第14話

 事件から数日後、ユナたちは王都で一番大きな酒楼にいた。

 広々とした卓子の上にはたくさんの料理が並び、それを取り囲んで座る一堂はご機嫌で食事をしている。ただひとりを除いて。

「今日は父がごちそうしてくれるから、ファンファンもメイメイもたっくさん食べてね」

「ユナや……」

「兄さんも、体がすっかり弱ってしまっているのだから、食べて力をつけなくてはだめよ」

「ユナよ、手加減を……手心というものを……」

 ユナがその場を取り仕切り、ファンファンたちや兄に料理を勧めている間、弱々しい声でそれを止めようとする人物がいた。

 細面の整ったその顔は、どことなくユナに似ていた。というのも、ユナに意見したくても勢いに負けてオロオロしているこの男こそ、ユナとゼツの父であり、ヨキの夫だ。

「父さんはお饅頭でも食べてなさい! さあ、みんなしっかり食べるのよ! 父が、何でも頼んでいいって」

「ふごふご!」

 まだ意見しようとしていた父・ハオユウだったが、饅頭で口を塞がれて黙るしかなかった。何度も繰り返されるこのやりとりに最初は戸惑っていたファンファンとメイメイだったが、もう慣れたのか食事を楽しんでいる。

「安心して楽しめる食事ってのは、やっぱりいいもんだな。ああ、思いきり肉を食いたい。だが、体の効率のいい回復を考えれば、まず団子汁あたりからいくべきなのか……」

 再会したときよりいくらか回復しているが、ゼツはまだ細くなってしまったままだ。彼は、ユーシュンの侵入による王都の異変にいち早く気づき、様子がおかしくなる同僚たちの姿から食事や水が怪しいのではないかと推測し、自ら断食していたのだという。

 その推測は部分的には当たっていて、ユーシュンは体内から魄を抜き出す術によって武官たちを支配していたから抵抗虚しく操られてしまったが、断食していたことによって意識までは乗っ取られなかったようだ。

 ほかの武官たちは、半月に及ぶ食事や水への薬物の混入で、夢うつつの状態で操られていたため、ここのところの記憶はないのだという。

 ユーシュンは、誰かが騒ぎを聞きつけてやってきたのを利用して、最後の関門をどうにか突破して王城へ攻め込むつもりだったらしい。第二層へ向かっていたのがユナたちでなければ、メイメイのことがなけれな、もしかしたら今頃この国は屍骸遣いに乗っ取られていたのかもしれない。

「本当にハオユウが無事でいてくれてよかったよ。私は、不安でしかたがなかったんだからね。あんたは、私が守ってやらないと本当にだめなんだから」

「すまんかったな。いやぁ、本当にワシは、お前がいないとだめなんだよ、ヨキ」

 ハオユウの隣の席に座っているヨキは、日頃の女傑ぶりはどこへいったのかと言いたくなるほどのしおらしさで、食事を楽しんでいる。

 不安で仕方がなかったという人が、王都へ向かう道中で盗賊や山賊を改心させて従えて世直しして回っていたのは、一体どういうことなのだろうと尋ねたくなる。

 だが、それよりもユナが不満なのは、この不甲斐ない父の言い分だ。

 家に滅多に帰ってこず、王都で女を囲って別の家庭を築いていたハオユウはそれを、「主君からの密命を実行するために、世を忍ぶ仮の家庭が必要だった」などと宣ったのだ。ゆえに、妻であるヨキや子供たちを裏切ってはないと。

 そんなあからさまな嘘を、ヨキは信じると言ったのだ。こっそり小声で、「嘘でも何でも、まだ私を騙してでも夫婦を続けたいと言うならそれでいい」と言ったのを、ユナは聞き逃さなかった。

 それゆえ、ユナは許せないのだ。父が不誠実の極みみたいな態度を貫き、惚れている母の乙女心につけこんで夫婦を続けようとしていることが。

 大方、ジジ様のコネで文官になれているから、ヨキとの繋がりを断ちたくないだけなのだろう。

 そう思って怒りが静まらないから、ユナは今日は父の金でみんなと一緒に思いきり美食を楽しもうと思っている。浮気などできないように、できるかぎりむしり取ってやるつもりだ。

「ユナ、せっかく美味しいものを食べてるんだから、そんなに眉間に皺を寄せてちゃだめだよ」

 不機嫌なまま食事をしていると、隣から手が伸びてきて眉間の皺を伸ばされてしまった。もぐもぐと美味しそうに食べるファンファンの顔を見て、ユナは少し機嫌を直す。

「この桃饅頭も美味しかったし、こっちはユナが好きそうな海老団子が入った汁だったよ」

「ありがとう。こっちのお肉、取りましょうか? ファンファン、お肉好きだものね」

「うん。ユナも食べよう。消耗した気と血を補うには、しっかり食べることが大事だから」

 お互いに料理を勧め合ううちに、ユナはすっかり楽しくなっていた。無事に片づいて、ファンファンとこうして食事をしているのが本当に嬉しくて楽しいのだ。

「ユナは、母さんに似て面食いだな。いや、いいと思うぞ。夫婦はいろいろあるから、何だかんだ最後には『顔が好き』という感情が大事なんじゃないかと思うんだ」

 仲睦まじいユナとファンファンを前にして、ゼツが真面目くさった顔で言う。それを聞いて、おとなしく黙々と食事をしていたメイメイが、たまらず笑った。

「大丈夫よ。うちの兄は、顔以外にもいろいろ長所があるから」

「ちょっと、小さいお嬢さんや。辛辣がすぎないかい」

「それに、あたしという監視の目があるから、浮気なんてさせないし許さないから結婚相手としてはおすすめよ」

「おいおい、容赦がないな、このお嬢さんは」

 メイメイからも当て擦られて、ハオユウはショボショボになっていた。年頃の娘は大体みんな浮気に厳しいものなのだと、そろそろあきらめて悔いてほしいものだ。

「それで、仲のいいおふたりさんは、これからどうする気だい? 祝言を挙げるにしても、まずはジジ様の説得からだろうね」

「おや、父をすっ飛ばすのかい? まあ、ワシは反対しないけど」

「えっと……」

 ヨキに尋ねられ、ユナもファンファンも返答に困ってしまった。

 仲がいいのは否定しないし、お互いを憎からず思っているのは間違いない。だが、今すぐ祝言を挙げるとか、そういう考えには全く至らなかった。

「ジジ様のところへは、当然行きます。ユナを無事に帰すと約束しましたし、顛末を報告する必要もありますので。ただ……すぐに結婚というわけには」

「そうよね。ファンファンたちの師父にご挨拶もしなくてはいけないし」

「うん。それもあるんだけど……」

 言いづらそうにしているファンファンの言葉を補足しようとしたユナだったが、どうやらそういうことではないらしい。

 というよりも、目を伏せて悲しそうにしている彼の顔を見たら、ヨキや自分が望んでいる結末をファンファンが想定していないのは察することができた。

 彼にはやらなければならないことがあるのだ。

「俺もメイメイも、兄弟子のしでかしたことの責任を果たしていかなければならないと思うんです。兄は、世間を騒がせた。本人はおそらく国家転覆だとか、そんな大それたことを考えてたわけではないと思うんです。でも、結果はその一歩手前までいっていた。その後始末を、これからしていかなければならないと思っています」

 ファンファンが苦い顔をして言うのを、ヨキは心配そうに頷いて受け止めた。

「懺悔の旅ってわけか。それは、修行をすることでは叶わない?」

「はい。彼がこの国のあちこちで己の思想を広め、己の手の内を見せて回っていたのは間違いないので、彼に影響されて悪しきことを為そうとする輩は絶対にいるはずなんです。そういった芽を摘んでいくことが、俺たちに課せられた義務だと思うので」

 言いにくそうにしていただけで、ファンファンの心はもう固まっていたようだ。迷いなく語る言葉を聞けば、彼がこれをついさっき考えたとかではないのはわかる。

 おそらく、ユーシュンと対峙したそのときから決めていたのだろう。あるいは、旅の間ずっと考えていたのかもしれない。

「でも、何年後になるかわからないけれど、いつか終わりはくるわ。そしたらあたしがファンファンを必ずユナのもとに連れて行く。だから、それまで」

「待たない!」

 メイメイが取りなすように言うのを、ユナは思わず遮っていた。

 待つなんて、自分の柄ではないことはわかっているのだ。それに、大人しく待っているよりもいい方法があるのをユナは知っている。

「わたしもついていく! 一緒に旅するの! そしたら、待たなくていいでしょ?」

 気がつくと、口をついてそんな言葉が飛び出していた。

 それを聞いて、メイメイはほっとしたように笑った。ファンファンは、驚いたように目を見開いてから、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにした。

「ユナ、いいの? つらい旅になるだろうし、君には償う義理もないんだよ?」

「つらいのなんて承知の上だし、それも修行よ。それに、家族になる人の罪を一緒に背負えなくてどうするの?」

「ユナ……」

 ユナに迷いがないのがわかると、ファンファンはそれを噛みしめるような表情をした。それから、ヨキたちに向き直った。

「そういうわけなので、ユナも一緒に連れて行かせてください。俺が必ず守るので」

「守ってやる必要なんかない。自分の身は自分で守れるように教えたつもりだから。その代わり、背中を預けられる男でいておくれ」

「はい」

 ヨキの言葉は、ふたりの関係を肯定するものだった。それを聞いて、ユナは安堵した。反対されたって一緒に行くつもりだったが、どうせなら大切な家族には認めてもらいたかったから。

「メイメイ、ふたりのことをよく見てやっていて。若い人の恋は、走り方を間違えれば不幸になるからね。ふたりが突っ走らないように、そばで釘を刺してやって」

「わかりました」

 ヨキが頼むと、メイメイは力強く頷いた。お目付け役がいると、あまりいちゃいちゃもしていられないなと思う。だが、それでもいい。

「私はまだしばらく、仲間たちと世直しを続けるつもりだよ。どう生きていくべきかしっかり背中を示してやってからじゃないと、また悪事に手を染めるかもしれないからね」

「母さん、また子分が増えそうね」

 今後も元盗賊や元山賊を束ねていく決意をしている母は頼もしくて、ユナはヨキがさらに多くの軍勢を率いているのを想像して笑った。

「それで、またハオユウとは離れ離れになってしまうわけだけど、報告をしっかり頼むよ、ゼツ。ユナも、あんたが敵になったらぶん殴るって言ってるからね」

「え?」

 ヨキはゼツを見つめると、念押しするように怖い顔をした。その言葉を聞いて、ユナはあのとき母に尋ねられた言葉の意味を取り違えていたことに気づく。

「……兄さんが敵になったかもしれないって、父さん側について報告を怠ったことだったのね。しっかり母さんの味方をしておきなよ。父さんのこと、ありのまま報告しとくだけでいいんだから」

 ようやくからくりがわかって、ユナは呆れた顔で兄を見た。妹に鋭い視線を向けられ、ゼツはもともとあまりよくない顔色をさらに悪くした。

「俺は、決して母さんを裏切ったわけでは……報告が滞ったのも、いろいろ多忙が重なっただけで、父を庇ったわけでは……それに、父もあれは浮気ではなく、密命を受けてのことだと言うし……」

 ヨキとユナに見つめられて、ゼツはしどろもどろになっていった。嘘が得意ではない彼だから、おそらく何かを隠そうとして失敗しているのだろう。

 父に次いで兄までも信用できなくなったと思い、ユナは残念だった。

「さあ、とりあえずどんどん食べましょ。次に家族でこうして揃って食事ができるのは、いつになるかわからないから。今日は父だけでなく兄も出してくれるみたいだし」

「そんな……ユナ!」

 兄の財布をあてにして追加で注文を始めたユナを見てゼツは絶望したが、母たちの溜飲下げるためにはこれしか方法がないと悟ったのか、それ以上何も言わなかった。

 それからユナたちは思う存分食事を楽しみ、家族と別れた。

 ハオユウとゼツは王都に残り、ヨキは再び子分たちとアジトへ戻る。

 そしてユナたちは、王都を出た防壁の前でひとまず立ち止まった。

「これからどうしようか?」

「うーん、そうだねぇ……」

 ユナが尋ねると、ファンファンはその隣に立って道の先を見つめた。

 やるべきことはたくさんあるし、選べる道もたくさんある。だから、迷うのは当然だ。

「だったら、行きとは違う道筋でジジ様のところへ帰ったら? そうすれば、道中で噂話を集めながら移動できるだろうし」

「いいね。それじゃあひとまず、近くの町なり村なりを目指して行きましょうか」

 メイメイの提案に乗って、ユナは歩き出す。その隣をファンファンも歩きだした。

 

 


〈了〉

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拳法乙女とチャラ道士 猫屋ちゃき @neko_chaki

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