第52話 哀れやあわれ駿河大納言さま
自ら大御所を名乗り、厳然たる二元政治を敷く自身の知らぬ間に江戸城で起こっていた由々しき事態を憂えた東照大権現さまは、後日、前触れなしに江戸城を訪れた。
お祖父さまの突然の来訪に、孫の竹千代(家光、七歳)と国松(忠長、五歳)兄弟が揃って相伴の座に着こうとしたところ、東照大権現さまは梟の如くぎょろっとした目で、国松と、その背後に控える奥女中衆を睨みつけ、重々しく退席を申し渡した。
――兄の竹千代は、わが将軍家の正しき
以後、江戸城内の空気は一変した……知恵はさように承知していたので、国松から成長された駿河大納言さまが、祖父の東照大権現さまを心から慕っておられた事実がひどく意外に思われた。ちなみに、後世に語り継がれるこの逸話は、江戸の白銀丁で台徳院さまの日陰の子として幸松が生を享けた、まさにその年の出来事であった。
*
子どものときに甘やかされた駿河大納言さまの悪癖はついに治らなかったらしい。
駿河、遠州、甲斐の三か国、合わせて五十五万石の大領主として駿府城に君臨し、絶大な権力を持つ駿河大納言として畏れられ、富士山の
別の日には、鷹狩りの最中に家臣を射殺する、御公儀に背く風説を流すなどの奇行や不品行が相次いだので、見兼ねた大猷院さまはやむなく実弟を捕縛し、上野の高崎城の一画に幽閉。寛永十年十二月六日、駿河大納言さまは切腹した(享年二十八)。
娑婆にあまねく流布されているのは、崇源院さまの偏愛により極めて歪んだ人格に成長し、ひとりで乱舞を開陳した末に自滅した男の、聞くも悍ましい醜態であった。
だが、たったひとりの弟・肥後守さまの出現を無心に歓迎し、なにより大切にしていた祖父の形見を惜しげもなく分け与える様には伝え聞く奇人の欠片もうかがえぬ。幼年期からもて囃され、色を付けられたあげくに、手の裏返しで爪弾きにされ……、思惑ある大人たちに翻弄されつづけた孤独な魂の発露が透けて見えそうではないか。
二十五年前、実兄に幽閉された異郷で自刃した青年の無念が熱く胸に迫って来る。
かたわらの欣之助も同様と見え、巌のように頑丈な双肩を、悄然とすぼめている。
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