第6話 黒兎の駆けた後

「よぉ、何してんの?」

 耳慣れない関西訛りの声。振り向くとポケットに手を突っ込んだ男の子。僕と同じくらいの歳なのに口に咥えたタバコからゆらゆら煙が立ち上る。


「ぁ、沼賀くん……」

「デート…なわけないかぁ。この子が今、担当してる子?」

 濡れたみたいな癖毛の下から、眠たそうな一重瞼ひとえまぶたがこちらをじとっと覗き込む。羽織った淡いジージャンは、タバコから昇る煙でさらに色褪せて見えた。


「若いなぁ、事故で死んだん?あーぁ、気の毒やわぁ。あ、もしかして交通事故?

 せやったら、お揃いやなぁ。俺も死神になる前、事故で死んでん。前方不注意の軽自動車にポーンって、ボールみたいにな。

 もうかなんいやだよなぁ、まだまだやりたいこともあったのに」

 そんな柔らかく軽快な口調とともに煙を吐き出した。


「それで?キミは何でここにおるん?なんで死んだん?」


 口の中がベタッと乾いて開かない。苦い味が胸から広がる。頭の中が真っ白になる。見知らぬ彼に早く何か言わねばと思うものの、言葉はどんどん落ちていく。元から何にもなかったみたいに。暗く寒く寂しくなる。身体の芯が空っぽになったみたいに。


「まさか……自殺、なんてしてへんよな」

 白い煙の先の瞳。ちっとも笑っていないそれが、まっすぐ僕を覗き込む。


 あぁ、わかっている。

 そう、わかってるんだ彼は。僕は。何もない。僕は。僕は。弱く何もない僕は。僕はただ――。


「ストップ」


 肩をつかんだお姉さんの手の温もりに、ハッと意識が舞い戻る。にじんだ視界には心配そうなお姉さんと、ニヤニヤ嗤う沼賀くん。ぼんやり頭で見上げると、お姉さんはぐっと沼賀くんを睨んだ。


「この子はあたしが担当してるの。余計なことはしないで」

 そして、僕を抱き締めた。柔らかく温かい彼女の身体。死んだ僕のことをすり抜けることなく、ぎゅっと抱き締める。トクントクンと。時計みたいに血が巡る。足元で落ち葉がカサカサざわめいた。


「……ぷっ、そう怒んなや。ちょっとやる気出してみただけやって。俺も死神のはしくれやからな」

 軽く嗤う彼の冷めた瞳に、チラッと蔑みの色が映ったように感じた。それはまるで燃えてるみたいな深く暗い……。

「愛だよ、愛!あたしはあんたと違って、誠心誠意にきちんと人と向き合うの!」

 彼はピョンと側の柵に飛び乗ると、手を掲げて、遠く後ろへと目を凝らした。

「ふぅーん、あっそ…。あ、俺も担当の子がいるし、そろそろ行くわ。デートの邪魔して堪忍かんにんな」

「もうっ、さっさと行って!バイバイ!」

 プンプンしているお姉さんを尻目に、彼はもう一度、僕の方を振り向くと少しかしこまった顔をして口を開く。

いけずイジワル言うてごめんな、少年。ほなね。君の旅路の祝福と、もう二度と会わへんことを祈って」

 歪んだ笑みを浮かべると、彼はパチンと指を鳴らす。すると、河からサーッと風が吹き、次に目を開けたときにはもうタバコの香りすら残ってなかった。

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