第22話 奥方さまご無念の回想
「それにしても、わたくしという女子は、殿にとって、なにだったのであろうのう。京から江戸へ連れて来られて以来、二十年間に九人の子供衆をお産みいたした。腹の空いておる間も許されず、同じ年に二度の出産を強いられた事実も一再ならず……」
先述したとおり、京・上賀茂神社の神官・藤木弘之さまをお父上とされる於万ノ方さまは、殿さまの四歳ちがいの姉君に当たられる東福門院(徳川和子)さまに女官としてお仕えしていたところを、たまたま姉君を訪ねられた殿さまのお目に留まった。
ちなみに――
前の将軍の台徳院(秀忠)さまと御台所の崇源院(於江与ノ方)さまの五女としてお生まれになった東福門院さまもまた、たまたま将軍家に生を享けたがために極めて数奇な半生をたどっておられる。
女子として生まれ落ちて以来、徳川家を天皇の外戚に据えるための布石として育てられたが、いよいよご入内という直前、夫たる後水尾天皇さまご寵愛の四辻与津子(お与津御寮人)さまが皇子・賀茂宮さまを出産なさっていたという重大事が判明。
東照大権現(家康)さまの命で台徳院さまが与津子一派を追放されたあとに女御としてお入りになった東福門院さまは、自ら京風に馴染もうと努められ、ご実家の期待どおり天皇の皇子や姫君を次々にもうけられ、気性の激しい後水尾天皇さまと徳川家の仲介にも心を砕かれていた。
そうした経緯もあり、於万ノ方さまの所作にはいまだに京風が抜けきれていない。
坂東第一とする一部の家臣や奥女中衆には、そのことを快く思わぬ輩もいるので、力の平衡が崩れた場面で日頃の反感が一気に噴き出す憂慮は察して余りがあった。
*
於万ノ方さまのご述懐はつづく。
「そなたも承知のとおり、わたくしにも矜持がある。なにも好んで野蛮と恐れられる坂東くんだりまで参ったわけではない。だが、あれほど熱心に口説かれたはずの殿のご寵愛は亡き於菊ノ方さま一辺倒で、わたくしは戯れの玩具に過ぎなかったのじゃ」
「奥方さま、梅本、まことにお労しゅう存じます」
お子たちの手前もあろう、梅本は粛然と答えた。
「不承不承に継室に直してくださりはしたが、昨日の殿のお言葉にも明白なように、いつまで経っても側室上がりの継室呼ばわりを改めてくださらぬ。いや、わたくしは我慢するとしても、家臣どもにまで蔑まれる子どもたちがな、不憫でならぬのじゃ」
*
――リーン、リーン、リーン……。
奥深い草むらから虫の
ふたたびの嗚咽が鉄御納戸色の静寂に流れ出る。
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