第2話 藍は長く美しく

 家の近くの川沿いの道。横では車がビュンビュン通っているのに、柵の先の草むらでは蝶がヒラヒラ舞っていて、何だか不思議な感じがした。


「やっぱり晴れると気持ちいいね」


 お姉さんは両手をまっすぐ伸ばし、綱渡りみたいに柵の上を歩いていく。色褪せた淡い藍色のジーパンに、英語が書かれたピンクのシャツ。ヒラヒラ揺れる袖口からしゅっと伸びた白い腕。

 肌寒いはずの秋空の下。自由気ままで季節外れな彼女の格好は、異様なはずなのに誰も気にしない。まるで彼女のことなんて見えていないように。


「だーかーら、ホントに視えてないんだって。ほれっ!」


 そう言うと、彼女は手すりに載せられていたコーヒー缶を缶けりみたいに蹴っ飛ばした。黒い汁を撒き散らしながら描かれる綺麗な放物線……。

 ――カンっ!

 軽い音を立てて、前方から来たおじさんの頭にクリティカルヒットした。おじさんは夢中で見ていたスマホを取り落とし、きょとんと辺りを見回している。


「ぷっ…ふふふ。まぁ、見えるものすら見てなかったりもするけどね」


 お姉さんはクスクス笑いを隠すみたいに黒いバケットハットを目深に押さえた。そして、もう一方の手を華麗に伸ばすと、パチンっと指を大きく鳴らす。

 すると、不意に道路をふわぁーっと生暖かい風が吹き抜けた。その風は、寂しくなりつつあるおじさんの頭も、優しく撫でて揺らしていく。


「これでよしっ!」

 そう満足げひとりうなずくと、鼻歌交じりに再び手すりの上を歩き始めた。さっきよりも少し軽い足取りで。


 おじさんとのすれ違いざま。地面に落ちたスマホをそーっと覗き込むと、ひび割れた画面の中にいくつも並んだ「SSR」スーパースペシャルレアの文字。そこに描かれているのは、たしか……そう。人気ゲームのキャラだと思う。


「世界はいつもバランスを大切にしてるのよ……っとっと」


 言葉にした途端にバランスを崩すお姉さん。ヨロっと傾く彼女の身体はくるっと回って車道の方へ……。

 と、そのとき後ろから軽自動車が勢いよく走ってきた。彼女の身体が車道に飛び出しているというのに。

 思わず僕は目をつぶる。それでも、鉄の塊がブレーキもせずに通りすぎるのが分かって、身体をぎゅっと縮こませる。

 ガソリンの匂いが鼻をつく。



「うへへ、ごめんごめん。ちょっと調子に乗りすぎちゃったな」

 恐る恐る目を開けると砂埃の中、お姉さんは尻餅をついて頭をかいていた。

「やっぱり大事だねー、バランス」

 ホッとして視線を落とすと、地面が少し明るかった。というか、後ろから日が射しているのに、地面に影が映ってなかった。

 白く煤けたアスファルトには、ずっと続く長い柵と走り抜ける車の影が映っているのに、僕もお姉さんもそこにはいない。


 あぁ、そうだった。僕はもう死んでるらしい。

 ……いや。「そうだった」でも「らしい」でもなく、しっかり自覚はあるのだけれど。


「どんなことでも自覚があるのはいいことだよ、少年。それは苦しいことでもあるけれど」

 自分の失敗は棚にあげ、ジーパンの埃を払いながら堂々と立ち上がるお姉さん。


「でも、心配ご無用!あたしがいれば問題なし。幸せな終わりを迎えましょう。

 何たってそれがあたし達死神のお仕事だから、ね」


 晴れた空みたいな彼女の笑顔に、戸惑う僕は曖昧な会釈を返す。ふと振り返ると、歩きスマホおじさんの姿はもう見えなかった。

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