第5話 新たな〇〇好きが現れて完璧美少女が楽しそうな件


   ※


「……話は、分かったわ。幸田さん。幸田瑠奈さん。あなたは、『ドキメキ☆男子学園シリーズ』では、夏休みエピソードの巻が至高というわけね。そうね、夏休みという長い休みの中で、ふたりは寮から実家に戻り、学園で会えなくなる。リン君を、翔太朗があの手この手で外に連れ出そうとする姿は、夏休みエピソードでしか見られないものね。学園内では見られない、二人の姿や言動が見られて、確かにおいしい巻なのは分かる。でもね、学園の日常で語られる、ひとつひとつの行動がふたりの心境で変わっていくこと。それこそ、私は至高だと思ってる」


  彼女が、静かに、平坦な早口で語ったあと。

 彼女の向かいに座る、幸田瑠奈さんはうんうんと頷き。ふたりは顔を見合わせ、こくりと頷いた。


 俺は、一時間ほど途切れなく繰り広げられた、ふたりの話が終わったのかと思い。


「いやあ~、一時間も~、面と向かって作品をベタ褒めされるなんて~、嬉しいけどこしょばい~」


 ふたりの向かい、俺の隣に座る。

 凛がふにゃりと笑んで、上機嫌だろう声を上げ。

 

 俺は、この一時間、BLが好きという嘘がバレないよう口を閉じ息を殺していた。


 やっと、大きく息を吐き。放課後の図書室から、凛の部屋に三人で移動し。

 どうして、こんな、ひょんな状況になっているのかを回想してみた———。


 はじまりは、今朝、俺と彼女の下駄箱に入っていた手紙だった。


【米原優、由比美月。私は、ふたりがBL好きなのを知っている。皆にバラされたくなければ、今日の放課後、図書室へ】


 俺がひとり向かうと、図書室の床には『ドキメキ☆男子学園シリーズ』の文庫が落ちていた。

 三冊の文庫に、俺は図書準備室に導かれ。彼女が、先に入ってしまった。


 図書準備室には、俺と彼女に手紙を出した、幸田瑠奈さんが居た。


 彼女が、幸田さんに壁ドンをしてしまい。

 俺は、彼女を幸田さんから離して、俺たちを呼び出した事情を聞くことになった。


「幸田さん。私たちのこと、誰かに言ったの」


 図書準備室の中、長机を挟み。俺と彼女の向かいに、幸田さんが座り。

 彼女に鋭い視線と声を向けられ、うつむき固まったまま。幸田さんは、声を上げなかった。


「幸田さん。どうして、答えないの」


 幸田さんは、元から小さな身体を更に縮め。

 まるで、強い動物に追い詰められた小動物に見える。


「……由比さん。俺が、幸田さんに話をしてもいいかな」


 彼女は、俺のほうを見ずに「どうぞ」と言い。

 俺は大きく息を吐いたあと、「幸田さん」と呼ぶと、幸田さんはびくりと両肩を揺らした。


「……俺と由比さんのこと、誰にも言ってないよね。誰にも言わないよね」


 なるべくゆっくり言うと、幸田さんは、こくりと、小さくうなずいてくれた。


「……幸田さんは、先週の放課後、俺と由比さんが教室で話してるのを聞いたのかな」


 幸田さんは、こくりと小さくうなずき。

 俺は、どうしたらいいかなと思い。


「幸田さん。あのときに、私たちが話していたことは、忘れて。忘れてくれないなら、私、何をするか分からない」


 考えていると、彼女が幸田さんに鋭い視線を向けて言い。

 俺は、大きく息を吐いたあと、うつむいたままの幸田さんに言った。


「……幸田さん。由比さんのことは、誰にも話さないで欲しい。誰かに話したいなら、俺のことだけにしてくれないかな」


「幸田さん。そんなことをしたら、私、何をするか分からない。あなたが、手紙を出した目的を言って。米原君をおどして、何をしたかったの」


 彼女が、俺も聞きたかったことを言い。

 幸田さんが、「ごめんなさい」とても小さい声で言い、更に小さな声で続けた。


「……私は、おどすつもりはなくて。……ふたりと、話がしたかっただけなの」


「幸田さん。もしかして、米原君のことが好きなの」


 彼女が、とても驚くことを言い。

 ゆっくり顔を上げた幸田さんへ、平坦な声で続けた。


「幸田さん。私たちのことを、誤解しているかもしれないけれど。私たちは、BL好きでつながった友達なの。誤解をして、私たちを呼び出したのなら、私は出て行くから米原君に告白して」


 俺は、驚き過ぎて口を開けず。

 やはり整っている、彼女の横顔を見つめていると。


「……誤解をしてるのは、そっち。……私は、米原君のこと、好きじゃない」


 なぜか、俺は、幸田さんにフラれてしまい。


「米原君のことが好きじゃないなら、どうして、こんな風に私たちを呼び出したの。口止めとして、金銭でも要求しようと思ったの」


 彼女が、なぜか、怒りが滲んでいる声を上げ。

 俺が、言い過ぎだと言う前。


「……ちがう。……私は、ふたりと、……話が、したかっただけ」


 幸田さんが、泣きそうな顔で、かすれた声を上げ。

 俺が口を開く前に、彼女がふっと笑ったあとで言った。


「幸田さん。何を、話したかったの。まさか、幸田さんも、BLが好きなの」


「……そう。……私は、ふたりと同じ。……『ドキメキ☆男子学園シリーズ』が好きで、BLが好きなの!!」


 幸田さんは、最後、両目を閉じて大きく言い。

 俺はとても驚き、彼女も驚いているのが横顔から分かった。


「……あの日、話が出来なかったし。……同じクラスだけど、……教室に入れなくて、ふたりと話せないから。……私、図書委員で、今日は先生が出張中だから。……こうして、呼び出すしかなかったんだもん!!」


 幸田さんは、また、最後大きく言い。

 赤い顔で、大きな瞳を開き。ぼろりと涙をこぼした。


「……私、勉強ばっかりで、今まで友達いなかったから。……こういう風に、呼び出すしか。……『ドキメキ☆男子学園シリーズVo.8~初めてのヴァレンタインは、甘くとろける~』に、書いてあったとおりにするしかなかったんだもん!!」


 俺は、幸田さんが同じクラスだったことを、失礼だが今知り。

 幸田さんが好きだと言い、呼び出し方を学んだものに、驚き過ぎて口を開けなかった。


「幸田さん。あなたは、入学してずっと保健室登校なのに、図書委員になれるのね」


 由比さんは、俺と違って、とても冷静に思える声で言い。

 大きな瞳から涙をこぼす幸田さんへ、ハンカチを伸ばした。


「……ありがとう」と、幸田さんは受け取ってくれ。涙をぬぐわず洟をかんだ。


「……保健室に先客がいるときは、図書室に来てるから。……私、教室に、入れないから」


「教室に入れないのに、どうして、あの日は教室の中を見ていたの」


「……由比さん、あの日、図書室に本を忘れたから。……申し訳ないけど、中身を見せてもらって。……教室の机の上に置いて、由比さんが来るのを待ってた」


 俺は、そういう経緯があったのかと思い。

 彼女に顔を向けると、考えているような顔をしていて、少ししてから口を開いた。


「進路のことで、教科担任の先生に相談をしたくて。図書室で待っているときに読んで、つい、夢中になってたら。先生が現れて、焦って、忘れてしまったんだと思う。その様子を見ていて、私の本だと分かったということね」


 涙が止まっている幸田さんは、こくりとうなずき。

 由比さんは、「そう」と言ったあと、深く頭を下げた。


「今日のことは、私が、原因だった。幸田さん、本を机の上に置いてくれて」


 「ありがとう」と由比さんが言い。

 幸田さんは、元から大きな瞳を大きくした。


「手荒なことをして、誤解をした発言をして、ごめんなさい。私は、教室に入ることは出来るけれど、友達が出来たことがないの」


 彼女が顔を上げ、「ごめんなさい」ともう一度言い。

 目を丸くして固まっている幸田さんが、少ししてから、口を小さく開いて言った。


「……こちらこそ、ごめんなさい。……由比さん、米原君。……本当に、ふたりと話がしたかっただけで、おどす気はなかったの。……BLが好きなこと、誰にも言ってない。……言う相手がいない」


 最後、とても小さく言ったあと、幸田さんが頭を下げようとし。


「幸田さん。良かったら、これから、三人で幸田さんが話したかった話をしない」


 そう彼女が言ったあと、少ししてから、幸田さんは「えっ」と顔を輝かせた。


「『ドキメキ☆男子学園シリーズVo.8~初めてのヴァレンタインは、甘くとろける~』に出てきた、リン君と翔太朗が、下駄箱に入っていた手紙に呼び出されるエピソード。公にはしていないふたりの交際をバラすという内容で、演劇部の部室に呼び出される。詳細は違うけれど、なかなか、再限度が高かったと思う」


「……ピンクの便せんで、文字にもこだわってみたの」


「そう、そこのところ、よく出来ていたと思う。作中では、呼び出した主は、ふたりに演劇の大会に出て欲しいと言い。リアルな恋愛の演技を求められ、ふたりは演技を通して絆を深めて、より強く繋がることが出来る。選びきれないけれど、はらよね☆太郎先生の作品で、特に好きな話のひとつ」


「……わ、私も、……夏休みの物語が、すごく好きなんだけど。……演劇大会の話、好き」


 俺は、いきなり、ふたりの会話が弾みだしたのに驚き。


 幸田さんは、やっぱり、夏休み巻が好きなのかと思い。

 先ほどまでの様子が嘘の様。彼女が、とても楽しそうで良かったと思ったとき。


 ポケットの中が震えて、慌てて取り出すと。


「米原君。図々しいお願いしてもいい。これから、凛さんのところに、幸田さんとお邪魔出来ないかな」


 着信画面が見えたのだろう、彼女がこちらをまっすぐに見て言い。

 俺は、断れるはずがなく、凛からの着信をとって説明をした。


 凛は、面白そうだから、自分のことはまだ言うなと言い。

 快諾を得て、凛の部屋へと三人で向かうことになった。


「そうね。日常回を、より楽しむ為には、夏休みのような特別なエピソードがたまにはいいのかもしれない」


「……うん。甘い、辛いみたいな。……ポッキーと、ポテチ食べるみたいな」


「私、お菓子を食べないから。例えは分からないけれど、言いたいことは分かる」


 凛の部屋に着いてから、一時間ほど、彼女と幸田さんは静かに熱く語り。

 また、どちらともなく、話が再開してしまった。


 ここに至るまでの回想を終えたあと。俺は、ふたりを黙って見つめ、幸田さんについて想った。


 俺は、幸田瑠奈さん、幸田さんが、同じクラスだったことを知らず。

 今日、入学してから一度も教室に来ていないこと、彼女と同じで凛が描くBL小説が好きなのを知った。


 そして、俺は、同じ嗜好と思われているので、ふたりに沈黙を貫くしかなかった。


 ふたりへ、誤解を解かないまま。俺は、いいのかなと思っていたとき。


「はあ~、賛辞をたくさん~、お腹いっぱいになるほど聞いちゃったから~、お腹空いてきた~、優~、ご飯~、みんなのぶんよろしく~」


 正体を明かせないからか、ふたりを黙って見守っていた。凛が、矛盾を感じることを、気の抜けた声で言い。


 俺は、答えが出ないまま、リビングから続くキッチンへと向かった。


 四人分かと、冷蔵庫の中身を見つめて考えていると。背中のカウンター越し、リビングから聞こえた。


「凛さん。長い時間、お邪魔してすませんでした。もう、帰らせてもらいます」


「いいの~、いいの~、美月ちゃんもだけど~、幸田ちゃんも~、まだ話したりないでしょ~」


 幸田さんが「はい」と、小さくはっきり言い。俺は、驚いたけれど、頬が緩むのを感じた。


「幸田ちゃん~、瑠奈ちゃんでいいかな~、瑠奈ちゃん~、私とふたりでいることは大丈夫~、優と美月ちゃんに夕飯の買い物に行ってもらいたいんだけど~、優~、今日は~、和食がいいな~」

 幸田さんが「はい」と言ったあと。

 振り返ると、凛がにやりと笑っているのが見え。


 彼女に顔を向けると、少し瞳を大きくして、俺をじっと見つめていた。


    ※


 六月に入ったけれど、梅雨入りはまだ。六時過ぎの外に出ると、世界が真っ赤だった。


「米原君。私、また迷惑をかけて、ごめんなさい」


 凛の部屋から、ふたりで出て。マンションの敷地の外に出ると、赤に照らされた彼女が言った。


 俺は、長そでのカッターシャツ一枚でも、少し熱いと思うのに。

 彼女は、ジャケットをきちんと着て、涼し気な表情のない顔で俺を見つめている。


 夕暮れの中、彼女は学校で見るよりも大人びて見え。

 胸まであるまっすぐな黒い髪の毛が、先まで光っているのを見つめ。


 俺は、改めて彼女は綺麗だと思い、ぼうっと見とれてしまった。


「米原君。迷惑ばかりかけられて、私を、嫌だと思わないの」


 彼女の言葉で我に返り、俺は焦りながら言った。


「……迷惑なんてかけられてないから。……さっきは、ハラハラしたけど」


「ごめんなさい。私、頭に血が上ると、攻撃的になってしまうの」


 彼女は、表情のない顔で言い。俺は更に焦って言った。


「……謝らなくていいから。そういうときは、仕方ないだろうし」


「ごめんなさい。私、自分の性質を知っているのに、迷惑をかけたくないのに。何かされると思ったら、抑えられなかった」


「……大丈夫だから。幸田さんとのやりとり、ハラハラしたけど。ふたりが、仲良くなれて良かった。幸田さんは、由比さんのこと誰かに言ったりすることはないから」


 「安心して」と続けると、


「私に、何かされるからじゃなくて。米原君に、何かされると思ったら。抑えることが出来なかったの」


 彼女が、地面に視線を向けて言い。

 俺は、とても驚き、緩んでしまった頬で言った。


「ありがとう。由比さんは、友達想いのひとなんだね」


 思ったままを言ったあと、彼女が固まったのが分かり。

 変なことを言ったのかと、謝ろうとしたとき。


「分からない。友達が出来たこと、ないから。私、自分以外のことで、あんな風になったの初めてだから」


 彼女がぼそりと言い、俺に向けた顔に心臓が止まりそうになった。


「米原君。迷惑ばかりかける、私と、まだ、関わってくれるの」


 表情がないものから、不安が少し滲む、瞳を潤ませたかわいい顔。

 子供みたいで、とてもかわくて、ずっと見ていたい。


「米原君?」と首を傾げられ。彼女へ、無意識に片腕を伸ばしているのに気付いた。


 俺は、「わあっ」と声を上げて、片腕を下げ。彼女に背中を向けて言った。


「……そんなこと、言わないでいいよ。迷惑なんて、思ってない」


 ばくばくしている胸を感じながら言い。

 ゆっくり振り返ると、「ありがとう」と彼女がとてもかわいい笑みを浮かべ。

 

 俺は、ずっと彼女を見ていたいのに、目の前がくらりとした。


「米原君。凛さん、幸田さん、米原君のご飯待ってるから」


 彼女が「行こう」と、涼やかな、すっきりしたような表情を浮かべて言い。

 俺は、下を向いて「うん」と小さく返して、彼女を見ることが出来なくなり。


 駅前のスーパーに向かい、買い物をして、いいと言われたけれど荷物を両手に戻った。


「おかえり~、言われたとおり~、ごはんは炊いておいたから~、早くごはん~」


 ふたりで部屋に入ると、床に転がっている凛が言い。

 幸田さんがいないことに気付いた。


「瑠奈ちゃんは~、私が~、よねはら☆太郎って言ったら~、たおれちゃったから~、ベッドに寝かせてる~」


 俺は驚き、「大丈夫なの」ともらし。


「分かります。私も、米原君の件がなかったら、倒れていたと思います」


 彼女が静かに言い、そんなにと思った。


「優~、私は~、読者さんに~、すごく恵まれてるんだ~、早く~、ごはん~」


 大きなティシャツ、だぼだぼのスゥェットのパンツ。

 天然パーマの長い髪の毛を伸ばし、床に転がっている姿。

 化粧をしているのを、多分、八年前から見てない。俺の十歳年上の姉。

 凛は、童顔で小柄なのもあり、十代でも通用するだろう。


 「ごはん~」と気の抜けた声を上げる、はっきり言って、だらしない姿。

 彼女と幸田さんが崇拝する様な、売れっ子BL小説家には見えない。


「凛さん、はらよね☆太郎先生、いつも、ファンを大事にしてくれてありがとうございます。米原君と、すぐに、夕飯をつくりますね」


 そう言ったあと、彼女はジャケットを床にきちんと畳んで置き、髪の毛をひとつに結んだ。


 流れるような動きと、体育のときにしか見られない髪型。

 俺は、また見とれてしまい、「米原君」と言われて我に返った。


「私、六歳から包丁を握ってるから。何でも言って」


 俺は、こくりと頷き、真剣な表情を浮かべた彼女とキッチンに向かった。


「……じゃあ、豚汁から作ろうか。俺が皮をむくから、適当に野菜を切ってくれるかな」


「私が皮をむく。適当でも、米原君のほうがうまいと思うから」


 俺は、まっすぐな瞳を向ける彼女に、胸が鳴り。

 顔を下に向け、言われた通りに作業をはじめた。


 彼女は、手際よく、無言で野菜の処理をしていき。俺は、彼女の真剣な横顔を見つめていたいと思うけれど、隣を見ないよう作業をしていった。


「わあ~、今日は~、ごちそうだあ~、きれいでおいしそう~」


 リビングの折り畳みテーブルの上、彼女と用意した料理を並べると、凛が瞳をキラキラさせて言った。


 豚汁、ほうれん草のおひたし、きんぴらごぼう、ブリの塩焼き。

 彼女の手際はとてもよく、盛り付けをしてもらったら、お店で出てくるものにしてくれた。


「……あの、すみません。……私、凛さん、……はらよね☆太郎先生と、お話している途中から、記憶が…」


 人数分のお茶を並べていると、リビングの隣、寝室の扉が開き。

 髪の毛が少し乱れている幸田さんが出てきて、元から大きな瞳をとても大きくした。


「瑠奈ちゃん~、顔洗っておいで~、ごはん食べよう~」


 幸田さんは「えっ」と言い、


「幸田さん。遠慮せずに、一緒に食べて。幸田さんのぶんも作ったから」


 そう俺が言うと、幸田さんは小さく頷き。洗面所に向かい、髪の毛を整えて戻ってきた。


「では~、いただきます~、みんな~、いっぱい食べてね~」


 凛は作ってないだろうと、突っ込まず。

 四人で手を合わせて、湯気が上がる夕飯を食べはじめた。

 

 俺と凛の向かいには、彼女と幸田さんが座り。彼女は静かに、幸田さんはにこにこしながら。正反対の様子で箸を動かし、皿をきれいに空けていった。


 俺は、味付けは自分だったのでほっとし、一番遅く食べ終え。

 申し出てくれた幸田さんと凛に、後片付けを頼んだ。


「……あの、私、門限があるので。そろそろ、おいとまします。いきなりお邪魔して、夕飯までご馳走になって、すみませんでした」


「楽しかったから~、謝らないでいいよ~、瑠奈ちゃん~、また来てね~、みんなでごはん食べたらおいしいから~」


 幸田さんは、凛の言葉にぱあっと顔を明るくし。


「幸田さん。連絡先、交換しておきましょう。学校では、これまで通り。それ以外では、色々な話をしましょう」


 彼女の言葉に、目を真ん丸くしたあと。

 幸田さんは、慌ててスマホを取り出して、彼女と凛。凛が言い出して、俺と連絡交換をした。


 幸田さんは、凛と彼女に頭を深く下げ。駅まで送るよう言われた俺と、部屋をあとにした。


「……ごはん、ごちそうさまでした。……すごく、おいしかったです」


 外に出ると、日はすっかり暮れていて。じーじーと早い夏虫の音がする、街頭だけの薄暗い道を並んで歩き。

 幸田さんが、前を向いたまま言った。


「クラスメイトなんだから、敬語いいよ。ほめてくれて、ありがとう」


「……うん。……おいしかったし……綺麗で、旅館の朝食みたいだった」


「盛り付けは、由比さんがしてくれたんだよ。幸田さんが言ったこと、由比さんに伝えてあげて」


 「うん」と、幸田さんが言い。隣に並んだら、余計に小さく感じるなと思い。

 速さに気を付けて歩いていると、


「……米原君は、すごいね」


 ぽつりと、幸田さんが言い。


「……凛さん、はらよね☆太郎先生。……すごいお姉さんが居て、すごい」


 幸田さんが続けて言ったことに、俺は「うん」と返した。


「……由比さん、……すごい彼女さんが居て、すごい」


 幸田さんが続けて言ったことに、俺は立ち止まり。言葉を頭の中でくり返してから、「違うっ!」と大きく言ってしまった。


 「ごめんなさい」と聞こえ、顔を向けると。

 止まっている幸田さんが、大きな瞳を更に大きくしていた。


「……こっちこそ、ごめん。大きな声出したのは、驚いただけだから」


 幸田さんが首を傾げ、俺は思ったままを言った。


「あり得ないでしょ。俺なんか、由比さんと釣り合わないよ」


 幸田さんは、不思議そうな表情を浮かべ、「何で」と言い続けた。


「……BLが好きな、はらよね☆太郎先生の弟さん。……すごく、由比さんとお似合いだと思うけど」


 誤解をさせたままなのを思い出し。俺は、どうしようかと少し考え。


「……嗜好以外では。……俺なんか、おこがましいよ」


 誤解を解かないまま、本当のことを言い。幸田さんが、目を真ん丸に大きくし、ぼそりと言った。


「……米原君。……何か、りん君みたい」


 俺は、固まり。幸田さんは「ごめんなさい」と言って、うつむいた。


「……米原君が、BLが好きで、はらよね☆太郎先生の弟で作品が好きでも。……ノーマルの男子が、BLの登場人物に似てるって言われるのは、嫌だよね」


 俺は、幸田さんが言ったことに、「あれ」と思った。


『そうそう~、なんたって~、りんのモデルは優だからね~』


 彼女が凛の部屋に初めて来た日。凛は、口を滑らせ、彼女に正体を明かすことになった。


 幸田さんは、多分、凛から俺がモデルなのを聞いていないのだろうと思い。


「……米原君、すごいのに。……りん君みたいに、謙虚で、必要以上に自分に自信がないなって思ったの」


 凛は、どうして言わなかったのだろうと思い。

 「そんなことないよ」と返すと、幸田さんは、顔を下に向けて「ごめんなさい」と言った。


「……由比さんが、……私がふたりを呼び出したことを、あれだけ怒ったのは。……米原君の為だったと思う。……由比さんは、米原君を、ちゃんと想ってるよ」


 幸田さんがぽつぽつと言ったことが、信じられなかったけれど。


『私に、何かされるからじゃなくて。米原君に、何かされると思ったら。抑えることが出来なかったの』


 そう、数時間前に、彼女から直接言われたことを思い返した。


「……だから、おこがましいとか。……そんな風に思われるの、寂しいんじゃないかな」


 俺はとても驚き、顔を上げた幸田さんへ「ありがとう」と言った。


「幸田さんは、すごいよ。自分では、気づいてなかったから」


 「ありがとう」ともう一度言うと、幸田さんは目を真ん丸にし。薄暗くても分かるぐらい、顔を真っ赤にした。

 「よかった」と、恐怖を感じながら言うと。当たり前に、幸田さんは首を傾げた。

 

 それから、幸田さんは言葉を発さず。駅に着いて、「またね」と言い合って別れた。


 ひとりになった帰り路、俺は、じわじわと全身に広がっていくのを感じた。

 八年前の、二度と経験したくない、恐怖が。


 八年前、俺は八歳で、子供だった。気づかず、知らず、分かっていなかった。

 家族がとっくに壊れていたのを、目の前に叩きつけられるまで。


 八年前のあの日から、凛は家を出て、一度も戻ることはなく。父親は名前を出すことはなく、母親は俺とふたりのときにだけ話す。


 優等生で家族想い、母親代わりに俺の面倒を見てくれていた。完璧だった姉、凛は、あの日から完璧ではなくなった。


 完璧じゃないのが、本当の凛。家族の為に、完璧を演じていた。

 俺は、知らなくて、何も出来なかったことを、とても後悔した。


「……また、……知らずに、後悔するの」


 ぼそりと、自己嫌悪の言葉を吐いたとき。「米原君」と静かな声が聞こえ。


「顔色、悪いけど。具合が悪いの」


 気が付くと、俺は凛の住むマンションに着いていて。彼女が近い正面に立っていた。


「凛さん、呼んでくる。少し、待ってて」


 彼女が、じっと俺を見つめて言い。背中を向ける前に、「由比さん」と名前を呼んだ。


「俺、由比さんのこと、もっと知りたい」


 完璧だと思っていた、凛の本当の姿を知らず。とても後悔したこと、くり返したくないから。


 そう、自分勝手だろう想いは言わず。

 今、思うままを伝えると、彼女は瞳を少し大きくして言った。


「私、そんなこと言われたの、初めてで。どう答えていいか、分からない」


 八年前の完璧な姉、凛と彼女を重ねて見ていることを伝える前。


「分からないけど。……嬉しい」


 最後、とても小さく言い。

 彼女は、ふわりと、花がゆっくり開く様に笑みを浮かべた。


 俺は、とくとくと鳴り始めた胸を感じ。彼女の顔に見とれながら言った。


「……ありがとう。……これから、よろしくお願いします」


 変な言い方だが、思ったままを言い。

 俺が頬を緩めると、彼女は瞳をとても細くした。


「こちらこそ。来月出る、凛さん、はらよね☆太郎先生の新刊の感想、幸田さんも交えてたくさん話をしたい」


 彼女は、明るい笑みで、とても弾んだ声で言い。

 俺は、嘘を吐き続ける覚悟を決め、「そうだね」と返して頬を更に緩めた。


第5話 新たな〇〇好きが現れて完璧美少女が楽しそうな件 了

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