第6話 表—結末

 

 悪女の死を、誰もが喜んだ。

 民衆は歓喜に湧いた。

 彼女が死んだ日は祝日になり、広場には記念碑が建てられた。

 これで何も心配は要らない。

 心優しい女王と、聡明な王配が統べる国は、きっと安泰だ。

 誰もがこの国の未来に希望を感じていた。






 しかし、そう長くは続かなかった。






 ある年、日照りが続いて、農作物が取れなくなった。

 女王は飢える国民に心を痛め、この国の主要産業である海運業の諸費用を軽減することと引き換えに、安価に物資を手に入れらるよう他国に要請した。

 他国はそれを了承し、問題は解決したかのように見えた。


 しかし、港がある領地を持つ領主たちから、すぐに強い反発を受けた。

 そして実際に海運業を担う商会たちも一斉に非難の声を上げ、各港で外国人との衝突や小競り合いが頻発するようになった。


 これまでにも、何度か似たような要請をしたことがある。

 けれどその時は誰も反発をしなかったし、何も問題は起きていなかった。

 過去に実績のある有益な手段なはずだ。

 少なからず、マリアとユリウスはそう考えていた。


 けれど、彼らは知らなかった。

 他国に要請を出すと同時に、国内の各領地に対し、細かな施策を打っていたことを。

 税の緩和や人材の派遣、時に補助として金銭を配布したり、はたまた国政への助力に対する顕彰をしたりと、多岐に亘って心を配っていた。

 まさにそれは、前王や前宰相だけでなく行政官など様々な立場の口を借りて、アイリーンが発案したものばかりだった。

 マリアとユリウスの視野は、そこまで広くなかった。

 王や宰相が主体的に行った施策以外のことを、詳しく把握できていなかった。


 結果、これまでとは異なる一方的な犠牲を強いる施策に対し、反発の声が多く上がってしまったのだ。



 最初はまだ、若さ故の小さな失敗程度に認識されていた。

 けれど、あれもこれもと、失敗は続く。



 国の治安はルフェルを筆頭に守られ、大きな混乱は見せていなかった。

 しかしそれでも段々と、国民の不満は溜まっていく。


 以前はこうじゃなかった。

 女王では力不足だ。

 王配は何をしているのか。

 やはり賢王がいなければ……。


 良い状況を知ってしまうと、人はなかなか生活の水準を落とせない。

 高い水準からほんの少しでも状況が悪くなれば、強い不満を感じる。

 人々の心は荒れ、徐々に徐々に、国は衰退していった。



 マリアもユリウスも必死に働いた。

 けれど状況はなかなか改善しなかった。


 そしてマリアとユリウスの間に王子が生まれ、十数年経った頃。



 前国王の手記が発見された。



 人身売買を、王自ら主導したこと。

 宰相も加担していたこと。

 何か画期的な考えが浮かぶ時はいつも、アイリーンと話した後だと気付いたこと。

 アイリーンの優秀さを誇らしいと思うと同時に、恐怖を感じていたこと。

 母への劣等感を、アイリーンにも感じていたこと。

 アイリーンが、王の罪を被っていたこと。


 怒りと懺悔と愛憎とが入り乱れた散文的なその手記は、終わりのページに近づくにつれ、文字が判別しにくくなっていた。

 最後のページには一言、「すまない」と書かれているように見えた。





 マリアはあまりの衝撃に倒れてしまった。

 ユリウスは自身の祖父の所業への嫌悪感に、嘔吐した。



 ちょうどその頃。

 海辺の町を中心に、アイリーンの本当の姿は悪女ではないと声高に叫ぶ人々が現れた。

 それは大人になった、人身売買の被害に遭った子どもたちだった。



 マリアとユリウスは、改めて調査をすることにした。


 長く時間がかかった。

 けれど多くの子どもたちの証言と、ザックを始めとする姿を消したはずの騎士たちの証言。

 決定的なのは、元リューゲ侯爵の遺品から、隠された帳簿と王に盛った毒の証拠が発見されたことだ。

 どうやら侯爵は、王の吸うタバコにごく少量ずつ、蓄積型の毒物を仕込んでいたようだった。



 2人は知った。

 この国の真実を。



 マリアは悩んだ。

 ユリウスは反対した。

 けれど、心優しく、それ故に施政者としては甘過ぎるマリアは、決心した。してしまった。



 ただ哀れな姉の為に。

 姉の名誉を回復するために。


 全てを公表することを。



 真実を知った国民たちは、混乱に陥った。

 信じていたものが崩れ去り、自分たちがこれまで吐いた言葉が後悔となって押し寄せる。



 本当に国を思っていたのは誰だ。

 国の為に犠牲になったのは誰だ。

 本当に讃えるべき相手は、誰だったのか。


 答えは、誰もが分かっていた。



 ほぼ全ての国民が、悪女を罵ったことがあった。

 同じ口で、国王や宰相を称賛していた。



 人々は混乱し、荒れ、争いごとが増えた。

 現政権への不当性を訴え、何度も内乱があった。

 その隙に他国より攻め入られ、国土の多くを失った。






「愚かだ。何もかも」


 ルフェル・ヴァールハイトはそう吐き捨てた。

 彼はかつて、この国の英雄と称えられた。

 アイリーンによって作られた、英雄という偶像。

 それでもその責務を全うしようとした。

 けれど、そんな偶像などでは、最早どうすることも出来なかった。

 弱った国の軍が強い訳がない。

 いくらルフェルが奮い立とうと、財政状況の悪化により物資も装備も十分ではなく、そして何より騎士たちに覇気がなくなっていた。

 もう、どうすることも出来なかった。




「王女殿下。あなたは間違ったんだ」


 彼女は、あまりにも周囲の人間を信じすぎた。

 マリアにしてもユリウスにしても、そしてルフェルでさえも、彼女が期待したほどの役割を演じられなかった。


 そして彼女自身の力を、影響力を見誤った。

 彼女の存在は、彼女自身が思っていた以上に大きなものだった。


 そのことに、誰も気付かなかった。

 彼女自身も、他の者たちも。




 この十数年。

 一日たりともあの日を忘れたことはなかった。


『わたしの死がこの国の為になるのなら、こんなに幸せなことはないわ』


 ああ。

 もしもあの世で彼女に会ったなら、なんと言えばいいのだろう。

 彼女の信じた未来は何一つ、実現されることはなかった。

 彼女の死には、何の意味もなかった。


 ルフェルは王都に背を向けて歩き出す。

 どこに向かうのか、自分でも分からなかった。

 ただただ、虚しかった。






 国は荒れたまま時が経ち、王子が王となる頃には、力のない小国に成り下がっていた。

 自分たちの無知の罪を忘れぬよう、記念碑は残り続けた。

 祝日となった彼女の命日には、誰もが彼女の死を思い出して悼んだ。



 アイリーン・ミステアシュテント。

 それは、この国で最も哀れな悪女の名だ。


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悪女が死んだ素晴らしき世界 九重ツクモ @9stack_99

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