【第参章 戦いの黒幕】 武器商人が、二人の英雄を不倶戴天の敵と成す

第二十六話 武田信玄か、徳川家康か

その会議はひどく荒れていた。


「おぬしたちは一体、何を考えている?

あの甲斐かいの虎と恐れられた武田信玄たけだしんげん殿を敵に回しても良いなどと……

まことに申しているのか?

越後えちごりゅうと恐れられた上杉謙信うえすぎけんしん殿と同等か、それ以上に強大な武力を持つ大名なのだぞ?

我らを危機に陥れるつもりなのか!」

織田家の家老の一人・林秀貞はやしひでさだである。


「ならば信玄に味方して、徳川家康殿を討てと?

あの義理堅い御仁ごじんは……

上洛戦じょうらくせん金ケ崎かねがさき退ぐち姉川あねがわの戦いにおいて、おのれの領地を手薄にしてまで援軍を出されたのじゃ。

尽くしてくれた相手への報いが、これか?

恥を知れ!」

こちらも織田家の家老の一人・柴田勝家しばたかついえである。


「家康殿を討てとは申しておらん。

どちらにも味方せず、『中立』を保てば良いだけではないか」


「何を馬鹿なことを!

武田家と徳川家では、力の差が歴然であろう!

我らが何もしなければ……

家康殿は間違いなく信玄に蹂躙じゅうりんされる!

盟友を見捨てた卑怯者ひきょうものとのそしりを受けても、おぬしは平気なのか?」


「信玄殿も同じく、我らの盟友であろう。

家康殿は無理に城の外で戦わず……

城にもって粘り強く戦えば、時を稼ぐことができる。

焦って事をいてはならん。

まずはどちらにも味方せず、様子を見てから決めるのは如何いかがか?」


「は?

そういうのを、卑怯者が行う『日和見ひよりみ』と申すのじゃ!」


織田家の家臣たちは……

信玄を恐れる林秀貞などの文官を中心とする中立派と、柴田勝家、丹羽長秀にわながひで滝川一益たきがわかずますなどの武人を中心とする家康派に別れて激しく対立していた。


肝心の主君・織田信長は、ずっと沈黙している。

どうするつもりなのだろうか?


 ◇


話がやや脱線するが。


林秀貞はやしひでさだ柴田勝家しばたかついえの2人は、信長の弟・信行のぶゆきに味方して信長に謀反を起こした過去がある。

2人はたった700人の信長軍を挟み撃ちにするため、合計で1,700人もの兵を集めた。

兵数では圧倒的に優勢であったが、結果は惨敗であった。

稲生いのうの戦い』と歴史書には記録されている。


同じ歴史書によると……

信長の『大声』に驚いて兵士が逃げ出したせいらしい。


「これは新種のギャグなのか?」

さすがに、こう笑うしかない。


形勢が不利なわけでもないのに逃げ出すなど有り得ないし、逃げ出せば追撃されてかえって死ぬ可能性は高まる。

そもそも生きるか死ぬかの極限状態の中で、大声に注意を払う余裕がどこにあるのだろうか?

いくら敗因が分からないとはいえ、もうちょっとマシな理由を書いた方が良いと思う。


『兵法』の基本で考えれば……

本当の敗因は、もう既に書かれている。

「信長軍を挟み撃ちにした」

と。


これこそが本当の敗因である。


 ◇


およそ15年前。


「信長を討て!」

秀貞ひでさだが700人の兵を率いて南から、勝家かついえが1,000人の兵を率いて東から攻めた。


「信長は、数の少ない秀貞から攻めるだろう。

我が軍勢はその背後を突けば良い」

こう考えた勝家であったが、完全に意表を突かれた。


信長軍は近くにいた秀貞軍ではなく……

やや遠くにいた勝家軍に真っ先に襲い掛かったからだ。


「信長が目の前に?

裏をかかれたか!」


勝家軍は、数の優位がありながら受け身に回った。

それでも冷静に守りを固めて迎え撃つ。

信長軍に手痛い犠牲を払わせたものの、ついには退却を余儀よぎなくされた。


続いて秀貞が信長軍の接近に気付く。

「の、信長が目の前に!?

ついさっき勝家とぶつかったと申していたではないか!

早い、早すぎる!

もしや……

勝家が裏切ったのでは?

どうする?」


動揺する秀貞軍を見て……

信長は完全なる勝利を確信した。


「秀貞は相変わらず判断が遅い!

敵を目の前にしてやるべきことは、たった一つであろうが。

いくさとはな、こうやってするものじゃ!

全軍突撃!」


浮き足立った秀貞軍は一瞬で叩き潰された。


 ◇


「敵を知り、おのれを知れば百戦ひゃくせんあやうからず」


この言葉をよく知る信長は……

戦う以前から、秀貞ひでさだ勝家かついえの2人がどんな『人物』なのかを注意深く観察していたに違いない。


2

おのれの考えこそが正しいと思い込む『傲慢ごうまん』さが目立ち、己にとって都合の悪い他人の意見に耳を傾ける『謙虚』さに欠け、己の立場ばかりを気に掛けて他人の立場で物事を考える『器量』さもないからのう」


こう結論付けた。

「率いる兵は700人で十分じゃ。

一つになっていない軍勢など、倍以上いようが恐れるに足らん。

むしろ各個撃破の好機ではないか」

と。


稲生いのうの戦いの勝利によって……

信長の『武力』がいかに優れているかを尾張国中おわりのくにじゅうの人間がの当たりにした。


いくさの天才が現れたぞ!

織田信長に『投資』すれば、確実に銭[お金]が儲かるに違いない!」


お金を儲けたい人々は信長に熱狂した。

瞬く間に信長にお金が集まり、瞬く間に信長の敵からお金が消えた。


「金の切れ目が、縁の切れ目」

この言葉の通り……

固い結束を誓い合った仲間までもが消え、先を争うように信長へ寝返っていく。


一方。


おのれの都合にこだわるあまり、他人のために己を犠牲にできず、一つになるどころかみにくい身内争いまで始める愚か者たち。

そんな雑魚ざこは脅威どころか、恰好かっこうの『餌食』でしかない。

敵になれば各個撃破してやるまでのこと。

秀貞しかり、勝家然りよ。

一度、謀反を起こしたからとはいえ……

恰好の餌食を粛清してどうする?

もったいないではないか!

便


こう考えた信長は……

謀反人である2人を寛大に許し、全てを無かったことにした。

2人はやがて織田家の家老となった。


信玄と信長の考え方の違いは、ここにあるのかもしれない。


 ◇


ひどく荒れていた会議の場に、舞台を戻そう。


「中立を勧めるそれがしを卑怯者と非難されるが……

殿殿?」


「何っ!?

それはどういう意味ぞ?」


駿河国するがのくに遠江国とおとうみのくに[合わせて現在の静岡県]を治める今川いまがわ家への侵略を開始した武田軍は……

迎撃してきた今川軍を一度は撃ち破ったものの、完全に足止めを食らった。

『同盟相手を侵略するとは、卑劣極ひれつきわまりない奴め!』

激怒した北条ほうじょう家の当主である氏康うじやす殿が、東側より大軍を送り込んだからじゃ。

この間隙かんげきうかのように……

家康殿が西側から侵攻し、遠江国とおとうみのくにかすめ取られた。

これでは信玄殿に恨まれても致し方ないと存ずるが?」


「それは違う!」

「どう違うのでござる?」


「信玄は、家康殿と密約を交わしていた。

駿河国するがのくにを武田が、遠江国とおとうみのくにを徳川が取る約束をな。

信玄は、その約束すら反故にして家康殿を攻めたのじゃ!

『正義』がどちらにあるかは申すまでもない!」


「その証拠は?」

「密約に、証拠を残すわけがなかろう」


「要するに証拠はない、と?」

「ないから何じゃ!」


「もう一つ問題がある。

信玄殿の後継者となった四郎しろう勝頼かつより殿に、信長様のめいが嫁がれている。

この姫様は……

?」


「……」

「姫様は常々こう申されていたそうな。

『この戦国乱世は……

人がおのれの、しかも目先の利益を優先し、ときに他人を利用し、あやつり、だまし、あざむくようになったからこそ生じました。

世の乱れをただすには、逆のことをするしかありません。

おのれの利益よりも、他人の利益を優先するのです。

だからこそ……

わたくしは、もっと良い人になりたい。

もっと正しい生き方をしたい。

わたくしは、人と人をつなぐ糸になりましょう。

人の生きる価値は、人のために生きる生き方のみにあるのですから』

と」


「……」

まことに立派なこころざしを持つ姫様であったからこそ、信長様は決断されたのじゃ。

『優れた才能を有する我が娘を武田家に嫁がせれば……

武田家は必ず、同じこころざしを持つ盟友となるだろう』

とな」


「……」

「姫様はおのれの『使命』を見事に果たし、武田家と固い絆を結ばれた。

もし家康殿に味方すればどうなる?

姫様の御身に危険が及ぶのは必定ひつじょうではないか。

それでも良いと申されるのか!」


家康派の武人たちも……

『織田信長の愛娘まなむすめ』の話となると、何も言えなくなった。


議論は完全に平行線となった。



【次話予告 第二十七話 三姉妹よりも愛された姪】

武田信玄の後継者・四郎勝頼へ嫁いだ娘。

何と織田信長は……

妹の子であるこの娘を、幼少の頃から手元に置いて育てていました。

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