この気持ちはどこへいく

@tonari0407

あと一歩、あと一言

「死ぬの? 」


 あと一歩を踏み出そうとした私の背中に優しい声が届いた。


 その声が温かいものでなかったら、私の足は宙に浮いていただろう。


 力強い風が私の身体を振り回そうとする。バランスを崩さないように恐る恐る後ろを振り返った。この世に未練なんてない。早くあっちにいきたかったのにどうしてだろう。


 誰が来てくれたのか私は知りたかった。


「な、んで……? 」

「あれ? 覚えてた? 俺のこと」


 それは彼だった。忘れるはずなんてない。


「忘れるはず、ないでしょ……」

 彼がいなくなった後、どれほど私が後悔したことか。彼の言葉は長い間私の心を縛り付けて離さなかった。


「へぇ、『もう、知らない』って言ってたからどうでもいいもんかと思った」


 以前と変わらず、ささくれた心で笑う彼の言葉の刃に私の心はズタボロになっていく。


「相変わらず泣き虫だな。泣かなくてもいいんじゃん。悪かったよ」


 今度は優しい声で人の心をもてあそぶ。


「なんで、いまごろっ」


 問い詰める私に彼は肩をすくめる。


「さぁ?  お前が会いたかったんじゃないの? 」


 逆に聞かれて声が出なくなる。

 答えは決まってるのに、その言葉を発することは現実に反していた。


 何も言わない私に彼はケラケラ笑う。


「普通に考えたら死んだ人間に会える訳ねぇか」

 そう、彼は三年前に死んだ。


「嫌いな人間に会いたくねーよな」

 本当は嫌いじゃない。あれは言葉のあやだ。


「でも俺はお前に会えて嬉しいわ」


 その言葉に私は彼の目を見つめる。

 彼のキラキラ輝く瞳が「嘘じゃない」と教えてくれる。 


 その笑顔を、忘れないように心に映したいのにどんどん世界がにじんで見えなくなった。


「死ぬくらい好きでごめんな」


 何も言えなくて私は首を横に振る。


 崖ぎわの風のイタズラに、ろくに食べていなかった私の身体はよろけ無様に地面に手をついた。

 別の方向に倒れていたら私はもう彼と話せないところだった。心臓の音が身体にドクドク響いてうるさい。


「危ないなぁ。ホントに死んじゃうぞ? 」


 二十七歳の彼は私を見下ろしている。


「ねぇ、私に死んでほしい? 」

 目の前に立つ彼を見上げて聞く。


「ずっと一緒にいてほしい? 」

 それこそ永遠に、今度こそ。


「いや、好きにしたら? 自分の人生なんだから」

 あっけらかんとした彼の声が、歩み寄ろうとした私の心を突き放す。


「私が、あのあとどれだけ辛かったかわからないでしょう! 」

 私が、責めるように睨み付けると彼は悲しそうに笑った。


「うん、わかんない。ごめんな」

「ねぇ……」

 彼の方に私は手を伸ばす。でも届かない。

 近いのに触れられない。


「俺から言えるのはこれだけ『死にたいなら好きにしたらいい』」


 私の頬に涙が伝って、地面に吸い込まれていく。それは私が彼に言った最後の言葉。


「それからおまけ、『生きて』。わかってたのに死んでごめんな」


 それは彼に直接言えなかった言葉。

 私が彼の想いから逃げたから。


「馬鹿ぁ、私は……」


 苦しみの中で気づいた気持ちを受け取る前に彼はいってしまった。

 彼が立っていたはずの場所には何もない。


 私はまたしばらく泣かなければいけないらしい。



 私を死から生に押し戻す海風が心にしみた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

この気持ちはどこへいく @tonari0407

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説