第14話 命がけ毒見役の中年寄





 かわって引き出されてきた毒見役の中年寄は、まさかりを持たせたら金太郎にでもなれてしまいそうな女丈夫だったが、滑稽なほど可憐な桔梗の花柄の絽をまとっている。


 そんな女らしい装いとは裏腹に、毎日が戦場いくさばという苛烈な毒見役の宿命もあってか、これまで引き出された下手人候補たちとは肚の座り方からちがっているようだ。


 隆々たる筋肉に覚悟を滲ませる中年寄には、殿さまも迂闊に物が言えぬようすで、

「常の要職、ご苦労である。おかげで安心してものが食える。あらためて礼を申す」先刻とは打って変わって感謝の意を伝えたが、「わたくしなどがお役に立てます儀、さいわいに存じます」中年寄は大した感激も見せず、しごくあっさりと返答する。


「だが、こたびの由々しき一件は、毒見役のそなた抜きにはどうにも解明が適わぬ。奈辺の事情についてはとくと承知してくれておろう?」「はい、御意にございます」殿さまが無駄に多弁に聞こえるほど、中年寄の返答はどこまでも簡潔一辺倒である。


「そなたが毒見を行った料理を食した者のうち媛姫のみに異変が生じた、摩訶不思議な事実がある。さらに申せば、毒見のそなたは無事なのに、なぜ姫のみが落命せねばならなかったのかじゃ」重ねての問いに、中年寄は凛々しげな眉を微かにしかめた。


「そう問われましても、お答えのしようがございませぬが、強いて挙げるとすれば、わたくしはご覧のとおりの男まさりなのに比して、媛姫さまは華奢で可憐なご体質であられますこと。あるいはまた、たまたまご体調が芳しくあられなかったとか……」


 幼児のように堪え性がなくなっている殿さまは、にわかに額に殺気を走らせた。

「馬鹿な! 媛姫がいたって健康であった事実はあの朗らかな笑顔が如実に物語っておる。事と場合によっては上杉家にも迷惑が及ぶのじゃ。軽薄を口にするでない!」


「はい、申し訳ございませぬ」中年寄の詫びは過多でも過少でもなく、極めて適宜。

「ところで、ひとつ大事を訊ねおくが、そなた、料理のみでなく茶や調味料から食器に至るまで、わしら家族の口に入るもののことごとくを正確に検分したのじゃな?」


 うつむいていた中年寄は昂然と顔を上げた。

「ただいまのご質問にお答えさせていただきます。お料理につきましては、たしかに一品残らずお毒見をさせていただきました。ただ銘々のお品が盛り付けられた食器、醤油、酢、唐辛子などの調味料に至るまでとなりますと、正直、断言できかねます」


 殿さまはたやすく爆発して「なにぃ! それでは毒見にならぬではないか。わしらの口に入るものはひとつ残らず試すよう、しかと申し付けておいたはずじゃ。いつからさような手抜きを。許可なく怠慢に堕しおった者どもを打ち首にしてくれるぞ!」




      *




 その場の全員が立ち竦むなか、怒鳴り付けられた本人だけはまったく悪びれない。

「粗忽のご指摘は仰せのとおりにございます。なれど、食器や調味料のお毒見の手間を省きましたのはわたくしひとりの浅慮にございます。他の者に罪はございません」


「さような子供騙しが罷り通るか! 周囲が承知せぬはずがない。寄ってたかって、蔭でわしら家族を愚弄しておったにちがいない。うぬ許せぬ。不届きな奸臣どもめ、一網打尽にしてくれるぞ!」そう言われて、中年寄はかえって性根が座ったらしい。


「殿さま。わたくしの戯言にお耳をお貸しくださいませ。ご承知のとおり、平安の昔から薬子くすりことか鬼食ひとか呼ばれ、忌み恐れられてまいりました毒見役は、まさに日々戦場、一瞬一瞬が死と隣り合わせのお仕えにございます。いつ死んでもよい覚悟はできておりまする。ですが、さりとて恐怖を克服し得たわけではございませぬ」


 冷静沈着な中年寄の真摯な口説に、殿さまは仁王の形相をほんの少しだけ弛めた。

 毒見役の置かれたのっぴきならぬ立場に真剣な思いを寄せたことはなかったろう。


「ひと口食して、死なぬ。つぎを食して、まだ死なぬ。だが、明日は、いえ、その前に一寸先は如何様になる運命かご存知なのは神ばかり。その繰り返しの日々でございますゆえ、戦が本分の武士とは異なる意味で、死と隣り合わせの生業にございます」


 いちいちもっともな中年寄の心情の吐露に、座は水を打ったように鎮まっている。

 勇猛果敢な侍であっても、これほど苛烈な、拷問に等しい立場に堪えられようか。


物打ものうち(刀の切先三寸の部分)を素足で渡るがごとき全き危険と隣り合わせの日常の支えと申せば、わが身体を張ってお仕えする方々のご無事な笑顔、ひとえに、それのみにございます。なれど、ただ一点のその誇りをも汚し去ったこたびの不祥事は、毒見の恥辱にほかなりませぬ。かくなるうえは死んでお詫びするしかございませぬ」


 最後まで声を震わせず思いの丈を述べ終えた中年寄は、きれいな所作で静かに一礼すると、ふところに忍ばせていた短剣を取り出し、いきなり自らの喉に突きつけた。


「あっ、これ、早まるでない! そなたが下手人とは申しておらぬではないか?!」

 肥前守が慌てて剣を取り上げ、老厨房人のときと同じ騒動がふたたび展開された。





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