川谷パルテノン

「世の中、いろいろなことがありますものね」

 鶴賀つるかさんは慰めるように言った。僕はそれにしたってこんなことあるものかいと思うのだった。頭が蕪になったのだ。カブ、アブラナ科の野菜でカブラ、カブラナ、スズナにホウサイとその呼び名は様々であるけれど人の頭部がそれだったとは聞いたことがない。鶴賀さんは僕の頭を眺めながらシャキシャキしていそうと言った。食べるつもりですかと落ち込んだ声で返す。いっそのことそれがよかった。鶴賀さんは「まさか」と笑った。

 海際の防波堤に腰を据えて二人で海と空を交互に眺めていた。口数が減るどころかどこから声が出せているのか口の所在もわからない蕪頭の僕は表情こそ見せれなかったものの随分落胆していた。蕪頭になる以前、つまりは昨日、僕は一世一代の決心で鶴賀さんにプロポオズをしたのだ。返事はイエス。キリストのことも仏のことも僕はまるで知らないけれど何かそういう存在に感謝した。夜通し浮かれていた僕は鶴賀さんとその日別れてからも友人に連絡して祝勝会と銘打ち騒ぎ明かしたのである。テキメン酔っ払った僕は帰り道のことについて憶えがなく、ひどい頭痛と気怠さの中で覚醒した今朝方のこと、鏡に映るはまこと大きな白蕪だったのだ。初めは俄かに信じがたい光景を前に呆然とした。しかしながら指先でふれた顔面は新鮮な野菜特有の水気を含んだ柔い手触りでなるほど蕪だった。一夜明けて鶴賀さんとは食事の約束を取り付けていた今日である。僕は洗面所から一歩も動けなくなってしまった。約束の時間を過ぎても頭が回らず何も出来ないでいた。野菜だから脳みそも詰まっていないのだろうとくだらない考えだけがあった。鶴賀さんから連絡がきて僕は電話に出ることにした。開口一番、僕は鶴賀さんの声に被せるようにして昨日のことはなかったことにしてほしいと申し出た。それは僕なりの誠意で鶴賀さんの人生の中に蕪男は不要だと思ってのことだった。自らの意思でありながら願わくばそうあってほしくないと発する科白はどこか演技じみていて切ない。鶴賀さんは理由を聞かせてほしいと言った。なら最後に一度だけ会っていただけますかと僕。会えばわかる、だから出来るだけひと気のない場所でと。

 僕はまだ暑さの残る晩夏初秋の季節に冬の装いかフードを目深に被って家を出た。向かう先は田舎の海。青くささが鼻先を漂っていた。先に着いていた鶴賀さんは少し怒っているようだった。仕方もあるまい。僕はひどい男でどうしようもない蕪なのです。彼女は僕の名を呼んで語尾に疑問符をつけた。はいそうですの一言が震える。お顔どうかしたのと彼女。僕はあたりを見回してフードを取ってみせた。しばしの沈黙があってそれが何光年にも感じられた。物語は冒頭に戻る。

「鶴賀さん、ごめんなさい。僕はもうダメです」

「どうしてですか」

「この顔では働けやしません。煮るなり焼くなり刻むなり。そうされるために頸を刎ねねば」

「思い詰めないでください。唯一無二のお顔なのに」

「莫迦にしてるんですか。悲しいな」

「ごめんなさい。そんなつもりじゃないです。でも私に気を遣っていらっしゃるなら止してください。私はそんな貴方も好きですから」

「莫迦言っちゃいけません。僕はもう鶴賀さんを幸せになんてできないんだ」

「意気地なし」

「え……そうですね」

「弱虫」

「はいそのとおり」

「私は貴方の顔を覚えています」

「嬉しいな。泣けてくる」

「泣き虫。今だって昨日まで貴方だったお顔で泣いてますよ。私にはそう見えます。蕪だからなんですか。手足は残っているじゃない。働けます。それに私はもう幸せです。貴方が会いに来てくれて」

 冷たい風が耳を抜けていった。僕はようやく目が覚める。目線が伝わっていたかはともかく僕は鶴賀さんのことだけを見ていた。いい雰囲気の中、そこへ犬を連れた少年が通りがかる。

「キィス、キィス、キィス、キィ」

「見せもんじゃねえぞガキぃ!」

「大根が喋った! わああああ」

 少年は走り去った。子供相手に大人げないですよ、そう言って鶴賀さんは唇を蕪にあてた。この先のことはわからないが鶴賀さんとならなんとかなるんじゃないかと思った。大根じゃねえ蕪だ莫迦野郎。

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川谷パルテノン @pefnk

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