第二十五話 武器商人は味方か、それとも敵か

武田信玄は、外交方針を一変させた。


「こういう言葉がある。

『国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い』

だと。

義元よしもとという優れた当主を失い、氏真うじざねという弱く愚かな男が後を継いだ今川家は、もはや滅びる運命しかない。

駿河国するがのくに遠江国とおとうみのくに[合わせて現在の静岡県]を他の誰かに奪われるくらいならば……

いっそ!

我が物としようではないか!」

と。


 ◇


武田家に属している人々の中で……

自分の頭で筋道すじみちを立てて考えず、デマをに受けて右往左往するたぐいの人間は、こう言うようになった。


「今川が、塩や海産物を止めてきたらどうなる?

海のない我らにとっては死活問題ぞ!

これは『脅威』ではないのか?」


「今川は、我らの敵の上杉家と書状を交わしているらしい。

これは先に『裏切った』ということではないのか?」


「脅威を取り除くのは当然のことよ。

正義は我らにある!」

などと。


これらの声に対して激しい憤りをあらわにしたのが、信玄の長男・太郎たろう義信よしのぶであった。

「正義は我らにあるだと?

相手のささいな過ちを中傷しておのれを正当化するとは!

何も調べず、何も考えず、人の話を真に受けて右往左往する奴らが何をほざく!

!」


今川義元いまがわよしもとの娘を妻とし……

その妻を深く愛する義信にとって、根拠のない中傷には耐え難いものがあったに違いない。


 ◇


父は、息子との話し合いを始める。


「太郎よ。

『国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い』

そちもこの言葉をよく知っていよう?」


「存じております」

「ならば……

なぜ反対する?」


「父上は続けてこうおっしゃいました。

義元よしもとという優れた当主を失い、氏真うじざねという弱く愚かな男が後を継いだ今川家は、もはや滅びる運命しかない』

と」


「うむ」

「それは……

あくまで『表向き』の理由でしょう?」


「……」

「今川家を侵略する、まことの理由をお聞かせください」


「太郎には全て見抜かれていたようじゃ」


 ◇


父は息子に、本当の理由を話し始める。


「鉄砲は、いくさようを劇的に変えた。

これからは間違いなく鉄砲の時代となる。

鉄砲を撃つには弾丸と火薬が不可欠だが、その量は『限られて』おり、武器商人と『手を組む』ことをしなければ手に入らん」


「なるほど。

包囲網を築いて北条家の動きを封じた上で、おとろえた今川家を侵略し、甲斐国かいのくににはない、海に面した港を我が物とすれば……

武器商人が堺から『直接』船を回して弾丸と火薬を大量に送り届けてくれると?」


「全ては、豊富な弾丸と火薬という『最強の武力』を持つためなのじゃ。

武田家の領地を侵略しようなどと考える愚か者は、誰一人として現れなくなり……

真の平和と安全が達成できよう」


それがしも『理想』としている国です」


「おお!

そちも同じ理想を持っていたのか」


「それがし。

今は亡き叔父上の信繁のぶしげ殿から、一つ大事なことを教えて頂いております」


「弟から?

どんなことを?」


「武力の『武』という字の由来です」

「由来?」


「この武という字は、海を越えた遠い異国から伝わってきました。

槍に似た武器である『ほこ』という字と、『』めるという字を組み合わせてできたものだとか。

『武』とは……

武器を止める、つまりいくさめるという意味なのです」


このわしも理解している」


「最強の武力を持つ目的は、ただ『一つ』。

真の平和で安全な世を達成するためだと思って良いでしょうか?

父上」


「そう思って良い」

「父上がその目的を達成する場合、『あの者』が壁となって立ち塞がりますが?」


「あの者とは、前田屋のことか?」

「当然でしょう。

欲深い愚かな人々をあおって争いを引き起こし、いくさへと発展させ、兵糧や武器弾薬を売りさばいて利益を得ている連中ですぞ?

我らと前田屋は『相容あいいれない[価値観が決定的に異なっていてお互いを受け入れられない]』存在……


「……」

「所詮は利用し、あやつり、だまし、あざむく対象でしょう?

味方ではなく『敵』なのですから」


「太郎よ。

そちにとっては、武器商人こそが敵なのか」


「父上。

はっきりと申し上げます。

それがしは、今川家への侵略に反対はしません。

その代わり……

前田屋とは手をお切りください!

あの者と手を組む限り、真の平和と安全を達成することなどできないからです!」


 ◇


「息子よ。

そちには何度も話したが、わしはずっとこう思ってきた。

『この世で最も醜悪しゅうあくな行為とは……

実力なく、何の実績も上げない者が、利益をむさぼり続けること』

だと」


「よく存じております」

「権力のある親に生まれた子だけが、権力を握り続けること。

富んだ親に生まれた子だけが、富を独占し続けること。

これは人から物を奪い取るのと同罪ぞ?

世襲せしゅう[親から子へ相続すること]とは、人から物を奪い取ることを『制度』にしたようなものだからな」


「父上はこうおっしゃりたいのですか?

『世襲と比べれば……

権力や富を握るのに相応ふさわしい実力を持つ者が、実力ない者から力ずくで奪い取ることの方がはるかに正しい』

と」


「うむ。

腐り切った奴らから権力や富を奪い取るためには、武器商人の力が『必要』なのじゃ」

「……」


 ◇


「叔父上は、こうおっしゃいました。

『わしは数多くの罪を犯したが……

その最たるものは、前田屋と手を組んだことよ。

わしに約束して欲しい。

前田屋と手を切り、奴がこの国へ送り込んだ者たちを一掃いっそうすると。

残念ながら……

兄は、奴がもたらす目先の利益に目がくらんでいる』

と」


「このわしが、目先の利益に目が眩んでいるだと?」

「目をお覚ましください。

前田屋は……

武田家にも、父上にも忠誠を尽くす気などありません!

ただ銭[お金]を儲けるために、父上を都合良く利用しているだけなのです」


「太郎よ。

無礼ではないか?

わしは利用されているのではない!

むしろ、利用しているのじゃ」


「叔父上がなぜ死に急がれたか……

それがしには、よく分かります。

良心の呵責かしゃくさいなまれ……


「黙れっ!

そちは、弟の死をわしの『せい』にするつもりなのか?

いくら息子とはいえ……

申して良いことと悪いことがあるぞ。

撤回しろ」


「しません」

「おのれ……

出て行け!

そちは今から、わしの息子ではない!」


武田信玄と、その長男・太郎義信。

誰を敵と見なすかの『価値観』が決定的に異なっていたのだろうか?


父子相克ふしそうこく[父と子が対立すること]は深刻な事態となり……

太郎義信は後継者から外され、代わって四郎しろう勝頼かつよりが信玄の後継者と定められた。


 ◇


同じ頃。


織田信長は、京の都を目指そうとしていた。

将軍の足利義輝あしかがよしてるを殺害した謀反人・三好みよし家を『討伐』し、義輝の弟・義昭よしあきを将軍に据えて室町幕府の秩序を回復させるためだ。

これを上洛戦じょうらくせんと言う。


織田家と武田家は同盟を結び、『信長の愛娘』が四郎勝頼に嫁いで来る。


この娘が武田家の運命を大きく変えることなど……

信玄も、勝頼も、今は知るよしもない。


 ◇


さて。


義信の予想は見事に的中した。

真の平和と安全が実現することはなかった。


今川家への侵略を開始した武田軍は……

迎撃してきた今川軍を一度は撃ち破ったものの、完全に足止めを食らってしまう。

『東側』より北条家の大軍が殺到してきたからである。


「おのれ信玄!

同盟相手を侵略するとは、卑劣極ひれつきわまりない奴め!」


激怒した北条家の当主・氏康うじやすは、自身を共通の敵とする包囲網など物ともせずに大軍を送り込んだ。

武田軍の進軍は遅々ちちとして進まなくなった。


この間隙かんげきって……

『西側』から徳川家康が侵攻し、遠江国とおとうみのくに掛川城かけがわじょう[現在の静岡県掛川市]で最後の抵抗を続ける今川いまがわ家を降伏させてしまった。


「おのれ徳川!

我らが北条に苦戦を強いられている間に、勝手に今川を降伏させて勝利をかすめ取りおって!」

武田家の者たちは徳川家を敵視し、やがて両家の争いへと発展する。


信玄と家康、双方と同盟を結ぶ織田信長の動きに注目が集まったが……

ある『悲劇』が全てを狂わせた。


補給を断たれた信玄は、『西上せいじょう作戦』と称して望まぬ戦いの準備を始める。

泥沼の戦いに足を踏み入れることとなった。



【第弐章 川中島合戦】 甲斐の虎と越後の龍、激突す 終わり

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