第63話 左京衆の隠居侍から本音を訊き出す
八月九日辰の刻。
宿を発った二組は、例によって宿の主人から聞き出しておいた取材先に向かう。
まずは左京衆で肥後守が会津に転封になったとき「せっかくのご栄転ながら、拙者はもういい歳につき、住み慣れた当地で……」と御役御免を願い出た隠居侍だった。
話が前後するが、寛永十三年(一六三六)七月二十一日、高遠三万石から出羽山形二十万石に転封になった肥後守は、七年後の同二十年七月四日には、会津二十三万石に再び転封になる。
その後に十五万石で入ったのが、越前大野五万石の松平大和守直基(東照大権現の次男・結城秀康の五男)だったが、それも慶安元年(一六四八)に播磨姫路に転封となったので、現在の国主は松平侍従忠弘(東照大権現の重臣・奥平信昌と東照大権現の長女・亀姫とのあいだに生まれた四男・松平下総守忠明の子)だった。
*
鳥居家につづいて肥後守が当地を去ったあと、折々の主君に槍衆として仕えて来た息子の世話になっている隠居侍は、日当たりのいい隠居部屋を与えられていた。悠々自適とはいかぬまでも、生々流転の結末としては、まずまずの余生であるらしい。
訪問の目的を告げると、鬢が白い隠居侍は、途端に自信なさげな顔つきになった。
「拙者はただ、身過ぎ世過ぎのために仕官しておったまで。殿さまを観察するなどという大それた心情にはただの一度も駆られませなんだ。お役に立てそうな話は……」
「大上段に捉えていただかずに結構でございます。お気楽に思い出してくだされば」
慌てて知恵が取り成しても、頑固そうに腕組みをして几帳面に考えこんでいる。
「長いご仕官中の出来事がわれ先に押し寄せ、収拾がつかれぬのやも知れませぬな。では、当方からご質問させていただく形で如何でしょうか」欣之助が提案すると、
「さようにしてくださればありがたい。なにしろ、引退して久しいゆえ、現役時代のようには頭がまわってくれませぬ。日がな一日、ぼうっとしておるせいか、近頃は、とんと物覚えがわるうなりましてなあ。そういえば、つい先日もこんなことが……」
いやはやこの調子では長くなりそうだ。
欣之助がさっそく質問に取りかかった。
「肥後守さまが初めて山形入りされたのは、寛永十三年八月二十七日でしたかな?」
「さようでござる。当日の模様は、よく覚えておりますわ。ご病弱でいらした先代の左京亮さまとちごうて、見るからにお健やかにして頭脳明晰な殿さまで……あわわ、かような軽率を申しては、先の殿さまに申し訳が立たぬ」隠居侍は恐縮してみせる。
「ああ、道理で。交替で小領の高遠へ転封となられた左京亮さまが、相当数を残していかれたご家来衆は、いたって素直に、肥後守さまに就かれたのでございますな」
したり顔で欣之助が補足してやると、隠居侍は果たして、ふっと皮肉に唇を歪める。
「まあ、表向きはさような仕儀じゃが、本音はな、そうばかりとは限らぬ。お若い衆にはまだ分からぬやも知れぬが、東照大権現さまのご名言どおり、重き荷を背負うて行くが如き人生には、おのれの感懐がいいのわるいの申しておられぬ場合がござる」
――おっ、なかなかいいではないか、ご隠居。
その調子で素のお心を吐露してくだされ。
欣之助の隣の知恵は、内心で喝采を送る。
「平たく申せばな、上に立つお方がどなたに変わられようと変わられまいと、下の者どもがなんとか食べてゆかねばならぬ状況に変わりはござりませぬわ。腹を空かせて待つ老親や女房子どものためなら、おのれの好悪感情など物の数にも入りませぬわ」
ひとたび堰をきった隠居侍の本心は、奔流の如く一気に流れくだる定めと見える。
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