第四十話 織田信長の愛娘、抹殺計画

うたげが終わると……

2人の従者を連れた武器商人が、甲府を発った。


「まだ若い女子おなごの分際で!

武田家を支えているこのわしに、何と無礼な物言いを!

絶対に許せん!

そういえば……

あの場にいた山県昌景やまがたまさかげや他の何人かは、わしを見て薄ら笑いを浮かべておったぞ!

武田四天王など、元々は下賤げせん[身分が低いという意味]の者ではないか!

今川家への侵略の際も散々にわしの邪魔をしおって!」


こう開き直った。

「『兵糧や武器弾薬を売るだけでは満足できず、いくさの後の略奪にまで手を染めているようですね。

女子おなごと子供も売り飛ばしていると聞きますが?』

などと、何を今さら。

どの大名も普通にやっていることよ。

捕虜の女子や子供を男の欲を満たす道具として売り、それと引き換えに兵糧や武器弾薬を買っているのじゃ!」


しばらくすると、あることに気付く。

「そういえば……

中座から戻った四郎しろう勝頼かつよりも、こんなことを申していたな。

『前田屋殿。

どうなされた?

顔が真っ青だが?

あきないに励みすぎて、疲れが溜まっているのではないか?

銭[お金]儲けもほどほどになさることだ。

人の恨みを買うような行為を続ければ、いずれ早死するぞ?』

などと。

恐らく勝頼は……

れ込んだ女子おなごの影響を強く受けて、わしに激しい憎悪を燃やしているのでは?」


ある決意をしたようだ。

「西村屋の指示通りに行動するときぞ!

『四郎勝頼、武田四天王、そして織田信長の愛娘。

これら清廉潔白せいれんけっぱくな者たちは……

戦国乱世の原因が、我ら戦いの黒幕たる武器商人にあると思っている。

その一人のおぬしに対して激しい憎悪を燃やすに違いない。

今は武田信玄という絶対的な権力者[独裁者のこと]に必要とされているようだが……

既に病魔におかされていると聞くぞ?

信玄が死んで、勝頼の代となればどうなる?

おぬしは真っ先に始末されるのではないか?

前田屋殿。

生き残りたければ、もはや一刻の猶予ゆうよもない。

直ちに計画を実行されよ』

と。

決断のときは今!

西!」


こうして……

『織田信長の愛娘、抹殺計画』が始動した。


 ◇


武器商人のつぶやきが終わった後、一人の男が音もなく近付いて来る。

見た感じは非常に若い。

まだ十代後半といったところだろうか。


「六郎にございます。

お呼びでしょうか?」


「ん?

おお、六郎か!

近付いていることに全く気付かなかったぞ」


「修行の成果にございます」

「さすがだな。

ところで、六郎よ。

覚えているか?

そちの父と母を殺し、そちから全てを奪ったのが『何者』なのかを」


「それがしの全てを奪ったのは……

あの武田家です」


「うむ。

武田家はな……

信玄堤しんげんつつみの工事に従わなかった者たちへの見せしめとして、そちの父と母がいた六品ろくしなの民と、彼らをそそのかした行商人集団を、揃って『虐殺』したのじゃ」


「……」

「全ては、絶対的な権力者[独裁者のこと]となるためにな」


「……」

諏訪すわの地へ逃れる途中で、そちの母は行き倒れとなった[第九話・国を一つにを参照]。

そちの母を見て憐れに思い、そちを育てた農夫もまたいくさで死んだ。

孤児となったそちを憐れに思ったわしは……

『飼って』やることにした」


「はい」

「ただ飼ってやったのではないぞ?

わしは、そちが武田家への深い恨みを持っていることを『知った』上で飼ったのじゃ」


「……」

「わしが、どれほどの危険を冒してきたか分かるか?」


「ご恩は忘れておりません」

「ならば良い。

そちには、武田家への恨みを晴らす場を与えてやろう。

今こそ修行の成果を見せるときぞ」


「何をしろとおおせで?」

「『一人の女子』を、毒殺して欲しい」


女子おなご……?」

「うむ。

すぐに死ぬ毒でなく、徐々に死に至る毒を飲み水に混ぜてな」


「誰です?」

「四郎勝頼の正室にして、織田信長の姪」


「織田信長の姪?

なぜ、織田家の女子おなごを殺さねばならぬのですか?」


「織田信長の愛娘だからじゃ。

信長の気性ならば、愛娘を殺した武田家を『不倶戴天ふぐたいてんの敵』と見なす」


不倶戴天ふぐたいてんの敵?

ともに天をいただかない敵、つまりおのれか敵のどちらかが死ぬまで徹底的に戦うことになると?」


「うむ」

「武田家を、織田信長の手によって滅ぼすおつもりですか」


「武田軍は強い。

日ノ本ひのもとで最も強い軍勢じゃ。

織田軍の手によってでしか倒せまい」


「織田軍は『弱い』と聞きますが?

その織田軍が、武田軍に勝てることなどあるのでしょうか?」


「そちの申す通り……

織田軍は弱いが、武田軍をはるかに上回っているモノがある」


「上回っているモノ?」

「『銭[お金]』よ。

織田家は、尾張国おわりのくに[現在の愛知県西部]と美濃国みののくに[現在の岐阜県]に加えて近江国おうみのくに[現在の滋賀県]、伊勢国いせのくに[現在の三重県]、和泉国いずみのくに[現在の大阪府堺市など]など豊かな国ばかりを押さえている。

武田家とは比べ物にならないほどの銭があるのじゃ」


「銭[お金]ですか」

「覚えておけ。


いくさでは、銭[お金]をより『多く』持つ者が優位に立つと?」

「そうじゃ」


「前田屋様。

もう一つ、疑問があるのですが」


「申せ」

「織田信長という『一人』の復讐のために……

織田の軍勢が『一つ』になって動くことなど、有り得るのですか?」


「ある。

織田信長が、織田家における絶対的な権力者[独裁者のこと]だからのう」


「……」

「武田信玄が、武田家における絶対的な権力者であるのと同じようにな」


「絶対的な権力者同士だからこそ……


独裁者一人の決断で、血で血を洗うような全面戦争がいとも『簡単』に起こってしまうこと。

歴史はこれをずっと証明し続けている。


 ◇


2人の話は、計画の具体的な内容へと移っていく。


「前田屋様。

織田信長の愛娘は……

信玄や勝頼と一緒に躑躅ヶ崎館つつじさきやかたで暮らしているのでは?」


「うむ」

躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたは無防備な城下町と違い、『防備』の優れた高台にあります。

それがしでも侵入できません」


「そちでも侵入できないのか」

「織田信長の愛娘を、防備の優れた場所から出してさえ頂ければ可能かと」


「防備の優れた場所から出せ?

どうやって?」


躑躅ヶ崎館つつじがさきやかたには、大勢の武田家の者たちが出入りしています。

武田家と織田家で何らかの『問題[トラブル]』さえ起これば……」


!」

「はい」


「それは、うまい方法じゃ!

して。

どこへ移す?」


「『とある寺』へ」

「とある寺?」


「誰もが、甲斐国かいのくにで最も『安全』な場所と思っている……

武田家の菩提寺ぼだいじです。

ただし、防備の優れた高台にはありません」


「それは良い!」


 ◇


ある者たちが、一人の武器商人を迎えている。


「前田屋殿がこんな場所に来られるとはのう。

信玄様から重用ちょうようされていない我らよりも、武田四天王のところへ行った方が良いのでは?」


「武田四天王など、所詮は下賤げせんの者。

そうは思われませんか?

穴山信君あなやまのぶただ様、そして武田信豊たけだのぶとよ様」


武器商人の来訪を迎えたのは……

信玄に最も近い『武田一族』の2人のようだ。


ただし。

武器商人の目的が分からず、2人からは警戒心すら垣間かいま見える。


「要件を話されよ。

前田屋殿」


武器商人は、すぐには要件に入らない。

信君のぶただ様。

信玄様の次女をめとられ、武田家の長老であるべき立場にいながら……

まるで家臣の一人のような扱いをされているようで」


「何っ!?」


「わしを物笑いにしたいのか?」

滅相めっそうもございません。

今川家を攻める際には……

反対した弟君を殺せと命じられ、泣く泣く自害させたとお聞きしています。

お辛かったことでしょう」


相手を変え、武器商人は話を続ける。

信豊のぶとよ様。

武田家で、信玄様に次ぐ権力を持たれていた信繁のぶしげ様のご子息にございましょう?

不幸なことに信繁様は川中島合戦かわなかじまかっせんで討死なさいましたが……

?」


「……」

「違いますかな?」


「重ねて申すが。

要件を話されよ」


「それがし。

武田四天王のような下賤げせんの者よりも……

信君様と信豊様のような武田一族の方に、思うまま権力を振るって頂きたいのです」


「何と!

我らの味方になってくれると申すのか!」



【次話予告 第四十一話 世が乱れる原因は、支配者だけの問題か】

織田信長の愛娘は、こう言います。

「この戦国乱世は、人が己の、しかも目先の利益ばかりを優先し……

皆が一つになれなくなったからこそ生じてしまった」

と。

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