第67話 葵の紋はもともと酒井家の家紋だった
「もともと酒井家は御公儀と祖をひとつにする名門であられた。長門守さまの曾祖父の左衛門尉(忠善)さまの時代、首級二百余を挙げた戦功にあやかるため、松平家は酒井家に葵の家紋を献上させて、代わりに
「仰ぎ見るも畏れ多い葵の御紋には、さような秘話があったのでございまするか」
「な、知らぬ者には吃驚であろうが?」老婆は満足げに皺ばんだ首を上下させた。
「祖父・左衛門督(忠次)さまが、徳川四天王のひとりとして勇名を馳せられた事実は、若いそなたも承知しておろう。父・宮内大輔(家次)さまも、十二歳で長篠の戦に出陣して敵将の首を討ち取り、ご褒美として、東照大権現さまから一字を賜った」
「なんとも優秀なご一家でいらっしゃったのでございますね。して、宮内大輔さまのご三男・長門守さまは、戦場の代わりの白岩領八千石で、なんとしても父祖に劣らぬ業績を挙げられねばならなかった……と、かような前置きに至る訳でございますね」
知恵が先まわりすると老婆の目がぴかっと光ったので、内心、しまったと思った。
*
だが、老婆はむしろ喜んでくれたようだ。
「そなた、若いのに賢いのう。けっこう、けっこう。仕置きの裏方に置かれる女子は殿方以上の機転を利かさねばならぬゆえ。まあ、それはともかく、世に言うところの白岩領の圧政は奈辺の事情から来ているという事実をまず念頭に置く必要があろう」
「はい、畏まりました」心を込めて答える知恵に、老婆は微笑みながら首肯する。
「江戸と違うて北国の当地は寒冷多雪ゆえ凶作の被害に陥りやすい。そのうえ、最上さま以後、仕置きの区分が細分されたため、隣り合う地域同士で年貢や賦役などことごとくに大差が生じた。積み重なった不満が殿さまへの不信につながったのじゃな」
「空から地上を眺めるように概括的にご説明賜り、一件の背景がよく分かりました。何事も、表面上の出来事のみ捉えていては、物事の本質を見失うのでござりますね」
知恵の本気の感懐を老婆は気持ちよく受け留めた。
「まさに打てば響いてくれよるわ。近頃、珍しき女子ぞ。ますます気に入り申した」
「畏れ入りまする~」老若ふたりの女子に挟まって、欣之助は居心地がわるそうだ。
せいぜい大きな肩をすくめていなさいまし。高遠では気色わるい色惚け老女に気に入られ、ふたりでわたくしを除け者にしていたのですから、いい気味でございます。
なんとも稚拙な意趣返しで、知恵はほろ苦い凱歌をあげた。
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