第72話 いよいよ会津へ入り元奥女中を訪問





 翌八月十日早朝に宿を出立した二組は、同日の申の刻、会津に到着した。


「わたくしたちの旅もいよいよ終盤、本家本元に乗りこむの図でございますね。如何なる仕儀になりますやらドキドキワクワクでございます」知恵が昂ぶる気持ちを吐露すると「愛娘を失われた一番の被害者であられながら、容疑者として理不尽な嫌疑をかけられた於万ノ方さまやお子さま方はもとより成果を期して送り出してくださった兄弟子ご夫妻のためにも有終の美を飾りましょうぞ」欣之助も素直に響いてくれた。


 鉄扇も霧笛も至って快調、残暑の陸奥路、二対の足はつい弾む。




      *




 会津騒動への対応の不首尾で、お上の怒りを買って改易された加藤式部少輔明成に成り代わり肥後守が領主の命を受けたのは寛永二十年(一六四三)七月四日だった。


 それからおよそ一か月後の八月八日、肥後守は初めて鶴ヶ城(若松城)に入った。

 同月十二日には城下の町屋の中心地である大町札の辻に「五か条の制札」を掲げ、新たな仕置きの根幹を示した。同月十五日には、領内の十四寺社に田地を寄進した。さらに同年十二月一日には「地下仕置き」を定めるなど、精力的な仕置きを行った。




      *




 兄・武光から聞いていた二件の探索先のうち、最初に訪ねたのは元奥女中の姥で、枝垂れ柳が川面を掠る名取畔の小洒落た平屋が、老いてなお小粋な姥の住処だった。


 若い頃はさぞかしと思われる艶めかしい姿態を嫋々じょうじょうと客室に運んで来た姥は「おはようでやす。お若い衆がかような茅屋へよう来やったなあ。さあ、どんぞ座ってけやれ」案に相違した訛声だみごえの第一声を発したので、知恵も欣之助も度肝を抜かれた。


 ことさらな会津訛りは、若い頃、殿方の目を集めた容貌への照れの裏返しなるか。

 素人にしては広めに抜いた襟から、惜しみなくのぞく肌が、妙に黄ばんで見える。



 ――声といい、肌といい、意外に荒んだ生活を送って来られたのやも知れぬ。



 同性の目で冷静に観察する。

 知恵からは、相当な歳の姥、または媼に見えるが、実際は五十路前やも知れぬ。

 もしや訳ありで早期に引退されたのか? がぜん、下世話な興味が湧いて来る。


「とつぜんのお訪ねにて、まことに申し訳ござりませぬが……」丁寧に頼みこむと、「分かり申した。殿さまがご着任された当時の模様をお訊きになりたいのじゃな?」

 頭の回転がいいらしく明快に答える姥の口説から、会津訛りは見事に消えている。


「畏れ入ります。お差し支えがない程度でけっこうでござりますゆえ」欣之助の補佐に鷹揚に首肯した姥は、田圃の蛭を張り付けたような唇を、自嘲するように歪めた。


「とっくのとうに宮仕えを辞した身、別段、差し支えなどありはしませぬ。いまや、娑婆から忘れられたも同然のこの姥の、埒もない昔語りなら、いくらでもお話しして進ぜましょうぞ。もちろん、人間として最低の心構えは、承知しておるつもりじゃ」




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