第20話 上杉播磨守綱勝の哀哭





 とそこへ駆けつけて来たのは、媛姫の夫の上杉播磨守綱勝だった。

「室は、わが室は、いずこにおりまするかっ?! 室に会わせてくだされ!」

「殿。落ち着かれてくださいませ。肥後守さまのお屋敷内でございまするぞ」

 年嵩の家来にたしなめられた播磨守は、御年十九歳の匂うような若者である。


 先代藩主の大上院(定勝)の逝去により、弱冠六歳にして出羽米沢の三代目藩主の座に就いた播磨守は、江戸で美貌随一を謳われた媛姫を娶る幸運もさることながら、名君の誉れ高い肥後守を義父として仰げる行慶をなにより喜んでいたと聞いている。


 その一心に尊敬されている舅の肥後守が、いきなり娘婿の播磨守に平伏した。

「播磨守どの。里帰り中の不祥事、まことに申し訳ない。心からお詫び申し上げる」


 むろん、詫びて済む状況であろうはずがない。

「いったい如何なる仕儀にございまするか?!」


「そ、それが、何者か……おそらくはわが室が援姫に鳥兜の毒を盛ったようで……」

「ええっ! 何ゆえに義母上さまが?! なにかの間違いではございませぬか?!」


「残念ながら、まことのことにて……ただいま、わが室を軟禁したところでござる」 

「そんな馬鹿なことがっ! ……して、室は、わが室はいずこにおりまするか?!」


「姫は……奥の部屋におります。どうぞこちらへお越しくだされ」

 肥後守は自ら先に立ち、援姫を寝かせてある奥座敷へ案内した。




      *




 やがて、目の前で身内がはりつけにされたかのような大絶叫が屋敷中を貫いた。


「室、媛姫! 起きてくれ。こんなところに寝ていてはならぬ。ささ、わしと一緒に上杉の屋敷へもどろう。どうか後生だから目を開けてくれ。ああ室よ、わが室よ!」


 一刻後、最愛の妻の亡骸を引き取った播磨守は悄然と保科屋敷をあとにした……。




      *


 


 主な人びとが立ち去った広間には、御台所奉行、御末頭、御次、中年寄らの関係者を中心とする家臣団と奥女中衆が侘しく取り残されたが、声を発する者とていない。


 危うく難を免れた松姫はお付きの老女に守られ別室で休んでいたが、幼くて事態が呑みこめていないのか、案外おっとりとした様子なのは、ひとつの救いではあった。


 その一方で哀れを極めるのは、部屋の隅の方にかたまって縮こまり、歯の音が合わぬほどふるえる身体をぴったり寄せ合っている、於万ノ方さまの子どもたちだった。


 剣呑な騒動が幼い耳に入らぬよう、お付きの老女らが心を砕いてはいたが、家鳴りさせんばかりの一連の阿鼻叫喚が、成長期の魂魄に敏感に伝播せぬはずがあろうか。


「母上はどこへ行かれたのでしょう。いつ、もどられますか?」

 早くも親のない子のように石姫がおどおど遠慮がちに訊ねる。


「ぼう、母上に会いたいよぅ。おかあさま、おかあさま……」

 幼い正純は、小さな顔をくしゃくしゃにしゃくりあげている。


 次兄の正頼に次いで長姉の媛姫まで失ったいま、兄妹で最年長となった正経のみは、膝の上に置いた拳を堅く握り締め、予想もしなかった事態を健気に堪えている。


 最愛の夫に付き添われ上杉家へもどる媛姫を深々と腰を折って見送った肥後守は、

「本日の一件は一件としてご公儀のおつとめは一日とて疎かにできぬ。あとはよしなに頼む」妙に乾いた声で告げると、わずかな近習衆のみを連れて駕籠の人になった。


 ふだん肥後守が中央の政務を司る上屋敷(およそ一万坪)は、和田倉門内にある。

 家族と大方の家臣は中屋敷(三万坪)を住まいとし、肥後守が会津領内の諸行事や地方仕置きを行う際には自ら中屋敷に出向いて来る慣わしとなっていたのだが……。




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