幕間 待てずにカラス

 うつむき黙って歩く少年の後を、私は黙ってつき歩いた。胸が不安ではち切れそうだ。お仕事のときはいつもそうだけど、今はそこにちょっぴり期待が混じってる気がする。


 ――少し私のお兄ちゃんの話をさせて欲しい。唐突だけど。脈絡ないけど。


 ウチは三人家族だった。お父さん、お兄ちゃん、私。お母さんはいない。病気で亡くなってしまったらしい。私はあんまり覚えてない。

 周りの人たちからは『大変だね』って言われたけれど、私は毎日幸せだった。お父さんがお仕事で家に居なくても、私にはお兄ちゃんがいたから。

 私の大好きなお兄ちゃん。物静かで優しいけれど、どこかマイペースでいつも夢見心地。じっと何かを見つめる淡い瞳は、晴れた日の枯れ芝みたいで好きだった。

 もちろん、腹が立つことも少なくなかった。だって、いつも黙ってニコニコするばかり。自分のことをちっとも何にも話してくれない。

 小学校に上がってからは毎日一緒に登校していたのに、毎朝ずっと私ばかりが喋ってて、彼はただただうなずくばかり。でも、お花は好きだったみたいで、民家の塀から顔を出すのを見かけると、立ち止まってじっと眺めていた。

 私はちっとも詳しくないけど、おかげでジャスミンだけはわかるようになった。青く茂ったツタの上に華奢な花弁をパァーッと咲かせ、辺り一面に甘い香りを主張する白く小さな花。あまりに香りが強くて苦手だと言ったら、「僕は好きだけどな。マリカキミと似ていて」なんて言うから、私はぶちギレそうになった。というか、たしかあのときはぶちギレたと思う。普通、嫌いって言う花に似てるなんて言う?!

 まくし立てる私にお兄ちゃんは謝りながらも、「でも、同じ名前だよ。アラビアジャスミンは和名が茉莉花まりかだもん」とさらに余計な一言。もう頭にカァーッと血が昇ってしまって、その朝はずっと口をかなかった。でも、お兄ちゃんは放課後には何食わぬ顔していつも通り校門で待ってくれていた。まだ怒ってたけど一緒に帰った。ジャスミンの名前はずっと忘れない。


 でも、一番忘れられないのは、一緒に行った水族館のこと。そこでは、ペンギンが空を飛ぶように見える展示をしていた。

「全然飛んでるようには見えない」

 水槽を見上げてつぶやくお兄ちゃん。何だか虚ろな目をしていて、そこからじっと離れなかった。一人になっても、ずっと見ていた。

 それ以来、見上げることが増えた気がする。結局、私には彼の気持ちはちっともわからかった。以前も今も。ただそれでも、――。

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