第29話 大久保石見守長安の事績





 同日申の刻、一行は最初の探索地の八王子に入った。



 ――信松尼は四十余年前に没しているゆえ当時の事情を知る人に遭遇できるかどうかは分からぬ。それでも、現場に赴きさえすれば、必ずや証言の欠片を拾えるはず。



 知恵のくノ一の勘がそう囁いてくれている。

 とはいえ当たって砕けるしかないのは必定。

 いきおい、知恵の鼻孔は興奮にふくらんだ。



 目的地に到達したからには、恋遊びなんぞにうつつを抜かしておる場合ではない。なんとしても確実な結果を掌中にせねば期待してくださる兄夫婦に申し訳が立たぬ。ひそかに気概にもえる知恵は、自分の内の一途な「仕事人」をあざやかに意識する。




      *




 いまを去ること七十六年前、同腹の兄・仁科五郎盛信の幼い遺児三名を引き連れ、険しい峠越えで甲斐から武蔵八王子に落ち延びて来た信松尼は、高尾山颪のきびしい風雪をどうにか凌げるばかりの、山小屋も同然の茅屋住まいを余儀なくされていた。


 旧主の姫君の惨めな暮らしを見兼ねたのが、当地の代官として赴任して来た大久保石見守長安だった。武田信玄お抱えの猿楽師にして大蔵流猿楽の始祖である大蔵太夫十郎信安の次男に生まれた石見守は、父と同じ「蔵前衆」として召し抱えられ、黒川金山に代表される鉱山開発や、領地の税務などの事務にも卓抜な才を発揮していた。


 信玄の没後は後継の勝頼に仕えたが、天正十年(一五八二)、織田信長と徳川家康の連合軍による甲州征伐で甲斐武田が滅亡すると、武田遺臣として家康に拾われた。


 天正十八年、上野沼田城の支城・名胡桃城の乗取事件を発端に太閤秀吉が仕掛けた小田原征伐で北条氏が滅亡すると、生来の宿敵のさらなる伸長を恐れた秀吉は、従来家康の所領だった駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の五か国を召し上げ、武蔵・伊豆・相模・上野・上総・下総・下野(一部)・常陸(一部)の関東八州に移封させた。


 一面に葦が生い茂り、熊や猿、狐狸も出没する荒野だった江戸に入封した家康は、内心に秘めた野望の第一の布石として、気の置けぬ重臣衆に、新領地を分配した。


 石見守は生まれて初めての領国として武蔵八王子三万石(実質九万石)を賜った。

 初の所領地の仕置きに張りきった石見守は、自らを大御所と呼ばせるようになった家康の指揮のもとで、まずは殖産興業に欠かせぬ交易の要として甲州街道を開いた。


 同時に、これまた家康大御所の寛大なるご裁許のもとに、家康に庇護された武田の遺臣衆を組織して半農半兵の「八王子千人同心」(当初は五百人)を養成し、一方、通称「石見土手」を築いて、長年、民百姓を苦しめて来た「暴れ浅川」の治水を図るなど、新進気鋭の地方仕置きのおさとして目覚ましい働きぶりを発揮した。




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