第32話 「三つ葉葵」と「武田菱」の幟旗
百姓が連れて行ってくれたのは、信松庵から半里ほど里山に近付いた小村だった。
道の両側に並ぶ家はいずれも百姓家でありながら荘厳な武家風の門を構えている。
物差しで引いた如く配置された家並みにも塵ひとつ見当たらぬ小路にも、それどころか、雀どもが長閑に鳴き交わす上空までが、凛然たる武士の気に支配されている。
――これが東照大権現(徳川家康)さまの棺を運んだ八王子千人同心の村か。
村内に充ちる緊張を肌で感じ取った知恵は、鉄扇の歩行に従って規則的に上下するわが背骨の継ぎ目をひとつずつ丁寧に伸ばしつつ、しゃっきりと背筋を立て直した。
*
しばらく待つように言い置いた百姓はひときわ立派な構えの屋敷に入って行った。
――半農半兵の村であっても、一般の村々と同様に、庄屋が置かれておるのか。
道の中央を流れるせせらぎの水を鉄扇に飲ませていると、同じく霧笛を休息させていた欣之助が「ほう、これは!」驚嘆の声を放って、通りの向こう側に目をやった。
何処から現れたのか見るからにやんちゃそうな十人ほどの童が団子に固まったり、
欣之助が驚きの声を放った対象は、先頭の二人が高々と掲げる幟旗の紋様だろう。
一方の大将が翳す「三つ葉葵」(徳川家の家紋)は分かるとしても、他方の大将が臆しもせずに掲げているのは、どう見ても「四つ割菱」(武田菱)に違いなかった。
「子ども衆の遊びとはいえ、御公儀の御代に武田菱を
「庄屋さまがお会いになられるそうにございます。さあ、こちらへどうぞ」
知恵と欣之助の驚嘆をよそに、百姓はチャンバラごっこには目もくれぬ。
鉄扇と霧笛を、豪壮な長屋門脇の馬繋ぎ場に預かってもらう。
身軽になった知恵と欣之助は、粛々と屋敷内に入って行った。
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