第53話 先代・肥後守さまの意外な遺言
由縁(歴史)好きな老人にありがちに、与えられた事実もどきを鵜呑みにし、自ら検証する気はさらさらないご隠居は、平気な顔で女中に茶の煎れ替えを命じている。
だが、知恵は、あまりにも短絡的な経緯に、後の世の巧まざる悪意を感じていた。
いまの話を聞くだけでも、辻褄の合わぬ綻びがいくつも垣間見える。なのに、確固たる史実として伝えられる事柄に後世の恣意はなかったかと疑って見る気も起きぬのだろうか。死人に口なし。その気になれば生者の作文は思うがままであろうに……。
虚実綯い混ざった史実なるものを宝玉の如く崇め奉り、いささかでも疑義を呈そうとする口は問答無用で封じてしまう。愚鈍なまでに忠実な民によって、史実もどきはさらなる磨きを掛けられて来たのだ。
滔々と「唯一無二の正しき由縁」を述べ立てているご隠居も、温和しく聞いている欣之助や知恵が反論を試みれば、老いの頬を朱に染め、断固、刎ねつけるのだろう。
――いつの時代も、かような人々により正史なるものが構築されて来たのじゃな。
若者の心情など端から軽視しているご隠居は、知恵や欣之助の内部に生じた違和感を意にも介さず「ご養父の肥後守さまがご逝去(享年七十)されたのは寛永八年十月七日。幸松さまが二十一歳になられた秋じゃった。この年の三月には、信濃・上野国境の浅間山が大噴火をしおってのう。江戸まで灰が降り、難儀を極めた年じゃった」
火山噴火の怖さは知恵も伝え聞いていた。降雪と違い、降灰は自ら溶けてくれぬ。城郭といわず民家といわず、街道や野山といわず、ところかまわず厚く降り積もった性悪な火山灰の除去作業に、各地の大名が賦役の責めを負わされた。全国的にも大風や大雨の被害が頻発し、その余波としての伝染病も流行した大変な年だったという。
「ご葬儀も一段落した十一月十二日、幸松さまは高遠領を襲封され、十八日には元服して正之の
*
物事の順序としてまずはめでたしと言うべきところではあろうが、見性院さまから信玄さまの遺品まで託された、武田家の再興の件はいったい如何なったのであろう。
知恵の胸を翳が過ぎったとき、「さてと、ここばかりは手前も気に懸かっておるのじゃがな、肥後守さまのご遺言に思わぬ文言が認められておったのじゃよ」ご隠居が思案げな顔で述べるので、さては武田家に関する事柄なるか? と耳をそばだてる。
ところが、ご隠居の話はまったく違った。最期に養父の肥後守が書き遺したのは、「養子の幸松どのが二十歳に達するまでは、領下の民百姓に対する扱いのいっさいを変じてはならぬ」という、たれも予想しない指示だったという。
ご隠居が珍しく当惑するとおり、知恵もどう受け取ったらよいのか戸惑う。家老を初めとする家臣に「若年の領主を軽んじ、勝手な仕置きをしてはならぬ」と言い置いた。あるいは、養子の幸松自身への牽制、さらには自身が敷いた仕置きへの執着から発する老いの一徹……。さまざまに受け留められるが、果たして、真実は如何に?
だが、自他ともに認める由縁好きというわりには、ご隠居は物事に深く拘泥せぬ質と見える。「ま、なにはともあれ、ご遺言を忠実に守られたがために、結果的に五年足らずとなった高遠領の仕置きにおいて、新肥後守色は、ほとんど打ち出されぬままとなられたのじゃよ、ふむ」あっさり結論づけると、早くも次の話題に進めてゆく。
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