第57話 欣之助に秋波を送る(笑)元奥女中




 すると、老婆の皺ばんだ頬にぽっと赤味が射したので、思わず知恵は目を瞠った。

「貴重かどうかは知らぬが……。まあ、あれじゃわなあ、先輩方が挙って身罷られた現在は、当時の生き証人と申せばわたくしぐらいしか残っておらぬ。それにしても、お若い衆、なかなかの男前じゃな。お城には掃いて捨てるほどのお侍衆がおったが、これほどのおとこぶりには、とんとお目にかからなんだわい。うひひひ」:;(∩´﹏`∩);:


 女房と名乗る知恵の面前で臆面もなく褒められた欣之助は、さも照れくさげに頭を掻いてみせる。かたや爪弾きされた格好の知恵は、内心では至っておもしろくない。



 ――何なの、この婆さん、いい歳して秋波? 気色わるいったらありゃあしない。



 なれど、さような心情はおくびにも出さず、愛想よく欣之助の帆船を後押しする。

「ぜひぜひ、どなたもご存知ないお話をお聞かせくださいませ。夫婦揃って一方ならぬお世話を賜っております肥後守さまのお役に立てさせていただきとうございます」


 老婆の黒目がちな目に、ちらりと棘が光ったので、知恵は再度の失言に気付いた。

 うっかり「夫婦揃って」を強調したことが癇に障ったと見える。重箱の隅を突くが如く、いちいちに目角めくじらを立ておってからに、何とも七面倒くさい婆さんじゃな。


 愛想笑いで応じる知恵には目もくれず、老婆は露骨に、欣之助のみに語り始めた。

「ほんになあ、江戸から到着されたときの幸松さまと言えば、将軍さまのお胤らしく得も言えぬ気品にあふれた愛らしい少年であられた。ほほほほ、そなたの如くにな」


 あろうことか、おちょぼ口をすぼめてみせた老婆は、梅干しの如くしわばんだ頬を柑子こうじ色に染めつつ「お気の毒にも複雑な境遇にお育ちになったがゆえか、まだ七歳の腕白盛りだというのに、周囲への並々ならぬお気の配りようは、ご厚誼を賜るこちらの胸が痛むほどじゃったわいなあ」ひたすら欣之助に向かって掻き口説いてみせる。




      *




 ――よしよし、その調子じゃ、欣之助どの。わたくしなど無視してもらって一向にかまわぬゆえ、淀みなく話をつづけさせてくだされ。なんなら、お邪魔虫は得意の「隠遁の術」を駆使して、いっとき、すがたを眩ませてやってもよいのじゃが……。



 くノ一を意識した知恵は、つまらぬ妬心を捨てて、傍観者に徹する覚悟を決めた。

「浄光院さまも当初は緊張されて、強張ったお顔を常に伏せ加減にしておられたわ。わたくしどもは温かくお迎えしたつもりだが、公方さまのお手付きの冠はどこまでも付いてまわるゆえ、目の端に露骨な侮蔑を浮かべた奥女中衆もおったやも知れぬな」


 さような状況は未経験の知恵にも容易に想像はつく。敵陣へひとり子連れで乗りこんだに等しい浄光院さまは、嫉妬まじりの視線の矢束に、射竦められたやも知れぬ。


「あ、はあ……さようなものでござりましょうか」如何様に答えたらいいものかと、思案を滲ませた欣之助は、ほとんど意味をもたない曖昧な返事を口籠らせている。

「ほほ。殿方にはお分かりになりますまいが、女子の世界はさようなものですとも」ちらりと欣之助に投げかける老婆の目が、尋常にないほど艶っぽい光を放っている。



 ――げげげっ。本気で女になっておられる。((((oノ´3`)ノ



 見たくないものを見せられてしまった知恵は、慌てて目を瞑った。

「じゃが、殿さまが新たにご用意された西ノ丸の奥御殿に落ち着かれてからは安心なさったご様子で、少年の身ながら母君をお庇いになる幸松さまを、黙って引き寄せられた浄光院さまは、声もなく忍び泣かれておった。あれには貰い泣きさせられたわ」


「それは何よりでございました。で、遥聯院さま……でしたか、ご養母の奥方さまは如何様な?」語尾をぼかせた欣之助の問いに、老婆は大いに勇んで答えようとする。




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