1-3 一番美味しいところは
その後も多々良がキャッキャと嬉しそうにするものだから、僕は慣れない食レポとやらを精一杯頑張った。加熱式タバコを吸う伏木さんが、ものすごく呆れたような顔で僕のことを見ている。依頼者である齋藤さんとその使用人の橋本さんはというと、しっかり抱き合ってガタガタ震えている。
食べ始めて十分ほど経っただろうか。
齋藤某氏の塊は半分くらいの大きさになっていた。上から食べているとはいえ、例え人の形に似ていても、上部=頭部と限らないのがこの手の塊の特徴で、依然としてひゅうひゅうという隙間風のような唸り声は聞こえている。発声器官が下の方にあるとかそういうことではない。こいつの身体の奥にある『核』が鳴っているのだ。ちなみに、そこが最も美味しい。
「……秋芳君、今日は随分とゆっくりなんだね」
休みなく食べ続けている僕に向かって、タバコを吸い終えた伏木さんが言う。
「そうかな」
「そうだよ。いつもならもんのすごい勢いでぐわぁぁぁって食べるじゃないか。あっちこちに破片? 肉片? をさ、びっちゃびっちゃに飛び散らせてさぁ」
だけど今日は口の周りもまぁまぁきれいだし、服も汚してないじゃん、と言って帰り仕度を始めた。
「だってこないだ伏木さんが言ったんじゃないか」
「へ? 私何か言ったっけ?」
「秋芳君って食べ方汚いよね、って」
「……言ったっけ。あ、あれ? 見た目に反してワイルドで素敵、じゃなかった?」
「そんなことは絶対に言ってなかった。多々良、聞いてたな?」
「あいあい。聞きました聞きました。
「僕は親もいないし野良育ちだから、きれいな食べ方なんて教わってこなかったしさ。そしたら、多々良が『テレビできれいなお姉さんがパンを小さく千切って食べてるの見ました。あれが上品な食べ方なんですよきっと』って言うもんだから」
そりゃあ本当は僕だってこんなちまちま千切ってて食べるよりも、飛び掛かって、がぶりと齧りつきたいのである。気持ちの問題かもしれないけど、そっちの方が美味しい。いま言った通り、僕は親もいないし、野良育ちだから、作法やマナーなんていうのを全く教えられていない。空腹さえどうにかなればそれで良いと学ぶ気もなかった。箸だっていまだにうまく使えなくて、こないだ多々良が「画期的なものを見つけたですよ、ボス!」と言って、矯正箸なる指を通す穴のついた火ばさみみたいな箸を買って来てくれた。それを使えば何とか。でもめんどい。
なので、人前で普通の食事をする時は、基本的にはフォークやスプーンを使うか、もしくは手掴みで食べられるものしか食べない。幸いなことに、この見た目のお陰で外国人だと間違われることが多く、箸でもたついていると、店員さんの方から「こちらどうぞ」とフォークを出してもらえたりもする。まぁ、確かに外国人ではないけど、かといって日本人というわけでもないのだが。それに、口を開けさえすれば、多々良が食べ物を突っ込んでくれるし。
「もーごめんって。ちょっと覚えてないけどさぁ。お酒の席の話でしょ? 忘れて忘れて。もうさ、いつもみたいにガブーって食べたまえよ」
「でも、ただでさえ齋藤さん達怯えてるのに」
「そんなの見てる人が悪いんじゃないか。だってこんなスピードじゃ朝までかかるよ。早く終わらせて帰ろ? 私、見たいテレビあるんだよね」
と言って、足をパタパタさせている。見たいテレビってどうせアレだろ、『金曜ホームシアター』。今日は何をやるって言ってたっけ。
そんなことを考えていると、元気よく挙手をして反応したのは多々良である。
「『ザ・スケアリー・ナイト3』ですよね! ボクも今日すっごく楽しみにしてたですよ!」
「おっ、さっすが多々良、チェックしてるねぇ」
「もっちろんですよぅ! ボクはちゃぁんとボスと一緒に食べるポップコーンまで用意したんですから! えっへん!」
「偉いぞ多々良。ちなみに味は?」
「定番の塩と、キャラメルです!」
「ひゅーっ! わーかってるぅ~!」
お互いに指を差し合ってきゃっきゃと笑っているが、映画の内容としてはタイトルからもわかるようにバリバリのホラー映画である。しかもアレだ。いわゆるスラッシャー系という、人がズバズバ切られて血やら何やらがブシャーって出るやつだ。そんな映画ばかり見ているからなのか、伏木さんは僕の食事を見ても平気でいられるようである。ていうか何、僕もそれ一緒に見るの? ポップコーンだけちょうだいよ。
「ね、ボス、急ぎましょ? もうガブガブ食べちゃうですよ! ね? ね?」
「いや、どうせ録画してるだろ、お前は」
「してますけど! リアタイしたいじゃないですかぁ! ポップコーン、お口にあーんってしてあげますからぁ!」
「そうだそうだ! 頑張れ多々良! 押せ! あと一息だ!」
「あっ、せっかくですし、明水さんもウチで見ていきます?」
「ちょっと、勝手に決めないでよ。伏木さんが来ると色々散らかすから僕は嫌だ」
「散らかさない! 大丈夫だ! ちゃんと空き缶だって持って帰るし!」
「いや、空き缶は僕が食べるから良いんだけどさ。あれは歯応えがあるから好き」
「便利だよねぇ、
「絶対に嫌だ」
「明水さん、その場合はもれなくボクもついてくるですよ」
「もちろん、大歓迎だとも!」
などと会話をしながらでも僕の食事は止まらない。のそのそと一口分――といっても手のひらに山盛りだけれども――を千切ってべちゃべちゃと
僕がペースを上げないので、伏木さんも多々良も不満顔である。何かもうここまで来たら意地なのだ。今日はどんなに急かされても上品に食べてやる。
仕事仲間達からの野次にかき消されつつあるが、部屋の隅では依然として「ひい」だの「ぎゃあ」だのという依頼人さん達の悲鳴が聞こえる。叫べるうちは大丈夫だ。全く声も出なくなったらいよいよ
なぜなら――、
「お、活きが良い」
大玉のスイカくらいの大きさの
何せこれが本体であるからして、基本的には動くのはこいつなのである。この周りを覆っていた部分は人間でいうところの脂肪のような物で、それ単独では動くことは出来ない。この核が神経であり、筋肉であり、司令塔なのである。分厚い脂肪を脱ぎ捨てた核は、それはそれは元気いっぱいに跳ね回っている。そして、核には大抵の場合、明確な目的がある。その内容はもちろん多種多様である――と言いたいところだが、案外そこまでバリエーションはない。
カテゴリとしてはほぼほぼ『復讐』である。
自分をこのような姿にしたものへ報いを、といったような。いや、この姿を選んだのは自分なのでは? と思ったかもしれないが、そうじゃないパターンもあるのだ。果たして今回はどうだろう。どうでも良いけど。
「やっと……やっと出られたぞ……ふふ……ははははは」
そうそう、それから核はしゃべることもある。
さっきまではひゅうひゅうとした唸り声だったけど、それはやっぱり周りに分厚い膜があったからそう聞こえただけなのだ。たぶん彼はずっと開けろとか出せとかそんな感じのことを言っていたものと思われる。ちなみにしゃべらないやつもいる。
そして、勢いよく飛び出した核は、ぴょんぴょんと跳ねながら、齋藤さんの方へ向かっていく。ぴょんぴょんと跳ねる度、周りに付着していた脂肪(わかりやすいのでこれを覆っていた部分を『脂肪』と呼ぶことにする)の欠片が飛び散る。あらら、せっかくブルーシートまで敷いてくれていたのに、その外にまで、だ。きれいな畳にどす黒い汁やら何やらが、ぺたぺたとスタンプのように丸く捺されてしまっている。ただまぁ、これについてもあの書類には記載があったはずなのだ。僕が作ったやつじゃないから詳しい部分はわからないけど、保険が利くとかそういうのだったかな。それにまぁ、汚れはある程度は何とかなるし。何とかなるっていうか、僕が何とかするんだけど。とりあえずギリギリまで、残っている脂肪部分を食べることにしよう。
てぃんてぃん、とゴム
「お、おい、鍵師! と、そこのふわふわ頭の女みたいな妖怪! こ、これは何だ! 何なんだ! おい!」
まだまだ齋藤さんはしゃべる元気がある。が、橋本さんはもう限界かもしれない。彼が代々仕えている系の使用人だとしたら、この齋藤某氏の恨みをぶつけられても――それにしたってまぁ完全にとばっちりだけど――わかるのだが、そうでないのならば可哀相すぎる。
「多々良、橋本さんの夢はお前が食べてやれ」
もちゃもちゃずるずると残りの部分を食べつつ、多々良に言うと、
「え~、あんなしわしわおじいちゃんのですかぁ? ボク、グルメなんですよねぇ。ボスのが良いです」
などというつれない返事である。多々良曰く、どうやら僕の夢は獏界隈では美味で有名らしい。
「僕のも食べて良いよ。ていうか、年齢の話ならどう考えたって僕の方がおじいちゃんに決まってるだろ」
「見た目の問題ですよねぇ。ボスのお肌はつやつやのぷりぷりですから。第一、あそこまでいったら夢を食べたってどうにもならないかもですよ? だったらボスがいまの記憶を丸ごと食べた方が良くないです?」
「記憶は形が曖昧だから難しいんだよ。余計なところまで食べちゃったら、自分が誰かもわからなくなっちゃうだろ。妖怪ならまだしも、人間の寿命は短いんだぞ。何にもわからなくなったら残りの人生をどうするんだ」
「そういう時のためにやっぱりお箸は練習しといた方が良さそうですねぇ。あれだったらこう、丁寧に選り分けられるじゃないですか。そういやボス、ここ最近練習サボってません?」
「……うぅ。その話はまたあとで」
そこを突かれると弱い僕である。
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