第二十七話 三姉妹よりも愛された姪

武田信玄の後継者となった四郎しろう勝頼かつよりに嫁いだ、織田信長の愛娘。


歴史書では龍勝院りゅうしょういんという名前が残っているが……

これは、死後に付けられた戒名かいみょうである。

実際の名前は記録に残されていない。


娘の実の父親は、美濃国みののくに岩村城いわむらじょう[現在の岐阜県恵那市]の城主・遠山直廉とおやまなおかどと言う。

この直廉なおかどは織田信長の妹を妻としており、妹の子なので『姪』なわけだ。


同じ信長の姪でも非常に有名な3人……

浅井長政あざいながまさに嫁いだ信長の妹・いちの3人の娘・茶々ちゃちゃ[後の淀殿よどどの]、はつごうの『三姉妹』。

母の市は絶世の美女とうたわれ、茶々は豊臣秀吉の側室そくしつとなって秀頼ひでよりを産み、初はかつて浅井あざい家のあるじであった近江国おうみのくに[現在の滋賀県]の京極きょうごく家へと嫁ぎ、江は徳川家康の後継者・秀忠ひでただへ嫁いで江戸幕府の3代将軍・家光いえみつを産む。


信長の妹・いちを妻に迎えて同盟を結んだ浅井長政あざいながまさであったが、越前国えちぜんのくに[現在の福井県]の大名・朝倉義景あさくらよしかげと結んで信長を裏切り、信長を何度か窮地に追い込む。

しかし善戦むなしく敗北を重ね、最後は妻と娘たちを脱出させた後に自ら命をった。


過酷な運命によって父親を失った娘たちを、信長は深くあわれんだという。

最後まで面倒を見ることを約束はしたが……

三姉妹を手元に置かず叔父に『預けた』らしい。


信長には少なくとも11人以上の兄弟がいて、15人以上の姉妹がいた。

姪ともなれば相当な人数がいたと思われる。

それにも関わらず、遠山直廉とおやまなおかどの娘だけを手元に置いた理由はなぜか?


信長の性格を考えれば……

疑問の答えはおのずと導かれる。

その娘が優れた才能を持っていたからこそ、手元に置きたいと『願った』のだ!


ある日。

偶然に岩村城を訪れた信長は、まだ幼少であった娘と出会う。


そこで運命的な出来事が起こっていた。


 ◇


「これが織田信長様……」

少女はただただ圧倒されていた。


「何を固くなっている?

もそっとちこう寄らぬか」


「はいっ!」

少女は、信長の目と鼻の先まで近づく。


信長と少女の目が合った。

「ん?

そなた、良い『目』をしているのう」


「目ですか?」

「わしは、まず目を見て人を判断しているのじゃ。

そなたの目からは……

優れた才能を感じさせる、何かがある」


「まあ!

有難き幸せにございます!」


「娘よ。

ここ岩村城を出て、わしに付いて来る気はないか?

手元に置いて大切に育ててやろう。

どうじゃ?」


「信長様。

一つお教えください。

侍女じじょたちが、こう噂していましたが……

まことでしょうか?」


「どんな噂を?」

「信長様は、『うつけ者[馬鹿者という意味]』であると」


「こら!

信長様に対して無礼ではないか!」

横にいる、少女の父親が慌てて叱った。


「良い、良い。

その通りじゃ。

わしは、うつけ者ぞ?

それでも付いて来れるか?」


「わたくしには……

うつけ者のようには『全く』見えません。

?」


「な、何っ!?」

「『芝居しばい[演技のこと]』をされる理由を、お教えください。

信長様」


「わしの芝居を一瞬で見抜いたと申すか!

ははは!

やはり……

わしの人を見る目に、狂いはなかった!」


「……?」

「そなただけに、特別に教えよう。

わしはずっと……

織田家の一族や家臣たちを注意深く観察してきたのじゃ。

どんな『人物』かを知るためにな」


「人物、ですか」

「当然であろう。

わしは、織田家の当主ぞ?

一族や家臣の人となりを『全て』知る必要があるではないか」


「す、全て!?」

「うむ。

どんな生き方をし、どんなこころざしを持ち、どんな人柄で、どんな強みがあり、どんな弱みがあり、何に執着しゅうちゃくしているかなど、事細ことこまかにな。

ただし!

決して相手に悟られてはならん」


「『警戒』されてしまうからですね?」

自分を見上げて話の要点を確実に突いてくる少女に、信長は満面の笑みで応えた。


「その通りじゃ。

そなたは理解が早いのう」


自分から全く視線をらさない少女を愛らしく感じたのか、信長は少女の頭を優しくで始めた。

「人というものはな……

おのれの目で見たモノで判断してしまう傾向がある。

全てを知ったわけでもないのに、一部を見ただけで全てを知ったかのように思い込み、その思い込みを元に間違った判断を下し、結果として大きな失敗を犯す。

人の世が抱える問題の原因のほとんどは、この『無知むち』にあるのじゃ」


「分かる気がします。

信長様の芝居を見た人は……

おのれの方が上だと思い込み、そして警戒を緩めてしまうのでしょう?

隅々まで調べ上げられていることなど夢にも思わずに」


「ははは!

その通りよ」


「まあ……

何と、ずる賢い御方!」


「こら!

止めよ!」

横にいる、少女の父親がまた慌てて叱る。


「娘よ。

『応え』て欲しい。

わしに、付いて来てくれるのか?」


「はい。

勿論もちろんです。

信長様に、付いて行きます!」


少女は両親も故郷も捨て、信長に付いて行った。


少女はやがて、『織田信長の愛娘』と呼ばれるようになった。


 ◇


武田信玄か、徳川家康か。


決断を迫られた信長は……

一人の男に問うことに決めた。


「明智光秀。

おるか?」


「ここに」

「そちは……

信玄か、家康か、どちらを取るべきだと思う?」


「それがしはこう思っております。

林秀貞はやしひでさだ殿と柴田勝家しばたかついえ殿、どちらの御意見も至極しごくもっともであると」


「で、あるか。

ならばどうする?」


「今や信長様は……

一地方を治める大名ではありません。

みかどと朝廷、そして室町幕府を支え『天下人』に最も相応ふさわしい位置におられます」


「天下人か」

「天下のありとあらゆる者たちが、信長様に注目しています。

『信長様こそ天下人に相応ふさわしい御方ぞ!』

日ノ本ひのもと中の人々から、こう認められるような振る舞いこそ肝要なのです」


「その通りじゃ」

「決しておのれの、しかも目先の利益のためのいくさをしてはなりません。

むしろ後の世の人々が手本とするようないくさこそすべきなのです。

このように考えれば……

我らは4つのことを重視せねばなりません」


「4つか」

「第一に、『約束』を守ること。

信長様は……

信玄殿とも、家康殿とも同盟を結ばれておいでです。

一方に味方すれば、もう一方との誓いを破ることになります。


「なるほどな。

して、第二、第三、第四は?」


「第二に、『弱き者』を守ること。

例えば女子おなごです。

民の半分は女子が占めています。

女子を大切に扱わないならば、民の半分を守っていないことと同じなのです!

信玄殿の後継者である四郎しろう勝頼かつより殿に嫁がれた姫様とて同じ。

決して政略結婚の道具などではありません。

むしろ困難な使命を全うした、かけがえのない宝物として扱うべきでしょう。

姫様の身に危険を及ぼさないためにも、表向きは家康殿に味方できません」


「『わたくしは必ず、織田と武田をつないで見せます。

だから……

決していくさはせぬと誓ってください』

涙を流して訴える愛娘を見て、わしは誓いを立てて応えた。

おのれの立てた誓いを破れるわけがなかろう」


「光秀殿。

そなたは何度か『表向き』と申されているが。

どういう意味でござる?」

柴田勝家が口を挟む。


「勝家殿の申された通り……

家康殿は、ひたすら信長様に尽くしてこられました。

上洛戦じょうらくせん金ケ崎かねがさき退ぐち姉川あねがわの戦い……

おのれの領地を手薄にしてまで援軍を出されたのです。


「そうであろう!」

「家康殿がここまで尽くしてこられたのは、なぜでしょう?」


「なぜ?」

「答えは一つしかありません。

信長様の『生き方』に、強く共感しておられるからです」


「生き方……」

「皆々様。

真の『友』とは、どのようなものとお考えでしょうか?」


「友?」

「一緒に酒を飲み、飯を食う程度の存在でしょうか?」


「……」

?」


「『厭離穢土欣求浄土えんりえどごんぐじょうど

家康殿が掲げている軍旗です。

戦国乱世を穢土えど[汚れているという意味]とし、平和な世を浄土じょうど[理想という意味]と見なされている。

信長様と同じ生き方をされている家康殿こそ、真の友に相応ふさわしい御方なのです。

これこそが第三……

『友』を選ぶことです」


「つまり。

表向きにはどちらも取らないが……

裏で家康を支援せよと申すのだな?」



【次話予告 第二十八話 同盟締結は、戦争の引き金】

要するに。

同盟相手が善人か悪人かは全く関係ないのです。

同盟相手が他国を侵略するなどの悪逆非道な行為に及んだとしても、盟友の誓いを破ることは決して許されません。

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