第8話   俺が完璧美少女の〇〇な事情を知った件


   ※


「……ちゃん。……米ちゃん! 飯喰わねえのか、昼休み終わるぞ!!」


「米。今朝から、顔色が悪いぞ。早退をしたほうがいい」


 俺は、正面に立つ品川と辻堂の声で、昼休みの教室に居るのに気付き。

 スマホを取り出して、通知がないかを確認した。


「米ちゃん、先生に言ってくるから。帰る用意しとけ」


 そう言って、品川は教室を出ていき。辻堂が、彼女の席に座って言った。


「今朝から、ずっと、ぼんやりしているが。大丈夫か」


 俺は、口を開き。一旦閉じてから開いた。


「……ごめん。……体調は、大丈夫だから」


「謝らなくていい。午後のノートは、自分に任せておけ。寝不足に見えるから、早退してゆっくり寝たらいい」


 「米」と、辻堂が真面目な声で言い。小さな、低い声で続けた。


「今朝、学校に着いてから。幸田さんから、初めて連絡がきた。昨晩から連絡がとれないらしい。普段は、すぐに連絡が返ってくるらい。自分が何かしたのではないかと心配をしている。それ以上に、由比さんの心配をしている」


 俺は、彼女の名前で、びくりと両肩が震えてしまった。


「メッセージで、学校に来ているかを聞いてきたから。来ていないと返したら、幸田さんは、自ら連絡した説明をしてきた。俺に、メッセージを送るぐらい、事情を説明するぐらい、切羽詰まっているのが伝わってきた」


 辻堂が、とても固い顔と声で言い。

 幸田さんが、とても、彼女を心配しているのが分かった。


「……幸田さん。今日は、学校に来てるの」


「図書室に居るらしい。誤解をしないでほしいが。俺は、図書室に行こうなんて思っていないからな」


 辻堂がきりっとした顔で言い、俺は頬が少し緩んだ。


「……分かってるよ。辻堂は、いいやつだから。ひとのこと、ちゃんと考えてくれる」


「それは、米もだろう。由比さん、何かあったのか」


 俺は、喉が狭くなり。

 昨晩の彼女と彼女の母親のことを言えなかった。


「出来ることがあれば、協力しよう。幸田さんが心配しているから、ポイントを稼ごうとしている訳ではなく。米が、とても心配だからだ」


 辻堂は、俺をまっすぐに見つめて言い。

 俺は、視線をそらして、狭い喉から返した。


「……ありがとう。……俺、何も出来なかった。……どうしたらいいか、分からない」


 とても情けないと思う声で、昨晩から思うことを吐いたあと。

 辻堂に、固くなった頬を軽くつねられた。


 視線を上げると、縁なし眼鏡の向こうの両目が細められていた。


「俺たちは、ただの子供だ。何も出来ないことが当たり前だろう。そういうときは、頼りになる大人に相談すればいい。米には、とても頼りになるお姉さんが居るだろう」


 俺は、思いつかなかったことを言われ。「ありがとう」と、広くなった喉で返した。


 品川が戻ってきてから、ふたりにお礼を言い。

 俺は、学校を早退して、凛の家へと向かった。


 早足で部屋に着き、合鍵を使って入ると。しんと静かで薄暗く、部屋の主はいなかった。


 俺は、気が抜けて、乱雑なリビングの床にへたりこんだ。

 額から汗が流れて、ぬぐってから。立ち上がって、窓に向かい。

 カーテンを開け窓を開けると、湿った風が部屋に入ってきた。


 空は分厚い雲で覆われていて、今にも雨が降りそうだ。

 どこに行ったのだろうと、スマホを取り出すと同時。


 凛からメッセージが届いた。


『学校が終わったら、すぐにうちに来て。今、美月ちゃんの、やべえ保護者と面談終わった。作戦会議しよう』


 メッセージを読んだあと、俺はすぐに通話をし。


「あれ~、何で~、ここに居るの~、サボりはお姉ちゃんゆるさないよ~」


 通話が繋がるより先に、凛が部屋に現れた。


「……凛。……面談って、何なの。由比さんの、お母さんと…」


「優、あれを、美月ちゃんのお母さんと言ってはダメ」


 俺の言葉を、凛はとても固い声でさえぎり。

 「疲れた~」と、リビングの床の上に大の字で寝ころんだ。


「優~、お腹空いた~、のどかわいた~、来てくれてよかった~」


「……凛、何が…」


「優~、とりあえず~、お昼ご飯~、それからじゃないと~、説明出来ない~」


 俺は、気の抜けた声と顔の凛に、口を閉じてから開いた。


「……とりあえず。服、シワになるから、着替えて。用意するから」


 床に転がる凛は、薄く化粧をして髪の毛をひとつにまとめ、ちゃんとしたワンピースを着ている。

 彼女の母親に呼び出され、話をする為出かけていたのだろう。


 凛の言動から、よくない話し合いだったのが分かり。


「結論から言う。これから、私達が一切関わることを許さない。関わるならば、美月ちゃんの意志とは正反対のことをさせるって。学校を辞めさせて、稼業の為に働かせるってさ」


 化粧を落とし大きいティシャツ一枚に着替え、俺の弁当を食べたあと。

 俺の淹れたお茶を飲んでから、凛はとても固い声で言い。


 予想していたよりも、最悪な事情を話してくれた。


「美月ちゃんの家庭の事情、優に話していいって言われたから。今から、話すけど」


 「大丈夫」と聞かれ、「大丈夫」と嘘を吐くと。

 凛は、大きく息を吐いてから、固い声のまま続けた。


「美月ちゃんは、今、母親の妹の家に世話になってる。五歳のときに、両親が失踪したからだ。母親の妹の家は、自慢話ばかりでよく話を聞いてなかったけど、京都で古い旅館をやってる。母親の両親はもう亡くて、母親の妹は未婚で子供がいなくて、美月ちゃんを養子に迎えているが。あれは、はっきり言った。旅館の役に立たなければ、美月ちゃんの存在は意味がないと」


 俺は、かあっと胸が熱くなり。


「あれは、法律上は保護者だが。美月ちゃんのことを、娘や姪だと思わず、自分の道具だとしか思っていない」


 凛の言葉に、彼女が言ってことを思い返した。


『私は、高校を卒業したら、お母さんが決めたひとと婚約をして稼業を継ぐの。婚約するひとは、うちの稼業を援助してくれるひと』


 「自由」とは正反対の未来だと思った。それよりも、もっとひどい意味だった。


「私のこと、優のことを、どうやって知ったのか聞くと。美月ちゃんの携帯を、全て見たそうだ。私達と関わったことで、もう、美月ちゃんは携帯を持つことは許されない。許してやっていた自由はない。あれは、笑いながら言った」


 凛は、怒りをあらわにした顔で、吐き捨てるように続けた。


「自分のものを、どう扱おうが自由。自分がいなければ、生きることは出来なかった。自分が、生かしてやってる。そう、あれは、当たり前のように、頭のおかしい発言をした」


 俺は、ひどすぎる言葉に、口を開くことが出来ず。


「まじで、クソだ。あんなものが、美月ちゃんのそばに居るのは許せない」


 凛が暴言を吐いたが、俺はその通りだと思ってしまった。


「……だから。暴力を振るわれても、謝ってたんだ」


 昨晩の彼女を思い返し、ぼそりとつぶやくと。

 ぐいっと、胸元を強くつかまれた。


「あれは、美月ちゃんに、手をだしたのか。優の目の前で」


 ぎろりと、俺をにらみ。凛が地をはうような声を上げ。

 俺は、昨晩の彼女の母親ぐらい恐ろしさを感じて、口を開けなかった。


「ああ~、ごめん~、ついつい~、優は~、美月ちゃんと同じ被害者なのに~」


 普段のような声を上げ、凛は俺の胸元から手を離したが。

 顔は、怒りに満ちているままだ。


「まじで~、うちの父親よりも~、やべえ親が居るんだね~、いや~、まじで~、胸糞案件すぎるわ~」


 明るい声を上げているが、凛の眉間にはシワが寄っている。

 俺は、息を吐き、口を開いた。


「……父さん、最近は、母さんに凛のこと聞いてくるって。元気で病気をしてないか、聞いてくるって」


「ふ~ん、クソ親父と関わらずに生きてるから~、元気だって言っといて~、そっちのが~、長距離トラックいつまでも乗ってて~、身体ヤバいんじゃないのって言っといて~」


「……クソを、つけるなよ。母さんの身体、最近はずっと調子よくて入院してないから。父さん、長く乗らなくてよくなってる」


「ふ~ん、お母さん~、クソ親父の話はしないから~、まあ~、どうでもいいけど~」


 俺は、凛ととても久しぶりに父親の話をしたことを、嬉しいと思い。

 今は、それどころじゃないと思った。


「……由比さん。学校、俺たちのせいで辞めさせられるの」


「分かりました~、二度と~、私達は近づきません~、申し訳ありませんでした~、って~、あれに頭下げたから~、大丈夫だと思う~」


 俺は、ほっと息を吐き、


「でも~、優と~、美月ちゃんは~、関われなくなっちゃったよ~」


 凛が続けた言葉に、ひゅっと背中が冷たくなった。


「昨日は~、たまたま~、仕事の都合でこっちに来てて~、あれは~、美月ちゃんのところに寄ったみたい~、私が~、美月ちゃんをマンションまで送り届けるように言ったからだ~」


 凛は頭を深く下げて、「ごめん」ととても固い声で言い。

 俺は、口を開けず、続いた小さな言葉を聞いた。


「私は、最悪だ。全部、私のせいだ。私が、昨日、余計なことを言わなければ。もっと、美月ちゃんのことを、踏み込んで聞いておけば。起きなかったことだ」


 「ごめん」と、凛はもう一度言い。俺は、とても驚きながら、


「……凛の、せいじゃない。……昨日、何も出来なかった。……最悪なのは、俺だよ」


 思ったままを言うと、がばりと凛が顔を上げた。


「違う。最悪なのは、優でも、私でもない。美月ちゃんを、もの扱いしてる、あれだ」


 凛が、俺をまっすぐに見て、はっきりと言い。

 その通りだと思ってしまった。


「ただ、あれは、美月ちゃんの保護者だ。他の家庭の問題を、私達がどうにかすることは難しい」


 凛が、とても冷静に、残酷な現実を言い。


「……でも、そんなの。由比さんが、辛い目にあってるのは」


 「嫌だ」とはっきり言うと、ぐしゃりと頭をつかまれた。


「優、学校早退してまで、うちに来たのは。私を、頼る為に来てくれたの」


 俺が「うん」と返すと、「そっか」と凛は両目を細くたらした。


「なら~、お姉ちゃん~、なんとかしてあげるね~」


 気の抜けた、でも、強く聞こえる声を上げ。

 凛は俺の頭から手を離し、真面目な顔をして続けた。


「でも~、美月ちゃんを助けるのは~、優の役目だからね~、出来るよね~」


 俺は、何の根拠も自信もないけれど、「出来る」と言った。


「まったく~、スパダリに育っちゃったのは~、私の~、BL英才教育のたまものだね~」


「育ってないし。凛の作品は苦手で、BLは好きじゃないから」


「またまた~、私の~、作品が大好きだからこそ~、順調に育ってるんだよ~」


 俺は、「育ってない」とはっきり言い。凛とお互い緩んでいる顔を見合わせた。


「とりあえず~、優は~、今日の夕飯の材料買ってきて~、今日は~、餃子パーティーしよう~」


 「こんな時に」と言う前に、


「餃子って~、作ってたら無心になれて~、怒りがおさまるんだよね~、あと~、雫の好物だしね~、役所勤めしてくれてて良かった~、美月ちゃんのこと色々聞ける~」


 凛の言ったことに、こくりと頷き。

 俺は、言われた通り買い物にいき、凛と大量の餃子を作り。


「何か、扉の前でエンカウントしたら、逃げ出して。つかまえてきたんだけど、優君のところの制服の子だから、関係者よね」


 夕方、雫さんと、雫さんに首根っこをつかまれた幸田さんが訪れた。


「雫~、瑠奈ちゃんを離してあげて~、瑠奈ちゃん~、雫は私の幼なじみで~私の才能を開花させてくれたひと~」


 凛がふたりの前に立って言い。

 雫さんから解放された幸田さんは、おびえた顔からきらきらした顔になった。


「……あっ、あの。……よねはら☆太郎先生を、開花して頂いて…」


「日本語、おかしくなってる。多分、よねはら☆太郎のファンさん。不審者扱いして、ごめんなさい。私は、自分の思い描くBLを末永く書いてもらう為、凛を管理してきただけよ」


「管理してして~、死ぬまでして~、結婚しよしよ~」


 雫さんが「無理」とはっきり言い。幸田さんは、元から大きな瞳を大きくし。


「幸田さん。由比さんのこと、辻堂に連絡してくれて」


 「ありがとう」と、そばに立って言うと。

 幸田さんは首を傾げ、「はっ」という擬音が聞こえそうな顔になった。


「……わっ、私、何で、辻堂君に言っちゃったんだろう。……米原君に、連絡すれば良かったのに。……だって、辻堂君、何でも言うこと聞いてくれるって言ってたから。……でも、だからって…」


 困惑しているのだろう。幸田さんに、俺は「大丈夫だよ」と言った。


「辻堂は、いい奴だよ。何かあれば、頼ったらいいから」


 俺が、「大丈夫」と頬を緩めて言うと。

 幸田さんは、ぽかんとした顔になり、「うん」と小さく返してくれた。


「優~、餃子どんどん焼いてこ~、ふたりとも~、いっぱい食べて~、美月ちゃん奪還作戦~、いいアイデアみんなで出してこ~」


 凛が、明るい強い声を上げ。俺は、言われた通りに準備にとりかかった。


   ※


 頼りになる大人ふたりと子供ふたりで、作戦会議をした翌日。

 俺は、放課後の図書準備室で、作戦を決行した。


『じゃあ~、そういう作戦ということで~、いやあ~、雫は頼りになるし~、瑠奈ちゃんのアイデアは素晴らしい~』


『役所に勤めてると、そういう件を聞くことがあるから。そのたびに、役所の現行の制度では、カバーしきれないと思う。私達で、何とかしてあげられたらいいんだけど』


『……アイデア、凛さんに褒めてもらえて嬉しいです。……自分が実行したときは、失敗したけど。……米原君なら、成功出来る』


 俺は、昨晩の、凛と雫さんに幸田さん、三人の会話を思い返し。右手にしているスマホで、十分ほど経っているのを確認した。


 大丈夫だと思っていたけれど、薄暗く狭いところに収まり、身動きが取れないことは。思っていたよりも、居心地が悪かった。


 今、俺は、図書準備室の掃除用具をしまうロッカーに入っている。


『……米原君。……私は、暗くて狭いところが落ち着くから、意外と居心地よかった』


 今、図書室の出入り口付近で、見張りをしてくれている幸田さん。

 俺と彼女を呼び出した日、一時間、ロッカーの中に居たらしい。


 俺は、今の状況を、幸田さんとは正反対に感じ。快く思わないけれど、


『……米原君が、由比さんと関わるのがダメなら。……差出人不明の手紙に呼び出されて、ロッカーが勝手に喋れば。……いいと思う』


 幸田さんの提案を実行するしか、彼女と話が出来ないのだ。


『美月ちゃんと保護者の話を聞いて、ここに居る全員がおかしいと思ってる。でも、当事者は、それに気付けていないことが多い。おかしいことを気づかせて、本人に行動をさせないと、助けることは出来ない』


 雫さんの言葉を思い返し、俺は、彼女にきちんと気付かせることが出来るのかと思う。


『大丈夫~、気付きはじめてるから~、あれの言うこと~聞かなくなってるんだよ~、だってさ~、怖いものより~、楽しいもののほうが絶対正義だよ~』


 凛の言葉を思い返し、俺は、「大丈夫」だと自分に言い聞かせ。


『私は、はらよね☆太郎先生の描く『ドキメキ☆男子学園寮』シリーズが大好きで、先生のBL小説に救われたの! 私は、BL小説に出会って、現実の男子でもBL妄想が出来るようになって、日々がすごく楽しくなったの! BLを好きになって、幸せになれたの!! BLが好きなの!!』


 すごく、遠いことに思える。一月ほど前、放課後の教室でふたりきりで、壁ドンされて言われたことを思い返したとき。


「こんな風に、呼び出すこと。もう、やめて下さい。次は、先生に相談します」


 静かな、彼女の声が。俺の鼓膜を強くついた。


「お母さんには、言わないでおきます。これ以上、関わらないで下さい」


 俺は、ロッカーから出られず。彼女の続いた言葉に身体が固まった。


「私は、高校と大学を出て、したいことがある。だから、教室にそれ以外でも、関わらないで下さい。今、学校を辞めることは、したくない」


 昨日は、誰からの連絡に応じず、学校を休んでいた。

 今日、凛が確認すると、スマホは解約されていた。

 彼女は、朝、教室に入ると、隣の窓際の席に座っていた。


 俺は、関わる前のときの様に、授業中や昼休みの中庭での姿を盗み見することなく。

 朝、誰にも見つからない様。幸田さんが下駄箱に入れてくれた手紙を、彼女が読むことを願っていた。


「こんな風に、呼び出すこと。もう、やめて下さい。次は、先生に相談します」


 手紙を読んでくれ、図書準備室に来てくれた。

 彼女は、とても冷たく聞こえる声で言ったあと、静かに去ろうとするのが分かった。


 俺は、手にしていたスマホを落とし、


「……由比さん。本当に、いいの」


 ダメなのに、扉を開いて外に出てしまった。


「由比さん。大丈夫なの。本当に、いいの」


 俺は、少し先にある、彼女の背中へ思うままを続けた。


「今のままで、いいの。俺は、嫌だよ。由比さんが、楽しくないの。ダメだよ」


 うぬぼれで、勘違いかもしれないけれど。俺は、自分と居るときの彼女は、楽しそうに見えていた。


『私は、これからも、仲良くして欲しい』


 一昨日、彼女が俺に言ってくれたこと。

 思い返して、口を開いたとき。


「私は、両親がお母さんにしたことを、償う為に生きるの。私は、両親に捨てられたのに、生かしてもらったから」


 とても、重く冷たい声が聞こえ。

 俺は、勝手に足が動き、彼女のすぐ後ろに立ち腕を伸ばした。


「米原君と、関わらなければよかった。こんなにも、腹が立ってる」


 彼女の、本当に怒っているだろう声。俺は、柔らかかった手を、握ろうした手を宙で止めた。


「私は、お母さんの言う通り、存在するだけでひとに迷惑をかけて不幸にするものだから」


 「関わらないで」と、小さく残し。

 彼女は、背中を向けたまま、とても静かに出ていった。

 

 俺は、彼女を追うことが出来ず。

 突っ立ったままで、強烈な自己嫌悪を感じた。


 八年前、凛と父親の修羅場を見て、家族の崩壊を見た。

 六歳の俺は、何も出来ず。凛は家を出て行ってしまった。


 当時の凛と彼女は、よく似て見えた。だから、俺は、彼女に勝手に思っていた。

 

 完璧に見えるよう無理をし続けて、壊れないで欲しい。


 凛の無理で保たれていた、家族は壊れた。八年経って、やっと、ほんの少しだけ直ってきた。


 一昨日、彼女と彼女の母親とのやりとりを見て。凛から事情を聞き、先ほどの彼女の言動から。


 彼女が、どんどん、壊れていくしかないように思えた。


「……ごめん。……由比さん、止めようとしたんだけど、……無理だった」


 幸田さんが、とても暗く見える顔をして、図書準備室に入ってきた。

 俺の正面に立ち、床に顔を向け。ぼそりと、落とす様に言った。


「……また、凛さんの部屋で話をしたいって言ったら。……よねはら☆太郎先生の本、お母さんが捨てたって。……もう、好きなものを作らないって」


 最後、消えるように言ったあと。幸田さんは、声を殺して泣きはじめ。

 俺は、「ごめん」と言い、「俺のせいだ」と本当のことを言った。


「……ちがう。……私の、せい。……も、もっと、ちゃんとしたこと、提案出来なかった。……は、初めて、よねはら☆太郎先生の作品、話せたのに…」


 幸田さんは、しゃくり上げながら言い。

 胸がとてもしめつけられて、涙がこぼれる前に、床に落としてしまったスマホが震えた。


『そっか~、とりあえず~、ふたりともうちおいで~、よくがんばったね~』


 凛からの通話をとり、失敗したことを言うと。

 気の抜けた、とても優しい声で言われてしまい。


 涙をぐっと我慢して、幸田さんに「行こう」と言い。凛の家へと、ふたりとも無言で着いた。


「おかえり~、瑠奈ちゃんは顔洗っておいで~、優はあったかいもののみな~」


 幸田さんは、言われた通りに洗面台へ向かい。

 俺は、いつもより片付いているリビングで、渡されたマグカップを受け取った。


「……凛、……俺…」


「ハチミツましましだから~、とりあえず~、のみな~」


 向かいに座る、凛が両目を垂らして言い。

 俺は、一口、湯気を上げるココアをのんだ。


「どうだい~、久しぶりのお姉ちゃんのココア~、おいしいでしょうが~」


 俺は、「甘い」と感想を言い。凛は、「え~」と、頬をふくらませた。


「かわいくない~、昔は~、すごくおいしいって言ってくれたのに~」


「……凜。昔、家を出て行くまで、楽しくなかったのに。気付かずに、何も出来なくて…」


 凛は、言葉途中で、俺の頬をぴんっとはじいた。


「六歳の子供が~、そんなの無理すぎるでしょ~、今も~、美月ちゃんのことは~、優に瑠奈ちゃんには~、手にあまりすぎるから~」


 俺は、何も返せず。凛は、にひゃりと笑い、明るい声で続けた。


「今日の作戦も~、悪いけど~、失敗すると思ってたんだ~」


 俺はとても驚き、凛が真面目な顔で続けた。


「五歳のときから、十年。あれの元で、暮らして、呪いを受け続けてるんだ。美月ちゃんに、おかしいと気付かせるには、時間がかかることだと思う」


 凛は、とても固い声で言い。「でもね」と、笑みを浮かべて続けた。


「優と出会って、私や瑠奈ちゃんと好きなことを話して、楽しいを知ったから。美月ちゃんは、楽しくないが分かるようになったと思う。今日、ふたりが、必死で自分にしてくれようとしたこと。その意味は、絶対に、分かってる」


 すごく、明るい言葉。凛がくれたのに、


『私は、お母さんの言う通り、存在するだけでひとに迷惑をかけて不幸にするものだから』


 俺は、先ほど彼女が言った、とてもショックな言葉を思い出した。


「……強い呪い、かけられてるみたいだった。……不幸にするものだから、関わらないでって」


「本当に、クソだな。うちのクソ親父なんか、かわいいぐらいだ」


 無意識に口から出てきた言葉に、凛が怒りをあらわにした声を上げた。


「……父さんに、クソはつけるなよ」


「美月ちゃんほどじゃないにしろ、私も、呪いをかけられていたからね。あ、誤解がないように言っとくけど。呪いは、私の進路のことだ。なりたくない、教師になれっていうね」


 凛は、明るい笑みを浮かべ、はっきりと言ったけれど。


「……本当に、そうなの。……俺の世話…」


 俺は、聞きたかったことの途中で、凛に鼻をつままれた。


「私の~、ブラコンが重症なこと~、雫からいつも怒られてるでしょう~、私は~、家族の為に出来ることはする~、でも~、自分の進路と好きなものはゆずれなかったし~、否定されることは我慢ならなかった~」


 凛は、俺から手を離して。にひゃりと笑いながら、明るい気の抜けた声で言った。

 俺は、ずっと思っていたことの答えを聞けて。頬を緩め、思ったままを口にした。


「……凜は、格好いいよ。俺と違って、本当にすごい」


 俺は、また、額をぴんっとはじかれてしまい。


「優は~、まだ~、子供でしょうが~、まだ子供なのに~、家と私のことに巻き込まれて~、色々気を遣ってくれてすごいよ~、いつも~、私の面倒見てくれてありがとうね~」


 俺は、言われたことに恥ずかしさを感じ。下を向くと聞こえた。


「美月ちゃんのことも~、ちゃんと~、色々考えて行動してえらい~、私なら~、後先考えず~、あれと対決してるよ~」


「……そんなことしたら、迷惑でしかないだろ。凛は、ほんと、血の気が多すぎると思うよ」


「私~、ゆるふわかわいい見た目なのに~、パワー系だからね~」


「……アラサー女子なんだから、自重しなきゃダメだよ」


「してるから~、優の代わりに~、あれと対決してない~、雫にもキツく言われちゃってるからね~」


 顔を上げると、「へへっ」と明るく笑んだ顔が見え。俺は、凛と顔見合わせ頬を緩ませた。


「あ~、瑠奈ちゃん~、いちゃいちゃしてるから~、入りずらかったよね~」


「……いちゃいちゃとか、言わないでよ。幸田さん、気を遣わせたよね」


 リビングの扉の前に立っていた、幸田さんがぶんぶんと頭を振り。

 凛が「おいで~」と言うと、ちょこんと凛の隣に座った。


「瑠奈ちゃん~、偉かったね~、失敗したように見えても成功してるからね~」


 凛が、柔らかい笑みを向けて言うと。幸田さんは大きな目に水をため、凛に引き寄せられた。


「大丈夫だよ~、ふたりはよくやったよ~、あとは~、お姉ちゃんがなんとかしてあげるからね~」


 胸にうずめた幸田さんの頭をなでながら、俺に向いて言い。


 凛は、にやりと笑って、


「あれは、私が倒す。優は、美月ちゃんを奪うだけでいい」


 まるで、少年漫画に出てきそうな台詞を言った。


第8話 俺が完璧美少女の〇〇な事情を知った件 了

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