第60話 鉄扇の疝痛を動物磁気で治す欣之助
欣之助の危惧は的中した。
燕村を過ぎたところで、とつぜん鉄扇が前肢を折った。
思いきり前のめりに投げ出されそうになった知恵は、すんでのところで鞍にしがみ付いたので助かったが、鉄扇はそのまま、どうとばかりに横倒しに倒れこんでいた。
荒い呼吸を吐きつつ、首をうしろに捻じ曲げ、しきりに脾腹を気にしている。大量の尿を失禁して、一気に被毛が色褪せて見える。目には力がなく、耳は垂れている。
「鉄扇!! 腹が痛むのか、それとも脚に怪我を負うたのか?」
知恵は必死で取りすがるが、苦痛に喘ぐ鉄扇の耳には届かぬ。
いまにも絶命しそうに、大きな身体を悶えに悶えさせている。
「鉄扇!! お願いだから答えておくれ」
そこへ手を伸ばしたのは欣之助だった。
霧笛も、心配そうに鼻面を寄せて来る。
「
知恵を責めるでもなく冷静な口調で告げた欣之助は、指の腹で
「
欣之助の呟きを凶事と受け取った知恵は、必死で欣之助を押し留める。
「何をなさいますか! 乱暴はおやめくださいませ。宿場で馬医に見せれば……」
「さような時間はない。一刻を争う状況なのじゃ!」知恵を叱り飛ばした欣之助は、すでに意識を失いかけた鉄扇の顔に息を吹きかけると、不思議な呪術を遣い始めた。
*
――さあ、鉄扇。もはや腹は痛うないであろう。蝶が舞い飛ぶ如くに、ゆるゆると痛みが飛んで行き、心地よさがもどって参る。よ~しよし、いい調子だぞよ、鉄扇。
驚いたことにはあれほど苦痛に喘いでいた鉄扇の顔に見る見る安寧が広がり、寝息まで立て始めた。欣之助は鉄扇の腹部に手を添えると、患部と思われる部分をさすり始める。内臓が飛び出すかと危ぶまれるほど脈打っていた腹は静かに鳴りを潜めた。
あたりには静寂がもどり、遠ざかっていた波の音が間近によみがえった。
鉄扇の目の充血は収まり、もとの愛らしい瞳の輝きを取りもどしていた。
「申し訳ござりませぬ。わたくしの浅慮からかような事態を引き起こしまして……」
極度の緊張から解放された知恵は、心の底から欣之助に詫び、手当の礼を述べる。
「なに、大した仕儀にあらず。知恵どのの兄上直伝の動物磁気を活用したまでじゃ」
照れくさげにそっぽを向いて答える欣之助を知恵は惚れ惚れと見直した。
やっぱり、殿方はこうでなければならぬ。何と頼りになるお方であろう。
新潟からさらに海沿いを北へ向かい、脇往還を関川へ。
小国、飯豊と、険隘な山道を二組は黙々と越えて行く。
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