですね。でもどう考えても鼻は拡張するにしても限界があるというか」

「え、いや、何を言ってるんだ君は」

「ですから、この核を体内に入れるんですよ。同化したいみたいなんで」


 でもさすがに鼻はどうでしょうね、と言って、どこまで広がるだろう、と鼻の穴を覗き込む。どう見てもこの大玉スイカが入りそうにはない。まぁ、かといって口から入るか、というのも厳しい話ではあるけど。多少、こう、ぎゅっと圧縮すればなんとかなるかも。案外人間の身体って伸びるからな。


「いっ、いやいやいやいやいや! 金は好きだが! そいつはいらん! さっきも言ったが、金はいくらでも払うから、そっ、それをどこかにやってくれ!」


 その叫びで、思わず頬が緩む。これでこいつは僕のものだ。


「よろしいんですか」

「良い! よろしい! 何度も言わせるな! 頼むから!」

「わかりました。いやぁ良かった。実は正直限界で」


 早く食べたくてもう。


 ぬらりと光る、ぴかぴかの黒球である。

 もっちりとした弾力もあって、動いているから新鮮そのものだ。生きてるわけでもないのに新鮮って言って良いのかな。

 

 べろり、と唇を舐め、んがぁ、と大口を開けて、かぶりつく。さすがに一口におさまる大きさではない。首を振って、ぶちぃ、と噛み千切ると、中から液体が噴き出した。おっともったいない、とそれをずずず、と啜る。ごく、と喉を鳴らして飲んでから気が付いた。


 しまった。めちゃくちゃ至近距離――というか0距離で食べちゃった。


 時すでに遅し、である。

 

 泡を吹いて失神している橋本さんの隣で、齋藤さんは白目を剥いてぱたりと倒れた。


「ちょっともーどうするんだよ秋芳君」

「どうするもこうするもないでしょ。僕いま一番美味しいところ食べてるんだからちょっと黙ってて」

「ボス~! テイクアウト作業終わりましたですよ! 帰りましょっ!」

「多々良、掃除がまだだ。全部終わるまでステイ」

「そんなぁ!」

「だけど掃除ったって、私らに出来ることなんてほとんどないんだよなぁ」

「ですよねぇ。どうせ汚れた畳も全部ボスが舐めとるんですから」

「もうさ、汚れた畳ごと買い取った方早くない? 保険使ってさぁ」

「あっ、それ良いですね! ボス、そうしましょ! 舐めるだけより畳丸ごと食べた方がお腹いっぱいになって幸せです!」

「そうだなぁ。確かになぁ」


 その後、僕が核を大事に味わって食べている横で、とにかく早く帰りたい伏木さんと多々良は、よいしょよいしょと汚れた畳を外して扉が開きっぱなしになっている金庫に立て掛けた。このブルーシートに乗っているものはすべてこちらの持ち帰り品、ということになっている。たださすがに依頼人が心神喪失状態で持ち出すわけにはいかないので、とりあえず書き置きを残して、回収は明日である。一応書類にはそういう場合もあります、という記載がある。そこまで読んでくれている、はず。あれだけ大声で読んでたんだし。


 ちなみに、金庫の中には齋藤某氏以外にも色々入ってはいた。古い小銭がぎっちり詰まった壺とか、きれいに折り畳まれた着物とか、後は何だったかな、掛け軸とか書類関係だったかもしれない。ただ、その価値などはさっぱりわからない。僕はただ長く生きているだけなのだ。


 だけどまぁ、小銭はまだしも、着物とか掛け軸、書類関係は駄目だろうな。なんていうかその……色んな液体で変色してるし。


 この齋藤某氏が、一体なぜこの金庫の中にいたのかは結局のところわからない。誰かに騙されて閉じ込められたのかもしれないし、自ら入った可能性もある。だけど、別に知りたくもないし、僕も伏木さんもその辺はどうでも良いのだ。伏木さんは開かずの金庫や鍵を開けることにしか興味がないし、僕はその中に入っている『食べても良いモノ』にしか興味がない。


 今日の仕事ご飯も美味しかった。

 お腹いっぱい食べられることに勝る幸せはない。


 そう僕は思う。

 ごちそうさまでした。

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