第6話 梅雨合宿で俺と完璧美少女が〇〇を見た件


    ※


「……ほ~ん、私のときと同じところに行くんだね~、梅雨合宿~、カップリング妄想がはかどって~、雫とふたりで盛り上がったな~」


「私は、もう、現実でBL妄想が出来ないんですけど。中学三年生のとき、合宿と修学旅行で、とてもはかどりました」


「……ナマモノより、小説のほうがはかどるけれど。……合宿での、非日常ハプニング。……そこからはじまるの、いい」


 六月も半ば、梅雨入りをして雨の日が続き。

 小雨が降る放課後、凛の部屋に彼女と幸田さんと向かい。四人でお茶を飲み、俺以外は盛り上がっている。


「美月ちゃん~、瑠奈ちゃん~、梅雨合宿には行くの~、おいしいネタをお土産に持ってきて欲しいな~」


「了解しました。眠る前に、ノートにまとめておいて、帰ってきたら渡しますね」


「……私は、行けないから。……由比さん、そのノート、私にも見せて欲しいな」


 来週は、うちの高校では『梅雨合宿』と呼ばれている、二泊三日の林間学校での合宿だ。


 卒業生である凜が、よこしまな土産を要求し。

 合宿に参加する由比さんは深く頷き、参加しない幸田さんはこくこくと頷いた。


「凛、ナマモノの取り扱いは注意しないといけないんだろう。由比さん、もしノートが誰かに見つかったら大変でしょ。幸田さん、現実は、妄想どおりの展開にはならないよ」


 俺が突っ込むと、凛は「はいはい~」と気の抜けた声を上げ。

 由比さんは「そうね」と真面目な顔で言い、幸田さんは「そうなの」と驚いた顔になった。


 俺は、大きく息を吐いてから、三人に言った。


「夕飯、ふたりも食べるでしょう。買い物行ってくるから、何がいいかな」


「優の~、手作りミートソース食べたい~、粉チーズ少なくなってるから買ってきて~、美月ちゃん~優と一緒に買い物行ってきてもらっていい~」


 凛が、俺をにやりとした顔で見ながら言い。

 彼女は、「分かりました」と真面目な顔で言った。


 ふたりで部屋を出て、厚い雲の下、マンションの外に出てから。


「……何か、いつも、付き合わせてごめんね。雨、降ってくるかもだから…」


「謝らないで。学食と同じ値段で、おいしいご飯を食べさせてもらってるんだから。買い物ぐらい、いくらでも行く」


 俺が、部屋に戻るよう言う前。彼女が、まっすぐに、俺を見て言った。


 着ている長そでのカッターシャツは、シワひとつなく真っ白。

 黒いまっすぐな髪の毛が胸まで落ちて、コントラストが綺麗だと思った。


 「米原君」と名前を呼ばれて、俺は我に返り。


「たまに、私をじっと見てることがあるけど。何か、おかしいところがあれば言って」


 見るたびに、綺麗なところを見つけてしまい。つい、見とれてしまっているだけ。


 そう、本当のことは言えず。

 俺は、「ごめん」と下を向き、「行こう」とスーパーに向けて歩き始めた。


「謝らないで。おかしなところがあれば、遠慮なく言って」


 少し距離をとり、隣を歩く彼女が言い。

 俺は、顔を上げて、誤解を解くために隣に向いた。


 彼女と、ぱちりと視線が合ってしまい。

 俺は、ゆらりと揺れている瞳が綺麗で、足を止め口を開くことが出来ず。


「そんな風に、私を見るの。どうして」


 立ち止まり、俺を、不思議そうな顔で見つめる。


「由比さんが、綺麗だからだよ」


 彼女に、俺は、本当のことを言ってしまっていた。


 気持ちが悪いだろうし、セクハラになるかも。そう思い、「ごめん」と言うと、彼女が歩き始めた。


 俺は、やっぱり、気分を害してしまったと思い。ちゃんと謝ろうと、背中を追っていき。


 距離をとって隣に並ぶと、とても小さく聞こえた。


「……米原君は、時々、恥ずかしい」


 うつむき加減で歩く彼女の表情は、長い髪の毛で隠れている。

 どんな感情からの言葉か分からず、俺は、「ごめん」ともう一度言った。


「……謝らないで。……恥ずかしいけど、嬉しい」


 最後、とても小さく言って、彼女はうつむいたまま歩き。

 俺は、彼女の長い髪の毛からのぞく、耳たぶがピンクなのに気づき。

 ふたりとも無言で、目を合わさずに買い物をすませ。

 

 凛の部屋に戻ると、最悪な事態になっていた。


「米、お姉さんの家に、突然お邪魔して申し訳ないな」


 玄関の隅、きちんと揃えられた、男子もののローファー。

 俺のものではなく、違和感を覚えながらリビングに入ると、ぴしりと背中を伸ばし正座をした辻堂が居た。


 俺は、とても驚き、彼女のほうを見た。


「由比さん、自分は、由比さんが米と学校外で関わっていることを誰にも言わない。品川にも言わない」


 固まっていた彼女は、少し瞳を大きくし。

 「お待たせ~」と気の抜けた声が後ろから聞こえ、振り向き、また驚くことになった。


「辻堂君~、優が~、机の上に忘れたスマホを持ってきてくれたんだよ~」


 そう言い、立ち尽くす俺と彼女の前に立った。


 薄く化粧をした顔で、ワンピースを着ている。とても久しぶりな、きちんとした姿の凛。

 凛は、俺たちに振り返り、ふにゃりと笑って言った。


「辻堂君が~、うちに来たのは~、いつかの~、美月ちゃんと一緒の理由~」


 凛は、俺と彼女に座るよう言い。向かいに座る辻堂は、俺にスマホを渡しながら言った。


「米、スマホを忘れ過ぎだ。由比さんも、渡すタイミングを見計らって、ここまで来てしまったのだろう」


 俺は、凛のほうに顔向け。ウィンクされて、口を開かず。


「そうそう~、優は~、しっかりしてるけど~、昔から抜けたところがあってね~、それで~、姉の私と幼なじみとよく遊んでたから~、女子と関わるのに躊躇がないんだよね~、美月ちゃんと瑠奈ちゃんのふたりを~、辻堂君が誤解したみたいに~、ふたまたかけてるわけじゃないんだよ~」


 凛が、辻堂に、にひゃりとした笑みを向けて言い。俺は、とても驚いた。


「米、少しでも、疑って申し訳なかった。女子とたわむれるゲームのし過ぎで、脳がおかしくなっているようだ」


「あ~、辻堂君は~、美少女ゲームが好きなんだね~、だから~、優が~、学校の近くの公園で~、ふたりと待ち合わせして~、ここに向かうの~、ゲームのイベントみたいに楽しんじゃったんだね~」


 凛が言ったことに、俺は口を開けず。

 辻堂は、「すまない」と頭を下げた。


「ゲームの世界では、ハーレムが基本で、男主人公は女子をはべらかす。現実世界で、米が、ゲームのままの生活を送っているのかと思い、少し興奮してあとをつけてしまった」


「まあね~、妄想してることが~、リアルで実現してたら~、興奮しちゃうよね~」


「ゲームと現実の区別がつかず、このマンションまであとをつけ。幸田さんに見つか

り、とても怖がらせてしまった。お姉さん、自分は反省する為、ゲームを一か月禁止にします」


「瑠奈ちゃん~、優のスマホが繋がらないから~、私が買ってきて欲しいものを伝える為に~、ふたりを追いかけてくれて~、辻堂君のこと見つけちゃって~、道端で倒れちゃったんだよ~」


 俺は、彼女と同じタイミングで「え」と言い。

 辻堂が、「すまなかった」と、また頭を下げた。


「辻堂君~、優が~、この部屋に入るまでを見ててよかったよ~、瑠奈ちゃん~、見たところ怪我はしてないし~、ここまで運んできてもらえて良かった~」

 俺は、買い物に行っている間に、とんでもないことが起きていたんだなと驚き。


「凛さん、幸田さんは大丈夫ですか」


 彼女が、真剣な顔を凛に向けて言い。やっぱり、友達想いなんだなと思った。


「大丈夫~、普通に寝てるだけ~、美月ちゃん~、買ってきたもの冷蔵庫に入れてくれる~」


 彼女は「分かりました」と言い、買い物袋を手にキッチンへと向かった。


「辻堂君~、見ての通り~、優と美月ちゃんには~、私の身の回りの世話を頼んでるんだ~、私は~、執筆業をしていて~、家事が出来ない忙しい身でね~」


 凛が、ふわふわと、本当だけどあやういことを言い。


「美月ちゃんと~、瑠奈ちゃんは~、私の書いたもののファンでね~、もちろん~、優も~」


「そうなんですね。お姉さんは、どんな本を書かれてるんですか」


 凛と辻堂の会話に、俺は全身の温度が下がり。

 彼女は、床に何かを落としてしまった。


「辻堂君~、『明日、君と桜色の夢を見る』って~、少し前に流行った~、青春小説と映画知ってる~」


「すみません。自分は、ミステリーとラノベしか読まないので」


「検索したらでてくるよ~、少女向けで~、十年前に出版されて~、三年前に映画化されて~、三十万部しか売れてないからね~、その作者が~、私で~、細々と執筆業してる~」


 辻堂はスマホを取り出して、ささっと画面を操り。

 「浅学で、すみません」と、凛のほうを見た。


「全然だよ~、年一くらいしか~、Ryn名義の本は出してないしね~」


「それでも、執筆で、二本の腕だけで生計を立てているんでしょう。素晴らしいことです」


「ありがと~、初めて書いた~、ネットで公開してた小説なんだけど~、書籍と映画になってくれて~、美月ちゃんと瑠奈ちゃんが~、ファンでいてくれたから~、ありがたいよ~」


 凛は、前半は本当のことを、後半は嘘を言い。俺は、ハラハラしながら、彼女のほうに顔を向けた。


 彼女は、冷蔵庫へ粉チーズを出し入れする動作をくり返していて。

 とても動揺しているのが分かったけれど、声をかけられず。


「お姉さん。それは、本当に、素晴らしいことですね。由比さんは、偶然ここに来て、幸せでしたね」


「美月ちゃんが~、図書室で知り合った~、瑠奈ちゃんに私の存在を教えて~、ふたりでこの部屋にきてくれて~、一時間も~、作品の感想を語ってくれたの~」


 嘘は言ってないけれど、綺麗に整えたエピソード。

 凛が、するすると語り、作家ではなく詐欺師に思えた。


「それは、とても素晴らしい。好きな作家さんに会うことが出来て、ふたりは、とても嬉しかったでしょうね」


「私も~、とても嬉しかったし~、ありがたかったよ~、読者さんがいないと~、私の商売は成り立たないからね~」


 辻堂は、「素晴らしいですね」と言い。

 凛が、「だからね~」と、少し低い声で続けた。


「私は、私の読者さんがとても大事で、守りたい。今日知ったことは、学校では言わないで欲しい」


 久しぶりに思える、はっきりした声。真面目な顔で、凛が上げ。


 辻堂が、「分かりました」と返したとき。


「……凛さん、……私、何か、悪夢を見て、……寝かせてもらうまでを、覚えてないんですけど」


 リビングの隣の扉が開き。少し髪の毛が乱れた、幸田さんが現れた。

 

 幸田さんは、元から大きな目をとても大きく開き。声をかける前に、辻堂が静かに前に立ち。


「申し訳なかった」と、深く腰を折った。


「償いとして、何かひとつ、何でも言うことを聞こう。卒業するまでに、考えておいてくれ」


 幸田さんは、かちんと固まったように見え。

 辻堂は、鞄の中からノートとペンをとりだし、ささっと連絡先を書いたページをちぎり。


「いつでも、連絡をしてきていい。迷惑をかけて、申し訳なかった」


 幸田さんの足元に、ちぎったページを置いたあと。俺と凛のほうに向き、「お邪魔しました」と言い。

 「では、失礼します」と、リビングを出て、部屋を出ていった。


「優~、さっきの辻堂君の言動~、おわび料として~、おいしくネタに使っていいよね~」


 凛が、にひゃりとした笑みを浮かべて、いつも通りの気の抜けた声で言い。

 呆気にとられていた俺は、自分の姉、凛は、改めてすごいなと。いい意味でも悪い意味でも思った。


   ※


「何で、この時期に合宿すんだよな。雨の中、山上りなんて。無駄に体力使うだけで、楽しくねえよ」


「品川、余計な口を叩くな。まだ、はじまったばかりだぞ。山上りといっても、コンクリートの道だ。無駄に体力を使わず、足を動かせ」


「辻堂、グチ吐きたいだけで、正論はいいから。俺は、部活やってっから、これぐらい全然平気なんだよ。辻堂みたいに、勉強しかしてない奴は辛いだろうけど」


 ふたりが立ち止まり、にらみ合いをはじめたので。俺は、ふたりの間に入って、口を開いた。


「……ふたりとも、合宿来てまで、やめなよ。山登りのあと、カレー大盛にしないよ」


 ふたりは、こくりと頷き合い。俺の前を、すたすたと歩きはじめ。

 大きく息を吐いたあと、透明のカッパを着けて歩く雨の山道を、滑らない様ついていった。


 梅雨合宿、一日目。

 凛に聞いていた通り、昼過ぎに山奥の施設に着いたあと、夕飯の時間までの山上りがはじまった。


 小雨が降る中の、コンクリートの山道。緩いけれど坂道が続き、女子に男子も、最初は浮かれていた顔がどんどん疲れていった。

 山上りは往復で二時間ほど、山頂の神社が折り返し地点。晴れていて平坦な道なら、楽しいハイキングだっただろう。


 凛は、合宿の初日に地獄を味合わせ、最終日を盛り上げる為と言っていた。

 最終日、凛は雫さんと部屋に戻りさっさと寝たらしい。


 俺は、どちらになるのだろうと、坂を上がっていると。


「米、幸田さんは、やはり参加していないんだな」


 辻堂が隣に並び、とても小さな声で言った。


「……うん。ほとんど知らない同級生との、二泊三日はきついからって」


「そうか。あと、三年あるし、修学旅行には来られたらいい」


 辻堂が前を向いて言い、俺は思ったままを言った。


「……辻堂。あれから、幸田さんのこと聞いてくるけど。何か、あるの」


 数日前、彼女と買い物から戻ると、凛の部屋に居た辻堂。


 俺が、教室の机の上に忘れた。スマホを渡す為、校門の外まで追ってきてくれ。

 辻堂は、彼女と幸田さん、三人で待ち合わせをしているのを目撃してしまった。


 その後、凛のマンションまであとをつけ、三人が部屋に入るの見届け。

 マンションの近くで、どうすればいいか迷っていたのを、幸田さんに見つかってしまった。


 幸田さんは、声をかけられて、気を失ってしまい。

 辻堂は幸田さんを凛の部屋まで届け、俺にスマホを届けてくれ、三人のことを口外しないと約束してくれた。


 あの日から、品川は何も知らないようすで、辻堂は約束を守ってくれいるけれど。

 俺に、こっそりと、幸田さんのことを聞いてくる様になった。


「勘違いをしないでくれ。俺は、幸田さんに、何か危害を与えようとは思っていない」


 そう、いつも通りの声で言い。辻堂は、かけている縁なし眼鏡を直してから。


「ただ、現実の女子に、産まれて初めて興味を持ったんだ。……幸田さんと、してみたいことがある」


 いつもは、とてもハキハキしているのに。最後、ごにょごにょと言い。

 辻堂は、こちらに顔を向けて、とても真剣な顔で続けた。


「幸田さんに。話をしてみたいと、伝えてくれないだろうか」


 俺は、とても驚き、少し考えてから言った。


「……伝えてはみるけど。……人が、特に同世代の男子が、苦手って言ってたから」


 「そうだろうな」と、辻堂は、少し曇った顔を前に向けて続けた。


「倒れた様子に、教室に来ないことから、察しはついていた。相手のことを想えば、自分の希望を伝えることも、はばかれることだろう」


 「でも」と、辻堂は前をじっと見据えて、はっきりと言った。


「気持ちを、抑えることは出来ない。伝えるだけで、いい」


「……辻堂。幸田さんのこと、好きなの」


 思ったままを言うと、辻堂が止まり。

 俺も止まると、ぐるりと、勢いよく顔が向いて驚いた。


「……わっ、わっ、わっ、わからん。……こっ、こっ、こっ、こんなの、初めてだから」


 いつも落ちついていて、年相応でない、流ちょうで丁寧な言葉を使う。

 辻堂が、顔を真っ赤にし、明らかに動揺している口調で言った。


 俺は、悪いけれど、小さく吹き出してしまい。


「ちゃんと、伝えとく。辻堂が、怖くなくて、すごい真面目でいい奴ってことも」


 辻堂は、「そうか」と、ほっとした顔になり。俺は、自分の頬が緩むのが分かり。


「もし、話が出来ることがあれば。幸田さんの、興味があることを話したいんだが。米、知っていたら、教えてくれないか」


 知っているけれど、答えることが出来ず。


「おーい、何、ふたりでイチャついてんだ。俺も、入れろや」


 前を歩いていた品川が、向かいから俺たちを両腕に抱き。

 助かったなと、ほっと息を吐いて、後ろから感じた視線に向いた。


 後ろには、透明なカッパを着けたジャージ姿の彼女が居た。


 ぱちりと目が合ったあと、彼女は下を向き。俺たち三人の横を通り、すたすたと坂を上がっていった。


「由比って、こんなときでも、いつもと変わらないよな。なんか、透明な壁背負って、ひとり歩いてるみてえ」


 品川が俺たちから離れて、彼女の背中を見つめ言い。


「……品川って、由比さんのことよく見てるよね」


 口から、思ったままがもれ。品川と辻堂が、生温かい視線を向けてきた。


「米ちゃん、安心しろよ。俺、由比よりも、米ちゃんをよく見てるから」


「米、安心するといい。品川は、他の人間より動体視力が発達していて、よく見ることが出来るだけだ。そして、毎朝、電車で見かける、年上の女性に絶賛片想い中だ。米に言わなかったのは、米が焼きもちを焼くと本気で思っているからだ」


 品川が「言うなっていっただろう」と、辻堂につかみかかり。

 俺は、ふたりをなんとかなだめて、坂を上がり折り返し地点に着いた。


 山の中、高台にある神社。

 眼下には緑と街が広がっているけれど、厚い雲の下で霞がかかり、お世辞にもよい景色とは言えず。

 それでも、生徒達はそれぞれ盛り上がっていて、スマホで記念写真を撮っている。

 

 品川も皆のように盛り上がり、辻堂とともに付き合わされ。

 ふたりがトイレに行って、俺はひとり。神社近くの広場で待ち、隅に一人立つ姿を見つけた。


 小雨が止んだからだろう、カッパのフードをとった。

 黒く長い髪の毛を、風になびかす姿。

 坂を上がってきた疲れは見えず。辺りの濡れた緑よりも、涼しい顔をした彼女は綺麗だなと思った。


 彼女とは隣の席だけれど、学校内では話しかけること、話すことは出来ない。


 放課後、学校から少し離れた小さな公園で幸田さんとも待ち合わせをし、三人で凛の部屋に向かい。

 俺以外の三人で盛り上がる楽しそうな姿を見られて、買い物のときにぽつぽつと話しが出来て。

 一緒にキッチンに立って料理をし、夕飯をおいしそうに食べる姿を見ることが出来る。


 ここ二週間、俺は彼女と二日おきに凛の部屋で過ごし、短いメッセージのやりとりを凛の家に向かう前日にしている。


 俺は、学校内では、つい話しかけたりしないように気をつけている。


 なのに、気が付くと、彼女のそばに立っていて。

 瞳を大きくした顔に、見つめられていた。


「やっぱり、山の中だから。空気がおいしいね」


 彼女は、俺に話しかけてくれ。目を細めた顔に、胸がぎゅっとなり。


 口を開こうとしたとき、


「由比さん。こんなところに居たの。探したよ」


 明るい、いかにも女子高生という声が聞こえ。

 彼女が固い表情になり、俺は声のほうに顔を向けた。


「米原君。品川君と辻堂君が、探してたよ」


 そう言い、にっこりと、同じクラスの早川(はやかわ)さんは明るい笑みを浮かべた。

 

 俺は、「ありがとう」と言い。早川さんは、「ねえ」と、俺を上から下まで見て言った。


「もしかして。由比さんに、告白しようとしてたの。邪魔したかな」


 俺は、少しして、言われた意味が分かり。


「早川さん。米原君は、保健委員だから、私の体調を聞いてくれてただけ。何か、用」


 彼女は早川さんをまっすぐに見て、壁ドンのときの声を上げた。


「由比さん、米原君、変な発言しちゃってごめんね。由比さん、飯盒炊飯一緒のグループでしょ。分担とか決めたいから、みんなで施設まで戻りたいなって」


 早川さんが明るい声と笑みで言い。

 彼女が、いつもと違う様子なのには気づいてないようで、俺はほっと息を吐いた。


「早川さん。私、言われた通りに、担当をするから。ひとりで戻る」


「そっか、分かった。私もだけど、みんな、由比さんと話したがってたんだけど」


「私、普通の女子より歩くのが早いから、迷惑になると思う」


 「ごめんなさい」と、由比さんは軽く頭を下げ。


「由比さん。そういう風に、ずっといられると思わないでね」


 早川さんが、明るい笑みと声で言い。彼女は、瞳を細めた顔を上げ、早川さんの横を過ぎていった。


「ねえ。最近、由比さんと仲がいいの。どうして」


 俺は、いつの間にか、正面に立っていた早川さんに気付き。

 視線が同じで、俺に、彼女と身長が同じだと分かり。

 言われたことに、口を開けなかった。


「私には、仲が良いの分かるけど。他のひとは気づいてないから、安心してね」


 早川さんが、にっこり笑って言い。俺は、思ったままを言った。


「早川さん。由比さんに、迷惑をかけるようなことはしないで」


 自分でも驚くぐらい、とても固い声が出て。

 早川さんが、たれ目を大きく開き、細めてから言った。


「迷惑なんて、かけないよ。私は、由比さんと、仲良くなりたいだけ」


 早川さん、早川真央(まお)さんは、うちのクラスで男子から一番人気のある女子だ。


 品川が、たぬき顔と教えてくれた。

 アイドルのようなかわいらしい顔で、いつも明るく笑っていて、男子だけでなく女子からも人気者。

 クラスで一番盛り上がっているグループに居る。


 早川さんは、彼女とは正反対のタイプで、クラスで必要以上に話しているところは見たことがない。


「米原君、顔に出てるよ。うさん臭いこと言ってるなって、思ってるでしょ」


 そこまでは思っていないけれど、どうしてとは思った。


 俺は、肯定も否定も出来ず。早川さんは、ふふっと笑い、背中を向けてから言った。


「私も、米原君と同じ、由比さんをずっと見てたの。だから、分かるよ」


 俺は、気づかなかったことに、とても驚き。


「米原君。私、由比さんに、迷惑はかけない。けど、今のままで、いられると思わないでね」


 続いた言葉に、ひゅっと背中が冷たくなり。口を開けないまま、早川さんは広場から居なくなり。


 ひとり残された俺は、降ってきた細い雨のせいでなく、温度が下がっているのを感じた。


   ※


「米ちゃん、ソーセージ残すなら、もらっていいか。顔色悪いけど、よく眠れなかったんか」


「品川、米が返事をする前に、口に入れるな。お前のいびきがうるさくて、眠れなかったんだろうが」


「はあ? 辻堂のいびきのほうが、うるさかったけど」


「嘘を吐くな。一番に眠ったお前のいびき、米軍が使っている耳栓をしていても、聞こえてきていたぞ」


 梅雨合宿、二日目。

 施設の食堂で朝食をとり、俺の向かいでは品川と辻堂が元気に喧嘩をはじめたが。

 昨晩ほとんど眠れなかったので、仲裁する元気はなかった。


「米ちゃん、気分が悪かったら、部屋で休んどけよ。お前のぶんも、午後の球技大会、俺が活躍するからな」


「先生には、自分から話をしておこう。品川のいびきのせいで、眠れなかったとな」


「辻堂、お前、同じクラスで命びろいしたな。違うクラスなら、ボールが、どこにあってたろうな」


「品川、午前の課題をきちんとこなさいないと、午後の球技大会には出られないと知っているか。お前の苦手な物理の課題を、教えてやろうと思ったが。やめておこうな」


 向かいのふたりが仲良く喧嘩をしている、その向こう。

 見えた景色に、手の中の牛乳パックを落としそうになった。

 

 長机の端で、ひとり食事をしていた彼女。

 早川さんに話しかけられ、早川さんのグループに囲まれ。あっという間に、輪の中心にされてしまった。


「早川、合宿来てから、由比にべったりだな。なんか、微妙な組み合わせで、何だかなあ」


「単に、人気があるものを、取り込もうとしているだけに見えるが。米、由比さんは、大丈夫なのか」


 品川と辻堂は、彼女のほうに視線を向けたあと。俺に向き、明るくない顔で言った。


 俺は、牛乳を飲み干してから、


「……ああいうの。無視することも出来ないし、どうしたらいいんだろうね」


 つい、一晩悩んだことを言ってしまった。


「合宿の間は、やり過ごすしかないわな。ああいうのって、ほんと、面倒くせえよな」


「品川の言う通りだな。学校生活がはじまれば、由比さんは、上手く関わらないよう出来るだろう」


 ふたりが、真面目な顔で、ちゃんとした答えをくれ。

 俺は、頬が緩み、ふたりが友達になってくれて良かったと思った。


 俺は、少しすっきりして朝食を終え。午前中の自習はきちんと終わらせて、午後の球技大会は不参加の許可をとった。


 山の中にあるからだろう、緑の匂いが強く漂う。広い宿泊施設の中は生徒が出払い、しんと静かで。

 外は土砂降りの雨で、水の音を聞きながら。

 俺は、固い廊下を歩き、ふわふわとした頭で図書室に向かった。


 今、体育館では歓声が飛び交い、品川がはりきっているだろう。

 俺は、真逆だろう、しんと静かな図書館に入り。ゆっくり扉を閉めた。


 気分が悪いと言えば、球技大会の不参加が認められる。施設の図書室は雰囲気がいいから、サボるにはうってつけ。


 凛の言っていた通りだと思い。薄く白い自然光に照らされた、少し薄暗い図書室を進んだ。

 

 カウンターの中、室内にひとの姿は見えず。

 雨が降っているからか、本の匂いが強く香り。高く横幅のある本棚が並ぶ通りを、夢の中に居るようだなと思いながら進み。


 長机と椅子が並ぶ場所で、夢みたいに、綺麗な光景があった。


 長机の端、窓際に座る。湿った、薄い光に照らされた彼女。


 白いティシャツと、ジャージのパンツ姿。

 体育の時間とは違い、黒いまっすぐな髪の毛のままだからか。制服姿のときと同じ、凛とした雰囲気をまとっている。


 「米原君」と、俺に気付いた彼女が言い。ふわりと笑んでくれ。

 俺は、口を開けず、彼女に見とれてしまい。


 両手にある花柄のカバーがかかった本に、現実へ戻された。


「……由比さん。合宿にまで、凛の本持ってきたの」


 そばに近づき、小さな声で言うと。彼女は、少し大きくした瞳で言った。


「米原君。何で、分かるの。ここに居るのも、分かってたの」


 彼女がとても小さく言い。ゆらゆらと、瞳を揺らした。

 俺は、彼女の瞳が綺麗過ぎて、視線を床に向けて言った。


「……ここに居るのは、分からなかったけど。凛の話を聞いてたから、ここに来たのかな」


「その通り。凛さんに、良い場所と聞いていたから。来てみたくて」


 俺は、「大丈夫?」と、顔を上げて聞くと。

 彼女は閉じた本を見つめていて、静かな声で言った。


「あと、一日。合宿はあるから」


 体調に、早川さんのことは「大丈夫」なのか。

 俺は、彼女の答えから分からなかったけれど、質問を続けることが出来ず。


「凛さんと幸田さんに、ノートには残せないけれど、脳に記憶しておいて報告をしようと思う。あと、丸一日あるし、今日の夜はメインイベントがあるから。男子生徒の動向には、目を光らせておこうと思う。ふたりに、おいしい話をお土産に持って帰ること、大丈夫だと思う」


 彼女は、本を見つめ、真剣な横顔で言い。

 俺は、少しして、小さく笑い声を上げてしまった。


 彼女の関心は、凛と幸田さんに聞かせる為の、「おいしい」梅雨合宿中のリアルBL話。

 それが分かり、


「……良かった。早川さんのこと、大丈夫かなって思ってたから」


 俺は、ぽろりと、言わなくてもいいだろうことをもらしてしまった。


「米原君。早川さんに、何かされたの」


 俺は、昨日、早川さんに言われたことを思い返し。


『ねえ。最近、由比さんと仲がいいの。どうして』


 彼女には、言えないと思い。

 口を開けないでいると、彼女が俺に顔を向けて言った。


「米原君。早川さんが、米原君にしたこと。教えて。私は、実害を受けていないけれど。米原君は、何かされたんでしょう」


 彼女は表情のない顔で、じっと俺を見つめて言い。

 俺は、驚き、思っていたままを言った。


「……早川さん。合宿に来てから、由比さんに絡んでるけど。由比さんは、何も思ってないの」


 昨日、早川さんは、忠告ともとれることを俺に言い。

 その後、夕飯の飯盒炊飯のとき、同じグループの彼女にとても絡んでいた。


 学校ではなかった、早川さんの彼女への言動。早川さんと彼女は、同じグループで同じ部屋ということもあり。俺は、勝手に彼女を心配していた。


 何か出来ないか、どうしたらいいか。一晩中考え。


「何も思わない。米原君、質問に答えて」


 答えは出ずに、今、俺の心配は不要だったことが分かった。


 彼女は、まっすぐな瞳を俺に向け、はっきりと言い。

 俺は、彼女に言われた言葉を思い返した。


『私に、何かされるからじゃなくて。米原君に、何かされると思ったら。抑えることが出来なかったの』


 彼女は、俺たちを図書室に呼び出した幸田さんに、必要以上に攻撃的だった。

 理由は、俺の為だった。


『米原君。私、由比さんに、迷惑はかけない。けど、今のままで、いられると思わないでね』


 昨日、早川さんに言われたこと。彼女に伝えるのは、絶対にダメだと思い。


「……俺は、何も言われてないよ。由比さんと、仲良くなりたいって」


 なんとか、顔を歪めて。彼女へ、少しだけ嘘を吐いた。


「良かった。私のことで、また、迷惑をかけていたら。私が、早川さんに、きちんと…」

 

 俺は、「大丈夫」だからと、彼女の言葉をさえぎり。

 彼女は、「そう」と首を傾げ。

 「座っていい」と誤魔化す様に言い。「どうぞ」と言われ、彼女の隣に座った。


「……凛の本。誰かに見られたら、ダメなんじゃない」


 色々あるけれど、一番気になることを聞き。彼女に本を伸ばされて、受け取り。


 「壁ドンしないから」と言われて、花柄のカバーがかかった文庫を開いた。


【『明日、君と桜色の夢を見る』Ryn】


 凛が初めて書いた小説。高校二年生のときにネットに上げると、三か月ほどで出版社から連絡がきて、書籍化になり。三年前に映画化され、それから一年に一冊はRyn名義で書いている。


「凛さんが、辻堂君対策に読んでおいたほうがいいからって、くれたの。私、凛さんの別名義のものを読んだことがなくて、気が付かなくて、ファン失格だと思う」


「……よねはら☆太郎と同じ著者だってこと、公言してないから。気付けないのは当たり前だと思う。それに、恋愛もの興味ないでしょ。全然、内容も違うし」


「違うことは、ない。BL学園ものとノーマル学園ものでカテゴリは違うけれど、テーマは変らない。ボーイミーツボーイが、ボーイミーツガールなだけ。ガールをボーイに脳内変換すれば、凛さん、はらよね☆太郎先生が描く物語のまま」


 彼女がはっきりと言い。本から彼女に顔を向けると、真剣な顔で俺を見つめていた。


「ふたりで色々なことを乗り越えて、お互いを想い合って、相手の為に何が出来るか考えて、ずっと一緒に居られるように努力をする。私の、憧れる関係」


 俺は、彼女の口から「憧れ」という言葉出てきて、驚き。


「……由比さんは、そういう関係に、誰かとなりたいと思うんだ」


 思ったままを言うと、彼女は瞳を少し大きくした。


「そんなこと、考えたことなかった。憧れる関係を、誰かと築けること。想像も出来ないし、一生無理だと思う」


 彼女は、いつもと変わらない声色で言い。俺は、なぜか、胸がぎゅっとした。


「……そんなの、分かんないでしょ。俺たち、若いんだし」


 反論の様な言葉を返すと、彼女は俺をじっと見つめたまま言った。


「私は、高校を卒業したら、お母さんが決めたひとと婚約をして稼業を継ぐの。婚約するひとは、うちの稼業を援助してくれるひと。だから、無理だと思う」


 俺は、彼女が言ったことに、頭が真っ白になり。


「女でもある程度の大学を出ていないと、稼業を継いでから馬鹿にされるらしいから。私は、エスカレーター式でうちの大学に通うの。十代で婚約するほうが、相手の条件がよくなるから、婚約は済ませてから」


 彼女が続けた言葉に、なぜか、かあっと全身が熱くなった。


「……どうして。……ひどいこと、普通に話すの」


 つい、思ったままがもれてしまい。


「どうしてって、問われる意味が。私には、分からない。私は、お母さんが決めた、私の将来を話しただけ。米原君には、関係ない。私のことを話しただけ」


 彼女は、いつも通りの声色で答え。俺は、席を立ち、背中を向けた。


「……ごめん。勝手なこと言って、……俺は、関係ないのに」


 今、とても苛立っている理由を、最後言ってしまい。

 そのまま、早足で図書室をあとにした。

 

 固い廊下を早足で歩き、


『ごめんね。私、本当は、完璧なお姉ちゃんじゃなかったんだ。これからは、お姉ちゃんじゃなくて、凛って呼んで。私が、家を出て行くこと。優は、何も関係ないから』


 八年前、家を出て行くとき。

 笑みを浮かべ、とても悲しいことを言った。凛の姿を思い返してしまった。


 足を止めると、雨の音が聞こえはじめ。どくどくと、胸が嫌に鳴っているのが分かり。


 俺は、振り返り、図書室まで小走りで戻った。

 

 扉を開き、長机まで向かうと、彼女の姿はなく。

 残されていた、花柄のカバーがかかった本を手にとった。


「ごめん」と、彼女ではなく本に言っても、当たり前に返事はなく。

 俺は、八年前から、何も成長していないのが分かった。


    ※


 梅雨合宿の二日目の夜は、必ず、雨が止む。

 

 凛から聞いていた通り、昼間、土砂降りだった雨は止んで。


「米ちゃん、のめのめ! 今日は、朝まで寝かさないからな!」


「品川、米に、ジュースで変な絡みをするのはやめろ。全く、火を前にすると、粗野な人間は野生が目覚めてしまうものなんだな」


 施設の広い運動場、真ん中では大きく火がたかれ。囲んでいる生徒たちは盛り上がり。

 品川はテンションが高く、辻堂はいつもより表情が柔らかい。


「米ちゃん、もう少ししたら、フォークダンスやるらしい! 俺、片思い中だけど、踊っていいよな!!」


「品川、米は、嫉妬をしないから好きにしろ。本当に、球技大会から、面倒臭いやつだ。うちの犬のほうが、よっぽど大人しい」


 ふたりに心配をかけないよう、俺は、顔を歪めることを欠かさず。

 頭の中は、彼女のことばかりだった。

 

 夕飯のときに食堂で、今も運動場に姿は見えず。

 どんな文面を送ろうか迷っているまま、メッセージは送れていないままで。

 ふたりがフォークダンスの輪に入って、ひとり運動場の隅に残り。


 スマホを取り出したとき。


「米原君。由比さん、元気ないんだけど。何かあったの」


 後ろから声をかけられ、両肩がびくりと揺れた。

 振り向くより先、俺の隣に座り。早川さんは、にこりと笑んだ。


「ふたり、球技大会出てなかったから。ふたりきりで、何かあったのかなって」


 俺は、早川さんの明るい笑みと声に、全身が冷たくなり。


「私、米原君が、由比さんに何かしてたら。許せないな」


 早川さんが続けた言葉に、「ごめん」と小さく言ってしまった。


「米原君。本当に、馬鹿正直だよね」


 早川さんは、笑みを消して言い。俺がもう一度謝る前に、立ち上がり背中を向けた。


「屋上に、ひとりで、一時間はいると思う。約束してたんじゃないの」


 俺が口を開く前。早川さんがこちらに振り返り、初めて見る顔で続けた。


「何があったか知らないけど。何かあって、約束までやぶるなんて。由比さんを傷つけるなんて、許さないから」


 垂れている目をとても細め、俺をじっとにらみ。早川さんは、とても低い声で言い、続けた。


「さっさと行って。ちゃんと、仲直りしてきて」


 俺は、立ち上がり、「ありがとう」と言い。

 早川さんに背中を向け、宿泊施設へ走った。


 昇降口で靴を脱ぎ、上履きに履き替えず。誰も居ない薄暗い廊下を走って、階段を駆け上がり。

 

 俺は、彼女との、色んなやりとりを思い返した。


『私、米原君で、BL妄想が出来ないの。責任をとって欲しいんだけど』


 壁ドンをされて、意味の分からないことを言われた。


『米原君、おいしい。あったかいね』


 俺の作ったものを食べて、かわいい笑みで言ってくれた。


『米原君。私と居るの、嫌じゃないの』


 俺をじっと見つめて、静かに聞いてきた。


『米原君。迷惑ばかりかける、私と、まだ、関わってくれるの』


 俺を子供みたいな顔で見つめて、不安そうに聞いてきた。


 俺が、彼女のことを知りたいと言ったとき。


『分からないけど。……嬉しい』


 そう、彼女は答えてくれ。

 今日、俺の知らなかった、彼女のことを教えてくれたのに。


 俺は、自分の気持ちでいっぱいになってしまった。


 強い自己嫌悪が全身を包んでいるけれど、足を止めず。はあはあ言いながら、屋上まで着いた。


 施設の屋上は、鍵がかかっていない。

 凛が教えてくれた通りで、重い扉を押すとギイっと音を立てて開いた。


 俺は、暗い屋上に出て、彼女の姿を探した。


 雨は止んでいるけれど、湿った冷たい空気が全身を包み。熱い温度は下がることなく、広い屋上を早足で進み首をぐるぐると回した。


 くまなく探したけれど、姿を見つけることが出来ず。

 もう一周して、俺は歩みを止めた。


「……小説の、世界じゃない。……現実は、うまくいかないよね」


 思ったままを言い、俺は、その場にへたりこんだ。

 息は整ってきたけれど、胸がとても苦しい。


「……どうしよう。……もう、教えてくれないかな」


 自分でも分かるぐらい、とても情けない声がもれ。

 涙が出そうになって、上を向いて耐えた。


「……もう、関わってくれないかな。……嫌われたかな」


 思ったままが口からもれて、涙が我慢出来なくなったとき。


「米原君。何か、あったの。誰かに、何かされたのなら、言って」


 後ろから、静かな声が聞こえ。

 俺は、幻聴だと思ったけれど、涙が止まった。


「米原君。私が、何とかするから。泣かせた相手の名前、言って」


 俺に壁ドンをしたとき、幸田さんを詰めているときと同じ声。

 俺は、願望からの幻聴だと思い、おかしくなって小さく笑った。


「米原君。私、何か、おかしいことを言ったの。図書室でも、何か、おかしいことを言ったの」


 俺は、後ろに気配を感じるけれど、振り返らず。


 昨日一晩眠れず、彼女のことばかり考えているから、自分に都合のいい幻聴が聞こえるのだと思い。


「……由比さんは、おかしいことなんて言ってない。……図書室で、俺は、勝手に腹が立ったんだ」


 俺は、自分を自分で責めながら言い。

 隣に座った気配を感じたけれど、床に顔を向けたまま続けた。


「由比さんを、知りたい、教えて欲しいって言ったくせに。俺は、腹が立ったんだ」


 「最低だ」と、本当のことを言い。

 腹が立った理由を考えていると、隣からとても小さく聞こえた。


「米原君。もう、私のこと、嫌いなの」


 俺は、ゆっくり顔を上げ、隣に向いた。


 暗い、宙があるはずだったのに。


「私のこと、嫌いなの」


 もう一度、かすれた声を上げた。

 こちらをじっと、揺れる瞳で見つめる。

 

 彼女が、俺の隣に、不安そうな顔でいた。

 

 俺は、自分の都合のいい妄想ではと思い。

 ゆっくり腕を伸ばして、彼女の頬に触れた。

 

 指先から、温かさと柔らかさを感じ。手を離したあと。


「もう、好きじゃないの」


 彼女が、顔を歪めて言い。もう片方の腕を伸ばしたとき。


 どおんっと、大きな音が聞こえ。空を向くと、黒い空に光の花が咲いていた。


「凜さん、花火が上がるとは言ってなかった。私、花火、誰かと一緒に見られるの、夢だった」


 俺は、宙で止めた、彼女の身体を抱こうとしてしまった腕を下げ。

 隣を向くと、彼女はこちらを向いていた。


「ありがとう。無理だと思ってた。夢、叶ったよ」


 そう言い、泣きそうにも見える、とても綺麗な笑みを浮かべ。

 彼女は「ごめんなさい」と続けた。


「米原君。今まで、迷惑かけて…」


 「由比さん」と、俺は、聞きたくない彼女の言葉をさえぎり。


「俺、由比さんのこと、嫌いになんかなってない。俺のほうこそ、ごめんなさい」


 はっきり言ったあと、頭を下げ。ゆっくり上げると、彼女の瞳を大きくした顔が見えた。


「誤解をさせて、ごめん。俺が、腹が立ったのは、嫌いになったからじゃなくて」


 俺をじっと見つめ、固まっている彼女へ。今、分かった理由を、はっきり言った。


「由比さんが、これからを、あきらめてるのが。俺が、関係ないのが、悲しくなったから」


 彼女へ、自分勝手な理由を言い。俺のほうこそ、嫌われてしまうだろうと分かった。


「由比さんの事情を、よく分かってなくて。勝手に、悲しくなって、腹が立った」


 嫌われてしまうのに。俺は、思ったままを、彼女から目をそらさずに続けた。


「また、俺は、関係なく何も出来ないまま。終わるんだと思った」


 喉につまったものを吐き出す様に、言葉を伝えると。彼女が「また」と小さく言い。


 俺は、すうっと大きく息を吸って、


「八年前、俺の家族は、壊れたんだ。俺は、何も出来ないまま関係なく、終わった。家族をずっと支えていた、凛が、家を出ていくのを。俺は、見てることしか出来なかった」


 誰にも言ってなかったことを、初めて言葉にし。俺は、口を開かない彼女へ、ひとりごとの様に続けた。


「俺が、小学校に上がる前、お母さんの病気が分かった。入退院をくり返すようになって、お金がたくさんかかる様になった。お父さんは教師をやめて、長距離トラックに乗るようになって、家に両親がいなくなった。凛が、俺の世話と、家のことをしてくれる様になった。凛は、完璧で、両親と俺は気づけなかった。凛に、完璧な娘と姉以外の、本当の姿があったこと」


 思い返しながら話したあと、大きく息を吸い。後ろめたさから、視線をそらしたくなったけれど。

 彼女のゆらゆらと揺れている瞳を見つめ、続けた。


「凜は、成績上位を保って家のことや俺の世話をしながら、小説を書いてた。高二のときに本が出て、高三のときにBL小説の本を出して、大学一年のときには人気BL小説家になってた。凛は、家族にずっと言わずに、アニメ化が決まったときに告白した。お金をたくさん稼いだから、お父さんに渡すから、教師に戻って欲しいと言った」


 俺は、話の途中で口を閉じてしまい。視線を落として、口を開けないでいると。

 床に置いていた手に、温かさと柔らかさが重なった。


 俺は、彼女の手と自分の手が重なっているのを見つめ、続けた。


「お父さんは、凛が言ったこととBL小説を書いてることに、もの凄く怒った。お父さんは、凛に教師になって欲しかったから。お父さんは、BL小説を書くのを止めるように言って、隠しごとをしていたことを謝るよう言った。凛は、謝らずに、お父さんにつかみかかって、ふたりは叫び合って、家の中が無茶苦茶になった。俺は、何も出来ずに、震えて見てた」


 彼女が、俺の手に力を入れ。俺は、ゆっくり顔を上げて、なんとか歪めた。


「凛は、お金を置いて家を出て、大学を辞めて作家になった。お母さんは、お金がかかる治療を続けるしかなくて、凛はずっと仕送りをしてくれてる。お父さんは、教師に戻っていなくて、凛のことを一切言わない。八年前、うちの家族は壊れて、俺は何も出来なかった。だから、俺は、凛に出来ることをしようと思ってる」


 彼女は、じっと、俺のことを揺れる瞳で見てくれている。


 俺は、八年前から、誰にも言わなかったことを話し終え。すっきりした様な、寂しい気持ちになり。


 どおんっと、また大きな音が聞こえて。空に向かずに、彼女の手に力を入れた。


 彼女は、俺に向いていて、空の花に照らされキラキラしている。


 とても綺麗な彼女を、とても近くで見られて、感じることが出来ている。

 今感じる、とても静かで、すごく安心が出来る時間。ずっと続けばいいのにと思ったとき。


「米原君。私、男子が苦手で嫌いなの」


 彼女が、静かに言い。手を離す前。


「BLを好きになっても、現実の男子は、苦手で嫌いなままだった。妄想することで、同じ教室に居ることが出来た。中学と高校は女子校が良いと言ってみたけど、稼業は男性の機嫌をとることが大事なんだから、甘えたことを言うなって言われた」


 彼女は、感情が分からない表情で言い。少しして、「でもね」と続けた。


「米原君には、思わない。隣の席になってから、ずっと、思わない。男子に好かれること、迷惑でしかなかったのに。米原君には、嫌われたくないって思う」


 俺は、彼女に言われたことに、とくとくと胸が高鳴っていくのを感じる。


「今日、図書室で話したこと、初めて誰かに話した。お母さんから、お母さん以外誰にも、本心を話さないよう言われてるのに。私は、米原君と居ると、お母さんの言いつけを守れない」


 「どうして」と、彼女は、自分に問うように言い。


「……俺も、初めて、家のこと話したよ。由比さんに、話したいと思ったから」


 俺が、自分でも不思議に思うことを言うと、彼女は「どうして」と言った。


「……由比さんのこと、教えてもらったからかな」


「腹が立った、楽しくない話をして。ごめんなさ…」


「今は、嬉しいと思うよ。だって、俺しか、由比さんのこと知らないんだから」


 俺は、謝罪をさえぎって、はっきりと言い。彼女が瞳を少し大きくして、俺が謝る前。


「私、米原君しか、私のこと知らないの。嬉しい」


 両目をとても細めて、ふふっと、彼女は小さく笑った。


 俺は、すぐ近くにある表情が、とてもかわいいと思い。無意識に伸ばした指先で、彼女の頬に触れ先ほどより熱さを感じた。


「米原君には、触れられても大丈夫なの。どうしてかな」


 彼女は、くしゃりと、子供みたいな笑みを見せてくれ。


 胸が苦しくなるぐらいしめつけられ、気が付くと、瞳を大きくした彼女にとても顔を近づけていた。


「米原君は、私に、触れたいの」


 俺は、返事の代わりに、両目を閉じた顔に顔を近づけたとき。


「米ちゃん! 大丈夫か! 助けに来てやったぞ!!」


「米から離れろ、幽霊」


 突然、背にある扉が開かれて、屋上に品川と辻堂が現れた。


 俺は、とても驚き。

 彼女に両腕で思いきり突き飛ばされ、後ろにふっとんだ。


「あっ、おい! 幽霊、逃げんな! 米ちゃん、大丈夫か!」


 俺を突き飛ばした、彼女は脱兎のごとく屋上から消え。

 品川は追わず、俺を起こしてくれて良かったと思った。


「姿が見えず、スマホの反応がなく、辺りの人間に聞き込みをしてここに来たが。もしかして、邪魔をしたか」


 辻堂が言ったことに、背中が冷たくなり。

 品川が「何の話だよ」と言い、背中に冷たい汗がつたった。


「この合宿所にはな、女子の幽霊が居るらしい。その幽霊は、とても美しく、いつもは鍵がかかっている屋上で花火を見せてくれるらしい。幽霊が気に入った男子に限るがな」


「まじかよ! 米ちゃん、詳しく、話聞かせてくれよ!!」


「品川、ダメだ。幽霊に花火を見せてもらった男子が、詳細を誰かに語ると、呪われてしまうんだ。幽霊は、まだ近くで様子を伺っているかもしれない、見てこい」


 「分かった!」と品川は屋上から出ていき、辻堂に手をとられて立ち上がり。


「品川には、ほっとけと言ったのだが、探して見つけるとうるさくてな。早川さんに、屋上に女子とふたり向かったと言われて、とっさに、幽霊の話をしてみた」


 俺は、辻堂に「ありがとう」と言い。「助かった」と、心の底から言った。


「米が女子と一緒なんて、由比さんしか居ないだろう。俺は、幸田さんに約束をした日から、ふたりを応援している」


 辻堂が、生温かい視線で言い。俺は、恥ずかしくなって、床に視線を向ける前。


「米、空、綺麗だぞ。降ってきそうだ」


 辻堂に言われ、上を向き。雲が晴れたのか、満天というのがぴったりな星空に声が出た。


「今、一緒に居るの、幸田さんだったら良かったのにね」


「……なっ、そっ、なっ、そっ、そんなこと。……そうだ、スマホで写真をとって、送れば……番号、知らなかったか……では、目に焼き付けて、話が出来たときに語ろう」


 上を向いたまま、辻堂はぶつぶつと言い。俺は、緩んだ頬で、ふふっと小さく笑い。


 今見ているたくさんの星よりも、彼女は綺麗だったと思った。


第6話 梅雨合宿で俺と完璧美少女が〇〇を見た件 了

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