第21話 座敷牢に閉じこめられて
翌日の酉の刻。
三人の幼いお子さまを連れ、ひそかに屋敷を抜け出る奥方付き老女のあとを尾けた知恵は、廻廊をいくえにも折れ曲がった先の奥御殿のさらに奥の奥、鬱蒼たる雑木林に囲まれ、おもてからは戸口すらうかがえない、小さな別棟の天井裏に潜んでいた。
おどろおどろしい嵌め殺しの座敷牢を目の当たりにした知恵は、温厚篤実で知られる殿さまのもうひとつの貌を知った思いで戦慄を禁じ得なかったが、幽閉されている当の於万ノ方さまは少しも慌てず騒がず、いつものとおり端然となさっておられる。
事件当日の昨日はさすがに髪も裾も乱れ、半狂乱の体に見受けられたが、あれから一昼夜が過ぎ去ったいまは、いつもどおりきちんと身支度を整えられ、明かりとりの小窓とて見当たらない八畳ほどの暗い座敷の真ん中にしゃっきり正座しておられる。
美しい富士額のもとでおぼろに煙る眉、巧みな彫刻技を思わせる二皮目、高過ぎず低過ぎず、かたちよく通った鼻筋、意思的に引き結ばれた唇、指先でちょんと摘んだような愛らしい顎から細い首にかけての優美をきわめる曲線……大年増も真っ盛りの色香は、思いがけぬ茨の棘にいたぶられ、むしろ凄みを増したようにすら思われる。
*
「正経、石姫、正純。みんなようお出でじゃな。心配をかけたが、これこのとおり母は元気じゃ。大事ないゆえ、梅本の申すことをよく聞き、お利巧にしておるがよい」
気丈な呼びかけに、三人のお子さま方は、いっせいに声をあげて泣き出された。
「母上、お労しゅう存じます。拙者は、拙者は……かような場所へ閉じこめられた母上になにもしてさしあげられぬ自分が歯がゆくてなりませぬ。どうかお許しくださいませ」正経さまが男子らしく拳をふるわせれば、となりの石姫さまも甲高い声で糾弾なさる「なにも悪いことをなさっておられぬ母上をかような……父上の意地悪!」。
「これこれ、さような胡乱を申すでない」於万ノ方さまが慌てて止めようとすると、末っ子の正純さまが「こんな真っ暗なところでは、おかあさまがお化けに食われてしまいます!」思いきりの大声で叫ばれ、上のおふたりもまたひとしきり大泣きに泣かれた。かたわらで老女の梅本も袂を顔に押し当て、双肩をふるわせて嗚咽している。
*
やがて、涙の壺も涸れてしまえとばかりにみなさんで泣ききってしまうと、片隅に掃き寄せられた病葉のような一団は牢屋の於万ノ方さまを中心に物語を始められた。
「焦らずともよい。真相はいつかは自ずから明らかになろう。なれど、みなも承知のとおり、わが殿は一度こうとお決めになったら梃子でもお譲りにならぬご性分じゃ。まして、大勢の家臣の目の前で自ら下されたご裁断の撤回は当分なさらぬであろう。すくなくとも、しばらく延期となっている松姫どのの御輿入れが済むまでは……」
於万ノ方さまの冷静な分析に、老女の梅本が深々と嘆息をもらす。「お子さま方の御前ではございますが、この際、畏れながら申し上げさせていただきます。殿さまは
「よいよい。そなたの気持ちは承知しておる。日頃からわたくしを疎んじておった者どもは、この機会に子どもたちにも手の裏返しを試みるやもしれぬが、そなたが付いていてくれれば、百万の味方も同様。梅本、どうかこの子たちをよろしく頼みます」
――上つ君として、なんと尊い、優れたご気質であられようか。
家内の揉め事から、窮地に陥った家臣や女中衆を身体を張ってお庇いになるなど、女子ながら、並みの武士より
かねてからの知恵の奥方さま贔屓は、これで一気に加速を強めた。ゆえに、滅多に愚痴をこぼされぬお口もとから流れ出るご述懐も至極当然なものとして受け留める。
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