第三十七話 織田信長、京の都に火を放つ

「武田家を動かす鍵となる男を、ここに連れて来ている」


こう言った西村屋が連れて来た男は……

何と、京の都の商人たちが憎悪する商売敵・さかいの武器商人であった。


「お初にお目に掛かります。

それがし、堺であきないをしている者。

屋号やごう前田屋まえだやにございます」


それを聞いた一同は、思わず唖然あぜんとした表情を見せる。

筆頭格の立花屋が思わず声を上げた。


「西村屋殿!

な、なぜ……

この場に、商売敵である堺の武器商人を連れてきたのか!」


「立花屋殿。

敵ではありません。

前田屋殿は、我らの『味方』ですぞ」


「み、味方!?」

「お忘れですか?

我ら京の都の武器商人たちが、最も『得意』としていることを」


「得意……?

まさか!」


「その、まさかです。

立花屋殿」


「人の持つ欲をあおって争いを引き起こすことか!」

「それがしは……


「何と!」


 ◇


立花屋を始めとする一同は、どうしてもに落ちない[納得できないという意味]ようだ。


「西村屋殿。

堺には、圧倒的な銭[お金]の力がある」


「その通りです」

「堺であきないをする方が安全かつ確実に儲けられるにも関わらず……

前田屋殿は、なぜ堺を裏切るという『危険』を犯されるのか?」


立花屋の言っていることは何も間違っていない。

わざわざ危険を犯すだけの十分な理由がない限り、誰も前田屋を信用できないだろう。


「立花屋殿、そしてご一同。

この前田屋本人がお答えしましょう。

西村屋殿が申された通り、それがしには欲があるのです」


「欲!?」

「堺の利権は……

今井宗久いまいそうきゅう津田宗及つだそうぎゅうなどの会合衆えごうしゅうが独占しています。

それがしのような『新入り』には、下請けの仕事しか回ってきません」


「『古株』と新入りには、それほどの差があるのか。

富が公平に分配されているわけではないのだな」


会合衆えごうしゅうなど!

ただ豪商ごうしょう[大きな商人のこと]の家に生まれただけで、父親から安全かつ確実に銭[お金]を儲けられる商権を受け継いだやからばかり。

そんな青二才どもがほとんどの利益をむさぼり……

商才のある者がわずかな利益しか得られないなど、『不公平』もはなはだしいではありませんか」


「なるほど。

ある程度の危険をおかしてでも、会合衆えごうしゅうを出し抜こうとお考えなのか」


「はい。

西村屋殿はこう語ってくれました。

『この世で最も醜悪しゅうあくな行為とは何か?

実力なく、何の実績も上げない者が、利益をむさぼり続けることでは?

権力のある親に生まれた子だけが、権力を握り続けること。

富んだ親に生まれた子だけが、富を独占し続けること。

こんなことを許していいのか?

今は下剋上げこくじょうの世ぞ。

それがしと共に、弱き者や腐った者どもから権力や富を奪い取ってやろうではないか!』

と」


西村屋が続く。

「皆々様。

あの堺も、一つになっているわけではない。

前田屋殿と同じように……

富を独占する奴らに不満を持つ者は確実に存在している。

そうならば!

堺の中にいる不満分子をあおって争いを引き起こせば良いのです」


「なるほど!

それは、なかなかにうまい方法ではないか!

あのにっくき堺の力をげるのならば、反対などない。

いかがであろう?

田中屋殿、平野屋殿。

殿!」


「異存はござらん」

田中屋と平野屋が同意したことで……

筆頭格の立花屋と、提案した当事者の西村屋の4人が賛同したことになる。


「5人のうち4人が賛同している。

我らはずっと、多数決で事を決してきた。

決定事項ということでよろしいな?」


立花屋が結論を出そうとしたところで、若い吉田屋の了以りょういが口を挟む。

「皆々様。

お待ちくだされ。

我らは、商売の玄人くろうとですぞ?」


「……」

「具体的にどう進めるかの話もなしに、有象無象うぞうむぞうやからと手を組むことを決めるとは……

まるで『素人』ですな」


若者の精一杯の皮肉で、場は沈黙に包まれた。


 ◇


沈黙を破ったのは西村屋であった。


「吉田屋殿の申す通りじゃ。

具体的にどう進めるか、それがしから話しましょう」


「おお!

よろしく頼む」

筆頭格の立花屋だ。


「前田屋殿は……

武田家と長い期間にわたって兵糧や武器弾薬の取引をしてこられた。

しかも、『一味』を家臣に送り込んでいる。


若者がまた口を挟む。

「英雄である信玄公が、たかが商人ごときの思惑通りに動くとも思えないが」


「動かすのは信玄では『ない』」

「信玄公ではない!?」


「1つ目は……


「対立を利用?」

「数年前のことだが。

駿河国するがのくに遠江国とおとうみのくに[合わせて現在の静岡県]を治める今川いまがわ家への侵略を開始した武田軍は……

迎撃してきた今川軍を一度は撃ち破ったものの、完全に足止めを食らってしまう。

『同盟相手を侵略するとは、卑劣極ひれつきわまりない奴め!』

激怒した北条ほうじょう家の当主の氏康うじやすが、東側より大軍を送り込んだからじゃ。

この間隙かんげきって……

西側から徳川軍が侵攻し、遠江国とおとうみのくに掛川城かけがわじょう[現在の静岡県掛川市]で最後の抵抗を続ける今川家を降伏させてしまった。

これが、武田家の者たちを激怒させる結果となる。

『おのれ徳川!

我らが北条に苦戦を強いられている間に、勝手に今川を降伏させて勝利をかすめ取りおって!』

とな」


「おお。

それは良い!

前田屋殿が、争いがいくさへと『発展』するよう武田家を内側から動かしてくれれば……

立花屋である。


「織田信長は、徳川家康を切り捨てることができなかったらしい。

裏で家康を最大限に支援するため、下京しもぎょう[現在の京都市二条通りの南側]の商人である茶屋四郎次郎ちゃやしろうじろう浜松城はままつじょう[現在の静岡県浜松市]へとつかわしたとか」


「あの貧乏人どもが住む下京しもぎょうの茶屋か。

この上京かみぎょう[現在の京都市二条通りの北側]に楯突たてつくばかりか、信長めに尻尾を振りおって……

生意気な奴め!

どうやって邪魔したものか」


「お待ちくだされ。

ここは、茶屋の好き勝手にさせるのがよろしいかと」


「奴の動きを見逃せと?」


「なるほど!

信長が家康を支援するほど、信玄はますます鬱憤うっぷんつのらせるに違いない!

これで信玄と信長の『争い』を引き起こせるぞ!」


 ◇


「2つ目は……

足利あしかが将軍家と室町幕府を、織田信長に敵対させること」


若者がここでまた反論した。

「何を馬鹿な!

そもそも将軍家と幕府は、信長の支えで成り立っているのだぞ?

信長を敵とすることは……

おのれの手足を切り取るのと同じほど愚かな行為ではないか!」


「足利将軍家はこう思っているらしい。

『わしは室町幕府の頂点に君臨し、武家の棟梁とうりょう[代表のこと]でもある!

それが、なぜおのれの望み通りにまつりごとができない?

まつりごとにいちいち口を出してくる信長の顔色をうかがうなど、うんざりじゃ!

何とか奴の力をぐ方法はないものか?』

とな」


「愚か者めが……」

「足利将軍家が愚かなのは、今に始まったことではないぞ?

おのれを支え続けた一門の筆頭である斯波しば家や二番手の畠山はたけやま家などの有力大名の力をぎ、応仁おうにんの乱まで引き起こして、結果的に己の力まで削いだ『過去』があるからのう」


「それは、我ら京の都の武器商人たちがそそのかしたからであろう!

他人を責める資格がどこに?」


「全てはな。

あおられる馬鹿が、そそのかされる馬鹿が、利用される馬鹿が、あやつられる馬鹿が、だまされる馬鹿が、あざむかれる馬鹿が悪いのじゃ。

おのれの愚かさこそ恨め」


下衆げすが」


 ◇


「3つ目は……

『一人の女子』を、抹殺すること」


「一人の女子おなごを抹殺?

一体、誰を?」


その名を聞いた若者は、思わずこう叫んだ。

「そ……

それだけは!

それだけは止めよ!

!」

と。


 ◇


数年後。


元亀げんき4年[西暦1573年]4月。

若者の予言は、見事に的中することとなる。


「わしは、最愛の娘を傷付けた奴らを絶対に容赦しない。

千年の都であろうと見逃すものか!

ことごとく灰にせよ」


織田信長の命令を受けた数万人の軍勢が……

京の都を焼き討ちにした。

宣教師のルイス・フロイスは、そのときの状況をこう書き残している。


「恐るべき戦慄せんりつ的な情景が展開され、上京かみぎょうことごとくが灰となった。

加えてその軍勢は、大勢の都人みやこびと殺戮さつりくした。

最後の審判の日さながらであった」


京の都に、終末しゅうまつのような光景が広がったのである。



【次話予告 第三十八話 裏から日本を支配する地位は、誰の手に】

明智光秀はこう考えていました。

「あの京の都の武器商人どもが、裏から日ノ本を支配する地位を奪われたままでいるはずがない。

どんなに汚い手を使ってでも、堺と織田信長様の力を削ごうとするだろう」

と。

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