第三十一話 お金の普及、災いの連鎖の始まり

「徳川家康と武田信玄の争いは……

あの室町幕府と、そして織田信長をも巻き込んで泥沼化する」

京の都の武器商人・茶屋四郎次郎ちゃやしろうじろうの言葉は、一同に衝撃をもたらした。


「何っ!?

それはどういう意味ぞ?」


「『家康様と、信玄公のどちらが遠江国とおとうみのくにを治めるのに相応ふさわしいのか?』

そういうたぐいの問題ではないということです」


「では……

どういう類いの問題なのだ?」


明智光秀の問いに対し、四郎次郎は謎めいた問いで返した。

「光秀様。

桓武天皇かんむてんのうが当時の平安京へいあんきょう[現在の京都市]に帝都ていとを定めてから、およそ800年。

これほど長い年月の間……

京の都が帝都であり続けたのは、『どうして』でしょうか?」


「どうして、だと?」

「はい」


四郎次郎の問いに……

光秀は即答を避け、思案にふけった。


「そこにみかど[天皇のこと]がずっとおわしたからではないか」

問いに対する直接的な答えとしては、これが正しい。


ただし。

只者ではない雰囲気を漂わせているこの男が、そんな単純な答えを望んでいないことは明らかだ。

別にもっと深い理由があり……


しばらく考えた光秀は、ある結論に至った。

「四郎次郎殿。

長い年月の間、京の都が帝都であり続けたのは……」


「はい」

「『銭[お金]の力』だと申したいのか?」


「ぜ、銭[お金]の力ですと!?」

あまりの斬新な答えに、側にいた家康は驚きの声を上げた。


 ◇


四郎次郎が満面の笑みを見せる。

光秀の答えは、彼を十分に満足させるものであったようだ。


「さすがは光秀様!

見事な智謀と見識をお持ちでございますな」


「……」

「あの信長様が、最も頼りになされている御方なのもうなずけます」


「褒め言葉は良い。

本題を申されよ、四郎次郎殿。

家康殿と信玄殿の争いと、銭[お金]の力に何の関係がある?」


「日ノ本の『銭[お金]の歴史』をご存知でしょうか?

光秀様」


「銭[お金]の歴史なら心得ている。

ありとあらゆる書物を読んできたからな」


「是非ともご披露願いたく存じます」

「この日ノ本に銭[お金]が持ち込まれたのは……

およそ400年前のことだ。

持ち込んだのは桓武天皇かんむてんのうの末裔にして平氏の嫡流ちゃくりゅう[本家を継承する家柄のこと]であった平清盛たいらのきよもり公。

清盛公は、そう[当時の中国の王朝]の国で使われている『宋銭』という銭に目を付けた」


「……」

家康は、お金の歴史を語る光秀をただただ眺めている。

その目には尊敬の念が宿っているのだろうか。


「やがてそうは滅び、今はみんとなっているが……

その土地[中国大陸]は日ノ本ひのもと[日本列島]とは比べ物にもならない程に『広い』らしい。

加えて人の数[人口]もまた、日ノ本とは比べ物にもならない程に『多い』とか。

つまり宋銭は、圧倒的な勢いで作られていたことになる」


家康が横から口を挟む。

「光秀殿。

つまり、こういうことでございますか?

日ノ本で銭[お金]を作るよりも……

?」


「その通りだ、家康殿。

清盛公は一世一代の大勝負に出た。

平氏一族の持っている富の全てを使って摂津国せっつのくに福原ふくはらの地[現在の神戸市中央区]に『巨大な港[現在の神戸港]』を作ったのだ」


「宋から大量の宋銭を買うには、大きな船が必要であり、それを泊める巨大な港も作らねばなりません。

当時としては前代未聞の大工事だったでしょうな」


「一族の者たちは猛反対したが、清盛公は一切耳を貸さなかった。

一途にこう信じていたからだ。

物々交換ぶつぶつこうかんで売り買いするなど不便きわまりない!

それと比べ、銭[お金]を使って売り買いする方がはるかに便利であろう。

銭を普及させることができれば……

モノではない飲食、観光、交通、芸能や風俗などの商売も盛んになるに違いない!

民は皆、好きな場所で飲食し、船に乗って旅行し、豪華な宿や趣きのある宿に宿泊し、地域の芸能を観て、様々な音楽を聴くことができるようになる!

!』

と」


「民の暮らしを、もっと豊かで楽しくするために……

おのれの富までも全て捧げるとは!

清盛公は、まさに『英雄』でしょう」


「まさしく。

英雄と呼ばれるに相応ふさわしい器だ。

だがな……

純粋に民を想って銭[お金]を普及させたことは、やがて大いなる『災い』をもたらすこととなった」


「大いなる災い!?

それは一体……」


 ◇


光秀の話の続きを要約すると、こうなる。


宋銭というお金は……

清盛の想定すら超えて恐るべき早さで日本全国へと普及していった。

福原ふくはらの港はお金を欲しがる人々でごった返し、それと引き換えにありとあらゆる富が次々と平氏一族に転がり込んで来た。


平氏はかつて、同じ『武家』である源氏よりも格下の地位にいた。

それが今や……

地位は逆転し、平氏は財力で他の武家を圧倒し始める。


その武家も、京の都にいる『公家くげ[貴族のこと]』と比べれば天と地ほどの開きがあった。

「我ら公家はな……

番犬ばんけんを飼っているのじゃ。

武家という名の番犬をな」


これが平安時代と呼ばれた世の『常識』であった。


 ◇


お金の持つ凄まじい力は、その常識をもぶち壊す。


光秀に続いて四郎次郎が話を繋いだ。

「公家は……

最初から公家であったわけではありません。

みかどの側近としてまつりごとを補佐し、民に『奉仕ほうし』する立場でした」


「……」

「ところが!

みかどの側近であることを良いことに……

奴らはまつりごとを私物化しておのれの利益ばかりを追及し、やがては高貴な一族を名乗っておごり高ぶり、民から『搾取』し続けることを当然だと考えるようになったのです!」


「四郎次郎殿。

そなたのようなおのれの実力で今の地位を築いた人にとって……

ただ高貴な一族、ただ富を持つ一族に生まれたというだけで贅沢三昧な生活を送り、分不相応ぶんふそうおうな地位を得ている輩は、激しい『憎悪』の対象というわけか」


「これは、これは光秀様。

大変失礼致しました。

つい感情が表に……」


「公家どもは、武家という犬を見掛ける度にこうつぶやいていたらしい。

『あれは人ではない。

汚らわしい犬畜生ちくしょうじゃ。

犬は犬らしく、畜生は畜生らしく、あるじのために戦場いくさばで戦って死ね』

とな。

おのれを常に安全な場所に置き、他人ばかりを危険な場所へ送り込む卑怯ひきょうやからの考えそうなことよ。

だがな……

武家をさげすんだ公家でさえ、やがて平氏一族にびへつらうようになったのだ。

銭[お金]に物を言わせた平氏一族が次々と官位かんいを『買収』したからのう」


『銭[お金]の力』とは恐ろしや……」


「清盛公は、平氏一族に永遠の繁栄をもたらしたかのように見えた。

ただ残念なことに……

銭[お金]は、銭を普及させた平清盛自身も、その恩恵によくした平氏一族をも幸せにすることはなかった。

むしろ『災いの連鎖』の始まりであった」


「災いの連鎖!?」

「平氏一族の繁栄は、ひとえに清盛公一人の『実力』であろう?

一族の他の者たちに実力などないに等しい。

清盛から指示されたことを、その通りやったに過ぎないのだからな。

誰にだってできることよ。

その程度の働きにも関わらず……

異常に高い報酬を受け取り、異常に高い地位まで与えられた。

それを見ていた他の者たちはどう思う?

特に、かつて平氏より高い地位にいた者たちは?」


「……」

「平氏一族はな……

もっと周りをよく見るべきであったのだ。


「……」

「同じ武家である源氏は、こう思っていた。

『清盛の実力には一目置いている。

加えて、人柄に優れた長男の重盛しげもりにも一目置いているが……

他の奴らは何だ!

実力もなく、何の実績も上げない者が……

ただ平氏というだけで!

贅沢三昧の生活を送り、分不相応ぶんふそうおうな地位まで得て我らをあごで使っている!

一方で、我ら源氏には……

いくら実力を磨いても、いくら実績を上げても、何の機会もやって来ない!』

と」


「その後のことは、それがしもよく存じております。

源氏は平氏への嫉妬と憎悪をひたすらつのらせ、ついに爆発しました。

源平げんぺいの争い』が始まりました」


「要するに。

銭[お金]の普及は……



【次話予告 第三十二話 莫大なお金の行方】

吾妻鏡という歴史書を何度も読んでいた徳川家康は……

一つ『妙』なことに気付きます。

肝心なモノの行方が、何も書かれていないのです。

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