第68話 武家諸法度の改正と白岩一揆の処分





「長門守さまの苛政で千人の餓死者が出たとして、白岩の百姓五百戸の惣代十人が、二十三か条におよぶ訴状を持って江戸の勘定奉行所に出訴したのは、寛永十年の春。肥後守さまはまだ、はるかに遠い信濃高遠城主でいらした時代の出来事じゃったわ」


 最初は乗り気でなさそうだった老婆の口説は、にわかに冴え渡って来た。

「さように因縁めいた……。ならば、肥後守さまとて、いいご迷惑だったのでは?」

 気に入りの知恵であっても軽々な相槌には一顧だにせぬ老婆は、粛々と語りつぐ。


「むろん、長門守さまにも言い分はござった。公称八千石とはいえど、痩せた土地柄ゆえ実質六千石に過ぎぬ小領に重くのしかかる軍役や、江戸屋敷の莫大な経費の捻出(前任の最上家は、裏帳簿の操作によって、上手に切り抜けられたらしいが……)。かてて加えて、名門の重圧。あれこれ数え上げれば、他人事ながら嘆息が出るわい」


 男のように太い嘆息を漏らした老婆は「あ、そうそう」というように補足する。


「ちなみに、天草四郎時貞を棟梁とする三万七千人の民百姓が蜂起した島原の乱は、最初の白岩一揆(結局、都合二回に及ぶことになるのじゃが)から四年後の秋のことであった。さしもの御公儀も、仕置きの行き届かぬ南国で起きた無秩序に手をやき、老中・松平伊豆守(信綱)さまが率いる十二万五千人の大軍をもって、ようやく矛を納めさせたのは、騒擾の発生から、じつに半年ものちであったそうな」


 なるほど! 島原の乱制圧の御大将に肥後守さまをお命じにならなかった大猷院(家光)さまのお心にはやはり「西が騒げば、東が危うい」という東照大権現さまのご遺訓がおありになった。ゆえに、伊豆守さまを西に、肥後守さまを東に配された。


「最初の白岩一揆はなんとか収めたが、五年後、寛永十五年の六月に再発する。その前年の島原の乱の目覚ましい奮闘が民百姓の反抗心に影響したと見てよかろうのう」

「まさに、御公儀の恐れも奈辺にあられたのでござりましょうね」知恵も同意する。


「白岩代官から助けを求められた肥後守さまは、たちどころに果敢な裁断をくだされて、百姓総代三十六名を磔に処された。いまでもかげで、隣国の仕置きへの口出しを非難する者もおるようじゃが、すべては、肥後守さま自らが指揮を執られ、奇しくもその前年に改正されたばかりの武家諸法度の条項に忠実に従われたまでのことじゃ」



 ――国家大法に叛き、凶逆の輩あるときは、

   隣国は速やかに馳せ向かい、これを討伐すべし。



「同年三月七日、白石領主を追われた長門守さまは、最上蔵入分から八千俵の米が支給される蔵米取りの身分となられた。のち、庄内領主の兄の左近衛権少将(忠勝)さまを頼られ、客分として千石を合力された。東照大権現さま以来のご親交が鑑みられたのじゃろう、御公儀の小姓身分も剥奪されず経済的にも家老級の収入は保証されたそうな」老婆は、物語の終わりと言うように、すとんと語尾をすぼめて押し黙った。




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