第三十話 徳川家康、先祖から受け継いだ信念

徳川家康と明智光秀の会話の続きである。


「『おのれの都合ばかりを優先するから、余計な争いが起こる』

光秀殿のおっしゃる通りです。

まことに申し訳ない」


「……」

「しかし。

それがしには、『先祖から受け継いだ信念』があるのです」


「先祖から受け継いだ信念とは?」

「先祖が代々にわたって暮らしていた三河国みかわのくに[現在の愛知県東部]は、足利あしかが将軍家一門の多くが生まれた土地。

ご存知でしょう?」


「足利将軍家一門の三番手である細川ほそかわ家を始めとする一色いっしき家、吉良きら家、今川いまがわ家、仁木にき家など……

『三河武士』たちのことか」


「足利将軍家は元々、鎌倉幕府を開かれた源頼朝みなもとのよりとも公と同じく源氏の嫡流ちゃくりゅう[本家を継承する家柄のこと]たる血筋。

武士の棟梁とうりょう[代表のこと]となる資格さえ持っていたにも関わらず……

棟梁の座を巡って頼朝公と争うどころか、むしろ率先して支えました。

頼朝公の死後も棟梁の座を狙わず、一貫していち御家人ごけにん[家臣のこと]として鎌倉幕府に忠義を尽くしたとか。

この姿勢は幕府の執権しっけんを務めた北条義時ほうじょうよしとき公[大河ドラマの鎌倉殿の十三人では小栗旬さんが演じている]とその後継者の泰時やすとき公[同ドラマでは坂口健太郎さんが演じている]から高く評価され、執権の娘は必ず足利家へ嫁ぐのが慣例となる程でした」


「そのことならよく存じている。

後鳥羽上皇ごとばじょうこう[同ドラマでは尾上松也さんが演じている]が北条義時討伐命令を出した際も、義時公に従って承久じょうきゅうの乱で活躍し、その褒美として根拠地の下野国しもつけのくに[現在の栃木県]に加えて三河国みかわのくにたまわったのだとか。

この出来事こそ……


「その通りです。

足利家が三河国を賜ってからおよそ100年後。

当主となった尊氏たかうじ公は、後醍醐天皇ごだいごてんのうの鎌倉幕府討伐命令に従うべきか否かについて一門の者たちに相談されました。

まずは一門の筆頭である斯波しば家、次いで二番手である畠山はたけやま家から天皇に従って幕府を討つ協力を得ると、尊氏公自ら三河国へおもむかれたのです」


「足利家にとって最も『重要』な……

三河武士たちの協力を得るためか」


「大勢の三河武士たちへ向かって、尊氏公はこうおおせになったとか。

『この日ノ本ひのもとは大いなる災いの真っ只中にある。

台風や豪雨による洪水、これに干魃かんばつも加わった飢饉ききん、そして地震に疫病。

これらの天変地異てんぺんちい[自然災害のこと]は、モノの値段をさらに高くした。

銭[お金]のない者は、飢え死にするしかなくなった。

人から奪ってでも食い物を得ようと、強盗や殺人が世にあふれた。

鎌倉幕府は……

この未曾有の危機への対処を誤り、各地で起こった暴動や反乱を抑えることさえできていない!

一方で純粋に民をうれ後醍醐天皇ごだいごてんのうは……

この事実にごうを煮やされ、ついに立ち上がられた!

!』

と」


「……」

「続いて、尊氏公はこうおおせになりました。

『おぬしたち三河武士のことを……

わしは、血を分けた弟も同然だと思っている。

だからこそ、兄に力を貸して欲しい。

わしは高氏たかうじを改め、後醍醐天皇のお名前である尊治たかはるの一字を頂いて尊氏たかうじと名乗る。

わしと共に朝廷の元で一つになって各地の暴動や反乱をしずめ、この日ノ本の平和を取り戻そうではないか!』

と」


「……」

「尊氏公の言葉に心を動かされた三河武士たちは、足利軍の主力として各地で奮戦ふんせんしました。

残念なことに……

最後は後醍醐天皇に対しても謀反を起こすことを与儀よぎなくされ、特に奥州おうしゅう[東北地方のこと]の武士たちを率いた北畠顕家きたばたけあきいえ公とのいくさでは、その天才的な戦術を前に何度も惨敗をきっし、おびただしい量の血を流したのです」


「家康殿。

三河武士たちが最初に抱いた信念は、確かに立派であったとそれがしも思う。

ところが、どうだ!

細川家が阿波国あわのくに[現在の徳島県]、一色家が丹後国たんごのくに[現在の京都府宮津市など]、今川家が駿河国するがのくに[現在の静岡県東部]、仁木家が伊賀国いがのくに[現在の三重県伊賀市など]の大名に任命されると……

『強大な武力』を持つようになった三河武士たちは、やがて腐り果てていった」


「……」

おのれの利権を守ることに『執着』するようになり……

!」


「……」

「今からおよそ100年前に起こった『応仁おうにんの乱』がその典型であろう!」


「光秀殿。

腐り果てたのは、一門の筆頭である斯波家と、二番手である畠山家とて同じことです。

そのような状況でも……

我が先祖の松平まつだいら一族は、最初に抱いた信念を忘れてはいませんでした。

三河国みかわのくにの北部に領地を持つだけの弱小勢力ではありましたが、幕府の政所執事まんどころしつじ[現代に例えると行政官僚のトップに相当]を務めた伊勢いせ家に仕え、幕府の政治を一途に支え続けてきたのです」


「……」

「その松平一族も……


「『あだ』?」

「隣国の強大な大名から侵略を受けるようになったからです。

斯波しば家から遠江国とおとうみのくにを奪い取った西の今川家と、斯波家から実権を奪い取った東の織田家。

この両家に挟まれた松平一族は、多くの辛酸しんさんめることとなりました。

最終的には今川家の家臣として扱われることを余儀なくされ、幕府の政治を支えることも、最初に抱いた信念を貫くこともできなくなったのです」


「それで。

家康殿は、こう結論付けられたのか。

と」


「光秀殿。

桶狭間の戦いの後……

清須城きよすじょう[現在の愛知県清須市]へとおもむいたそれがしに、信長殿はこう申されました。

『織田家は、足利将軍家一門の筆頭である斯波しば家の家臣として一途にあるじを支えてきた。

ところが!

実力を磨くどころか、富や権力をいかにおのれと子供で独占するかを最優先に考えるみにくやからであった。

腐り果ててうみが出ている、このどうしようもない斯波家に、武衛ぶえい家として幕府軍の主力を務めることなど不可能であろう?

そこでわしは……

斯波家に代わって尾張国おわりのくにを統一し、美濃国みののくに[現在の岐阜県]を我が物として強大な武力を持ち、その武力を背景に上洛して室町幕府の秩序を回復させる。

一方の、おぬしは……

一刻も早く三河国みかわのくにを統一し、三河武士が最初に抱いた信念を貫かれよ』

と」


「……」

「それがしは、信長殿と交わした誓いを守ってきました。

信長殿と一つになって上洛戦じょうらくせんで戦い、金ケ崎かねがさき退き口では殿軍でんぐんを務め、姉川あねがわの戦いでは倍以上の朝倉軍を相手に奮戦したのです」


「……」

「光秀殿。

それがしは……

信長殿を通じて室町幕府からこう命じられております。

と」


「……」

「お許し頂きたい。

信玄を怒らせ、あの無敵の武田軍を敵に回すことになったとしても。

それがしは……

おのれの信念』から背を向けることなどできません」


「……」

「奪った奴から取り返した遠江国を……

寸土すんど[わずかという意味]たりとも譲ることはできません」


「……」

家康の強い覚悟を見て、光秀はこれ以上何も言えなくなった。


 ◇


「そこまで強い覚悟で臨まれているのであれば、それがしが申すことはもうない。

おのれの信念を最後まで貫かれよ。

家康殿」


「光秀殿……」

「先にお伝えした通り、織田家は裏で家康殿を最大限に支援させて頂く。

そのために一人の『武器商人』をお連れしている」


「武器商人?」

屋号やごうは、茶屋ちゃやにござる」


「茶屋とは……

あの茶屋ちゃや四郎次郎しろうじろうのことで?

京の都でも勢いのある武器商人であるとか」


「ご存知であったか。

左馬助さまのすけ、四郎次郎殿をこれへ」


光秀の脇にいた男が席を立つ。

この男は、別名を明智秀満ひでみつと言う。


 ◇


部屋の外に控えていた男が、左馬助さまのすけに導かれて入って来た。


歳は30ほどだろうか。

只者ただものではない雰囲気をただよわせている。


「天下に名だたる御二方おふたかたの英雄にお目に掛かり……

この茶屋四郎次郎、これほどの喜びはありません」


「四郎次郎殿。

この浜松へ、よく参られた」


「失礼ながら……

御二方おふたかたのやりとりを部屋の外で聞いておりましたが、まず最初に『結論』からお伝えする必要を感じております」


「結論?」

「徳川家康様と武田信玄公との争いは……


「何っ!?

それはどういう意味ぞ?」

光秀と家康は、同時に声を上げた。



【次話予告 第三十一話 お金の普及、災いの連鎖の始まり】

明智光秀はこう言います。

「銭[お金]は、銭を普及させた平清盛自身も、その恩恵に浴した平氏一族をも幸せにすることはなかった。

大いなる『災いの連鎖』の始まりであった」

と。

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