第四十一話 世が乱れる原因は、支配者だけの問題か

その男女は誰もがうらやむような仲睦なかむつまじい夫婦であった。


夫とは武田信玄の後継者・四郎しろう勝頼かつよりのことであり、妻とは織田信長の愛娘のことである。


武田四天王のうちの2人・山県昌景やまがたまさかげ馬場信春ばばのぶはるは……

夫婦について、こんな会話を交わしたことがあった。


信春のぶはる殿。

あの御二方おふたかたは、夫婦となる前から恋人同士だったのでは?

おぬしは何か知っているか?」


「違うぞ、昌景まさかげ殿。

祝言しゅうげんの日に初めて出会った男女だ。

武田家と織田家を結ぶ『政略結婚』のために」


「そうなのか?

あの夫婦に、芝居など微塵も感じられないぞ!

互いを心から思いやっているようにしか見えん」


「損得勘定で結ばれたはずが、いつの間にか本物の夫婦となったのだ。

世に夫婦は多くあれど……

『本物の夫婦』は多くはないからな」


「なぜそうなれたと思う?」

「互いの『生き方』に強く惹かれ合ったのだろう」


「生き方?」

「『世が乱れた原因』は何か?

2人は、この疑問の答えを探していたと聞く」


「原因か……」

日ノ本ひのもと中の大名が争った応仁おうにんの乱のせいか?

それとも、日ノ本の支配者でありながら戦国乱世に終止符を打てない室町幕府のせいなのか?」


「その、どちらかでは?」

「事はそんなに単純ではないぞ。

大勢の者が『勘違い』しているが……


「支配者だけの問題ではない!?

では、誰の問題だと?」


「『人』自身の問題だと」

「人自身!?」


「『この戦国乱世は、人がおのれの、しかも目先の利益ばかりを優先し……

らしい」


「一つになれなくなった、か。

なるほど。

何となく分かる気がする」


「例えば。

おのれの方が当主に相応ふさわしいと考え、当主の座を巡ってみにくい身内争いを起こす『大名』。

己の都合を優先するあまり、隣国の大名に接近して国を分裂寸前の状況に陥らせる『国衆くにしゅうや家臣』。

己の贅沢な生活を欲するあまり、報酬の銭[お金]に目がくらんで応仁の乱に参加し、その後も数々のいくさに参加して、己より弱い人から富を奪い取ろうとする『民』……」


「問題はむしろ……

大名、国衆や家臣、そして民にこそあるのだな。

一つになるどころかおのれの、しかも目先の利益ばかりを優先したことで、幕府の秩序はもろくも崩れ去り、結果として戦国乱世を招いてしまったと」


「うむ」

「そこまでの考えに至るとは、見事と申す他ない」


「姫様は……

我々が、どう行動すべきかを教えてくれた」


「どう行動すべきだと?」

「『逆のことをするのです』

と」


「逆!?」

おのれよりも他人を『優先』するのだ。

と」


「他人のために生きる『生き方』か。

そのこころざしは、称賛しょうさんあたいすると思うぞ。

姫様がおられる限り、武田家と織田家は盟友であり続けるだろう。

日ノ本ひのもとの東を武田家が、西を織田家が取りまとめ……

強大な武力をって争いをしずめる。

これで、戦国乱世に終止符を打てるに違いない!」


「姫様は続けて、こう教えてくれた。

『人は……

おのれの持つ欲を捨て去ることができません。

欲を捨て去ることができない以上、争いは必ず起こります。

これも人のさがなのでしょうか……

永久とわに続く平和を実現することなど不可能なのです。

だからといって!

戦いをおこたってはなりません!

たった数十年の平和だっていいのです。

その平和で、何千、何万もの命が奪われずに済むのですから。

武田四天王の方々も、最後まで戦ってください!

そして何よりも……

!』

とな」


「戦う相手を間違えてはならない、とは?」

「人の持つ欲をあおって争いの種をき、愚かな者をあやつっていくさへと発展させ、兵糧や武器弾薬を売りさばいて銭[お金]を稼いでいる奴ら。

これこそが『まことの敵』だと」


「確かに。

そういう奴らを野放しにすれば、欲をあおられ、そして操られる『次の』愚かな者がいて出て来るだけだからな。

もと木阿弥もくあみ[一度良くなったことが元の状態に戻るという意味]とはこのことよ」


「争いの『根本』を絶たねば……

争いをしずめたところで、また新たな争いが起こってしまう。

これでは戦国乱世に終止符を打つことなどできまい」


「信春殿。

?」


「昌景殿。

あの前田屋は……

いずれ始末せねばならん敵だ。

ただ、今ではない」


「ん?

なぜさっさと始末しない?

おくされたのか?」


「臆しているのではない。

奴の背後には……

圧倒的な銭[お金]の力を持つ、『戦いの黒幕たる武器商人』が控えているのだぞ?」


「……」

「前田屋一人を始末したところで、蜥蜴とかげの尻尾を切ったに過ぎん。

黒幕にとっては痛くもかゆくもない」


「くっ。

あの前田屋も、所詮は『使いばしり[用事を命じられてあちこち走り回っている程度の存在という意味]』ということか。

奴の代わりなどいくらでもいるのだな」


「奴を始末するのは、奴の背後にいる黒幕をあぶり出した後だ。

その前に……

我らは黒幕を倒すだけの強大な『武力』を持たねばならん」


「やはり。

武人は武人らしく、武力に物を言わせるべきか」


「昌景殿。

おぬしは駿河国するがのくにの制圧に忙しくて知らないだろうが……

勝頼様も、全く『同じ』ことを考えているぞ?」


「何っ!?」


 ◇


うたげの後。


妻は、夫がいつもと違うことに気付く。

「あなた様。

今夜はどうなされたのです?」


「わしは……

そなたのことを常に大切に思っている」

夫は、穏やかにこう応えた。


「はい」

「だからこそ、ありのままを教えて欲しいのだ」


「何を教えて欲しいのです?」

「そなた……

あの前田屋に何か申したのではないだろうか?

わしが中座していた間のことだが」


「……」

「そなたの身にとって大事なことなのだ。

わしは、何があってもそなたを守らねばならん」


「信長様の愛娘だからですか?」

「違う!」


「……」

「わしは信長殿を『尊敬』している。

尊敬している御方の愛娘として、そなたにも一目置いている。

しかし!

わしがそなたを守るのは……

それが理由ではない」


「どんな理由です?」

「何度も伝えているではないか」


「何度も伝えてください」

「……」


 ◇


夫は、一つ深呼吸をしてから話す。


「わしは、そなたことがいとおしい。

いや!

愛おしくてたまらぬ。

だから、何があってもそなたを守るのだ」


妻の目から涙が流れ始める。

「あなた様のお気持ち、嬉しい……」


「ありのままを教えて欲しい」

「わたくしは……

あの前田屋に、激しい『憎悪』を燃やしています」


「存じている」

「わたくしは見てしまいました。

大勢の女子おなごと子供が手足を縛られ、奴隷として連れて行かれるのを!

聞けば前田屋の配下の者たちでした。

いくさで捕虜となった女子と子供を、江尻えじりの港[現在の静岡県静岡市清水港]から船でさかい[現在の大阪府堺市]へと連れて行く途中なのだとか。

あの者は……

兵糧や武器弾薬を売るだけでは満足できず、いくさの後の略奪にまで手を染めて人を売り買いしていたのです!」


「……」

「ちょうどそのとき、一人の少女と目が合いました。

わたくしにすがるような目を送っていました。

わたくしは、人が苦しむ姿を見てみぬふりなどできなかった!

そばにいた者に助けに行くよう命じましたが……

持っている銭[お金]が限られていて、目が合った少女一人を侍女じじょとして買い取るのが精一杯でした。

たった一人しか救えなかった!」


夫は、嗚咽おえつする妻の手を優しく握った。

おのれを責めないで欲しい。

前田屋をのさばらせているのは、わしの力不足でもある。

そなたは立派なことをしたのだ」


「わたくしは、信長様と初めて会った日を思い出しました。

あの日。

優しい目でこうおっしゃいました。

『応えて欲しい。

わしに、付いて来てくれるのか?』

と。

あの少女のように手足を縛って無理やりにではない!

わたくしの意思を確かめた上で岐阜ぎふへと連れて行き、手元に置いて大切に育ててくださったのです」


「……」

「あなた!

どうして?

どうしてなの?

同じ少女、同じ人でありながら……

どうしてこうも違うのですか!

人には、それほどまでに優劣があるのですか?」


「『人に優劣などない』

叔父上の信繁のぶしげ殿は、常々つねづねこうおおせであった。

そなたの申すことは全くその通りだと思う。

奴に激しい憎悪を燃やしているのは、わしとて同じ。

わしが当主となったら……

殿


「それはまことですか!?」



【次話予告 第四十二話 織田信長と家康の母・於大】

織田信長は、数ある戦国武将の中で『桁外れの純粋さ』を持つ人間でした。

彼の志はただ一つ。

戦国乱世に終止符を打ち、平和を達成することです。


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