第41話 こぢんまりながら美しい高遠城




 申の刻、二組の人馬は高遠の城下に着いた。


 西の中空に峻烈な山巓を浮かべる赤石山脈に向けて、いましも金茶に輝く秋の日が傾斜しかけており、眼下には三峰川みぶがわの清流が脱ぎ散らかした薄花桜の帯の如く揺蕩たゆとうている。まことにもって華胥かしょの国と呼びたいほど美しい小城下だった。


 高遠城そのものは遠目には積木細工の城郭の如く見えるこぢんまりした城だった。

 東山の中腹からの斜面に本丸、二ノ丸、三ノ丸が配され、大手門から真っ直ぐ西に伸びた一本道の両脇に、武家屋敷、卸問屋、旅籠、茶屋などが整然と配されている。


 会津を治める保科家の麾下きかに属してはいても、江戸生まれ江戸育ちの知恵はいまだかつて地方の城下を見た経験がない。山国の先入観を持って眺めるせいか、建造物の佇まいから、行き交う通行人、好き勝手に歩きまわる犬や猫まで、いちように鄙色ひいろの顔料でひと刷毛されたのかと思われるほど、素朴にして田舎染みて見えた。


「おいでなんしょ」から始まって「ほうでありますに」「ほうずらい」「ほうだに」「ほうだらあ」など、やわらかに語尾をぼかす、独特なお国言葉も耳に新鮮に響く。 欣之助とのことで感じ易くなっている知恵の心はいちいちの事柄に烈しく感応した。



 ――少年時代の肥後守が水練を受けたという、天竜川なる大河は何処なるや……。



 首をめぐらせても、それらしき河川は見つからぬ。

 諦めた知恵はふたたび独り想いの世界に没入した。


 生まれ育った江戸を離れ、初めての長旅の末に、かような田舎の城に送りこまれた肥後守さまは、幼いながらに都落ちの思いを禁じ得られなかったのではあるまいか。親しく感懐を語り合いたかったが、欣之助もあちこち眺めまわすのに忙しいようだ。


 かような田舎で多感な少青年期の十九年を過ごされ、二十六歳でやっと出羽山形に転封になったとき、肥後守さまのお心に去来されたものは「ついにやった!」という陽の思いであられたろうか、それとも言うに言いがたい陰の思いであられたろうか。




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