第70話 会津騒動を理由とする転封で水戸領を凌ぐ
諸大名におかれては二十歳やそこらで子沢山も珍しくないと聞くが、わが殿さまは三十歳でご正室もご長男も亡くされ、お身内と申せば生まれたばかりのご次男だけ。すでに二親もなくて天涯孤独の殿さまは、相当な寂寥を感じておられたやも知れぬ。
疲れたのか老婆はひたすら先を急ぎたがり、欣之助が補佐の聞き手に徹している。
「寛永十八年八月三日、諸国が大凶作のなか現在の公方さま(家綱)が誕生された。奇しくも、三か月後の同年十一月十四日にお生まれになったのが、殿さまのご長女の
――なんと、亡き媛姫さまは公方さまと同い歳であられたのか。:;(∩´﹏`∩);:
ご臨終の大猷院(家光)さまから是非にとご遺言を賜ったとはいえ、公方さまへの格別にご熱心なご補佐には、あるいは、奈辺の事情も潜んでおられるのやも知れぬ。
「不幸なことに全国の凶作は何年もつづいた。翌十九年には前年からの大飢饉で娘を身売りする百姓が相次いだので、各街道に人身売買の禁止令が出された。また、二十年二月には、老中から旗本や関東郡代に百姓救済の上意がくだされたほどじゃった」
淡々とむかしの事実を語りながら、老婆は薄い肩を寒々とすくめてみせる。
「同年の五月二日、のちに会津騒動と呼ばれる御家騒動の不手際を理由に、加藤式部少輔さまの会津領四十万石が御公儀に没収された。同じ年の五月十三日、保科家では於万ノ方さまが次女・中姫さまをご出産された」
その後の経緯については、知恵もよく承知している。七月四日、出羽山形二十万石領主・肥後守に会津二十三万石への転封命令が出され、同時に南山五万五千石の幕領も預かった保科家は、徳川御三家第三位の水戸領二十五万石を上まわることになる。
「とまあ、かようなところで、そろそろ無罪放免としてくれぬか」
珍しく茶化した老婆の口に、隠しようのない疲労が滲んでいた。
長い物語に心からの謝辞を呈して表へ出ると、それこそ『源氏物語』に出て来そうな物寂びた庭の馬繋ぎ場で、鉄扇と霧笛が傍目もかまわずに睦み合っていた。(笑)
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