第28話 甲州街道を八王子へ向かう





 妙齢の男女二名と、これまた年頃の牡牝ひんぼ二頭――。


 猛き疾風の如き二組による手探りの探索旅の最初の目的地は、幼年時代の肥後守がいっとき、信松尼しんしょうに(松姫、武田信玄の六女)に預けられていた武蔵八王子である。


 御台所・於江与ノ方の悋気を恐れた台徳院(第二代秀忠)に捨て置かれた浄光院(お静)と幸松(肥後守)母子に救いの手を差し伸べたのは、信松尼の姉・見性院けんしょういん(穴山梅雪室、武田信玄の二女)だったと聞いているが、お住まいだったはずのご府内田安門・比丘尼びくに屋敷を探っても、当時の面影はなにひとつ残されておらぬもよう。


 やむなく、生涯独身を通した信松尼を「武田の母」と慕った「八王子千人同心」の末裔衆が現在も大切に信松庵を守っているという、武蔵八王子に手掛かりを求めた。



 ――捩じれに捩じれた媛姫さま誤毒殺一件の遠因は、遡る過去にありそうじゃな。



 くノ一知恵はそう踏んでいた。

 警護の欣之助にも異論はない。




      *




 馬上の人となった知恵と欣之助はほぼ口を利かず、他人行儀な時間を重ねていく。


 豊かな黒髪を頭頂部できりっと束ね、凛々しい騎馬姿で先を歩む知恵が「ご覚悟は大丈夫でございますか、欣之助どの。早くも臆されたりはしていますまいな」皮肉を放つと、欣之助は太い墨を二本置いたような眉も動かさず「知恵どのこそ無謀な旅を内心で後悔されておるのではありますまいな」淡々とクールに斬り返すという具合。


 だが、麻布、赤坂、四谷、新宿とご府内を斜めに横ぎって甲州街道に入り、辺りの風景が物寂しくなって来ると、互いに意地を張っているのが馬鹿らしくなって来る。


 知恵は鉄扇の歩を弛める。

 欣之助は霧笛を急がせる。


「分け前をもらい損ねた女衒ぜげんの如く突っ張りなさるな。旅は道連れ、世は情けと参りましょうぞ、知恵どの」大人びた物言いの欣之助にゆるりと誘われれば知恵もわるい気はせず「まあ、何でございますか、その女衒とやらは……」純真ぶってみせる。


「ご存知ありませぬか。これは魂消たまげた。客に女を取り持つ生業なりわいでございます……まあ、この際、さような仕儀はどうでもよろしゅうございます。それより、たった二人と二頭だけの旅でござる。どうせなら仲良くまいろうではございませぬか」


 ざっくばらんに口説かれて、一も二もなく首肯しそうになりながらも知恵は「うら若き女子の前に、さように汚らわしきたとえを出されるとは、まったくもって心外にござります。さては、欣之助どの。兄上の保証を裏ぎって、相当な遊び手練れでいらっしゃいますな。おお、いやらしい」きっちりと予防線を張っておく仕儀を忘れぬ。


 存分に眉をしかめ、怖気を揮うほど毛嫌いされても、欣之助は一向に頓着せぬ。

「いやはや恐縮至極にござる。拙者はただ知恵どのがあまりにつんけんされるので、つい揶揄ってみただけにございます。岡場所なんぞへ行った経験はまったくございませぬ。そもそも拙者、さような場所への興味自体、一切、持ち合わせておりませぬ」



 ――うわあ、なんと清潔なお方であろうか。男というものはみな同じで、いずれの殿方も好色一辺倒と思うておったが、なかにはかような方もおられたのだ。その稀少なおひとりに出会えたわが幸運よ!



 狂喜乱舞したくなった気持ちを隠した知恵は敢えて仏頂面で「欣之助どのったら、ずいぶんとお人がわるうございますね。もう、知りませぬ」さりげない媚びを含ませた横目で睨むと、欣之助は手綱を握らぬ右手で、照れくさそうに頭を掻いてみせる。


 若き飼い主たちの恋の駆け引きをよそに、鉄扇と霧笛は、深山の湖の如きつぶらな眸で互いの歩度を確かめ合いながら、まことに息の合った常歩なみあしぶりを見せていた。





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