第五章 陸奥会津で極まる名君の誉れ
第71話 阿古耶姫と松の木の悲恋伝説
知恵と欣之助による肥後守の事績探索の旅も、最後の会津を残すばかりとなった。
「ねえ、欣之助どの。阿古耶姫の悲しい物語をご存知でいらっしゃいましょう。松の木の精霊との激しい恋の……」他人目がないのを幸い、知恵は妻に成りきっている。
「はあて、おぼろげに聞いた記憶はござるが、詳しくは承知しておらぬ」あいにく、欣之助は知恵ほどには悲恋伝説に関心がないらしく、憎らしくなるほど素気ない。
これだから殿方は……姫君が木の精霊と想い合うとは、至って浪漫的なのに……。
「なれば、旅のお供に、いま一度、わたくしがお話して差し上げましょう」ことさら明るい口調で欣之助に誘い水をかけたが「はあ、まあ……お願い申す」心もとない。
「その昔、仙台領郡司の中納言藤原豊充さまに、阿古耶さまなる、それは美しい姫君がいらしたそうにございます。あるとき、阿古耶姫が障子を開け放った部屋で琴を奏でておりますと、庭の松の木のほうから妙なる伴奏の音色が聞こえてまいりました。驚いて見やると、なんとも凛々しい若者が篠笛を吹いていたのでございます」
なるべく淡々と語りながら、霧笛の背の欣之助を窺うと、どうと言うこともない顔をしている。拒絶されぬだけましだろうと思い直した知恵は、つづきを語りついだ。
「名取太郎と名乗った若者と阿古耶姫は逢瀬を重ねて、愛し合うようになりました。ところがある日、切羽詰まった表情の太郎は姫に苦しい胸の内を打ち明けたのです。わたしは最上の千歳山の老松ですが、こたび仙台の名取川の橋が流されましたので、新しい橋の材にされる仕儀と相なりました……」
欣之助は相変わらず無反応に見えるが、知恵は何としてもさいごまで話したい。
「やがて千歳山の老松は伐採されましたが、どうしたことか、びくとも動きませぬ。天のご託宣に従って阿古耶姫をお連れすると、姫は愛しい太郎の変わり果てた姿に、泣きながら手を差し伸べました。松は動き、橋を架ける名取川畔まで到達しました」
そこまで話して横目で欣之助を見やったが、無表情に真っ直ぐ前を見ているのみ。
「阿古耶姫は老松が伐採された跡に若松を植え、万松寺を建てて菩提を弔いました。で、ここからがことに重要なのでございますが、共に峠を越える老松と阿古耶姫が永遠の愛を囁き合った事実から
語り終えた知恵は、今度こそ明確な欣之助の反応を勝ち取ろうと勢いこんだが、
「埒もないとまでは申しませぬが、如何にも女子の喜びそうな昔話ではござるな」
ぼそっと愛想なく告げた欣之助は、ひとり飄々と馬を進めて行く。
なんとまあ張り合いのないことよ。生まれ持った男女の感覚の相違やも知れぬが、もう少し答えようがあってもよいのではあるまいか。一所懸命に熱をこめた分だけ、思いきり肩すかしを食らったような……。知恵は宙ぶらりんな気持ちを持て余した。
まあ、あれじゃわ。殿方はそれぐらいのほうが誠実なのやも知れぬ。女子の恋愛話に一緒になって興じられるよりは、武骨一辺倒なほうが妻としては幸せやも知れぬ。
一方ではさように思い直して、わずかにおのれを慰めもした。
*
酉の刻。
人馬共に睦まじい二対はかつて陸奥府中と呼ばれた伊達家六十二万石の主城がある仙台に到着した。紅藤色に暮れなずむ城下に広瀬川の清流がゆったり
川畔にひっそりと「青葉館」の行燈を掲げる旅籠に草鞋を脱いだ。
高遠はもとより山形とも比べものにならぬ大城下の夕餉の膳を飾った郷土料理は、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます